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情報はすべてロハス・メディカル本誌発行時点のものを掲載しております。特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。

ストップ!!萎縮医療

なぜ萎縮するの?

 さて、誠実であろうとギリギリまで頑張った医療者が後から批判され、逆にリスクを取らずに逃避しても責められない、という不思議なことが起きるのは、一体なぜでしょう。
 不思議と思わない? その認識が共有されないと話が先に進みません。放っておくと普通は事態が悪化するという点で似ているので、家の火事に見立ててみましょう。医療者は消防士に見立てられます。消火しないと全焼してしまう、と一刻も早い消火をめざして近隣まで水浸しにしたとして、これを責める人がいるでしょうか。むしろ、放水を控えた方が責められますよね。でも医療では、皆がビクビク放水する状況です。
 この不思議さに思いを致すと、医療者の認識する「医療の現実」と、社会の考える「あるべき医療」との間に大きなギャップが生じていることに気づきます。
 医療者は、医療は本質的に危険なものであり、虎穴に入らずんば虎児を得ず、という性格のものと思っています。患者に一体何が起こっているのか必ずしもわかるとは限らない、それでも生命の危険が迫っている状況であれば、割り切って決断しなければならないと思っています。
 後から見れば、診断が必ずしも完全でなかったり、治療法に多少の問題があるかもしれませんが、それを「誤り」と捉えるのは「後出しじゃんけん」のようなもの。能力や知識が著しく劣っているのでない限り、その時その場にいた平均的な医療者が、与えられた条件の中で力の限り対応したならば、それは「最善の医療」だと考えるのです。
 対して社会には、専門家なのに診断や治療法を間違えるなんて許せないという考え方があります。医療で被害を受けるなんて許せないという考え方があります。施設によって受けられる医療に差があるなんて許せないという考え方があります。
 どのような状況にあっても的確に原因を探り当て、適切な治療を行い、悪い結果を回避することこそ「最善の医療」だと考える人は少なくないはずです。
 しかし、それを約束することは果たして人間に可能でしょうか? 消防士が近隣には絶対に被害を及ぼさず速やかに鎮火させると約束することに置き換えたら、どうでしょう。いかに無茶な要求か分かるはずです。
 医療者の「最善」が現在進行形の当事者の視点から定義されているのに対して、社会の「最善」が事後的に第三者の視点から定義されていること、お気づきでしょうか。
 言葉を換えると、前者は経過や姿勢に対して「最善」を用い、後者は結果に対して「最善」を用いています。
 いきなり法律の話を持ち出して恐縮ですが、民事契約上では、医療者は患者に対して最善を尽くすという「手段債務」は負うけれど、最善の結果を約束する「結果債務」は負わないと解釈するのが一般的です。つまり、「結果の最善」は求められていません。
 そもそも不可能という本質論からも導き出される結論ですが、法的には以下のように説明するようです。結果を債務として約束するには、それに値する対価を要求できなければいけないし、断る自由もなければならない、と。
 保険医療である限り価格は公定です。難易度が高いからといって、余計にお金を取ったら摘発されます。また、医師は正当な事由なしに診療を拒むことはできない、と医師法で定められています。
 本来は、経過に全力を尽くさなかった時に責められるべきであり、結果を責められるべきものではないのに、現実には医療者は結果で責められています。しかも、家が全焼したのは消防士の技術が悪かったからだ。隣家に水をかけた分を火元の家にかけていれば全焼しなかったのではないか。放水による隣家の被害も消防士の責任だから賠償せよ、と例えられるような判決が出たりしています。誠実にやった医療機関ほど紛争を抱え込んで逆淘汰されかねない状況なのです。
 このように正直者がバカを見る状態だから、危ない橋を渡るのはやめよう、と萎縮医療になるのです。

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