文字の大きさ

過去記事検索

情報はすべてロハス・メディカル本誌発行時点のものを掲載しております。
特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。

専門性の高い分野に蔓延る 不合理な「常識」や「掟」


江崎 端的に申し上げれば、産業の黎明期や揺らん期に作ったビジネス構造がそのまま続いているのです。例えば「長期収載品」と呼ばれる制度(慣行?)があります。医療関係者には常識かもしれません。でも、長期にわたって価格を維持することは産業政策的には禁じ手です。財やサービスの価格を国が決める公定価格という制度自体は珍しくありませんが、世界が研究開発にしのぎを削っている医薬品の分野で、特許が切れた技術に対してまで一定の価格を保障するという制度は確実に業界の競争力を奪います。

梅村 価格を国が保証すると産業は弱くなるのですか?

江崎 典型的な実例が「米価」です。日本の米に国際競争力が全くないことは説明するまでもありません。新薬の価格は、特許が切れたら10分の1近くに下がるというのが世界の常識です。しかし、日本では2年ごとの薬価改訂が行われるものの、引き下げ率は小さいため、結果的に長期にわたって高値が維持されるのです。最近になってようやく長期収載の見直しが行われつつありますが、依然として価格水準は高いままです。

梅村 それは問題ですか?

江崎 ビジネスで最も難しいのは値決めです。その財やサービスの価格をいくらに設定するかによってビジネスが発展するかどうか決まり、企業の存否も決まると言って過言ではありません。医薬品業界ではビジネスの根幹である価格を国が決めて、しかも長期にわたってその価格を維持してくれるわけです。

梅村 利潤を保証することで、新薬の開発が行われやすくなると製薬業界は主張していますよね。

江崎 現実は、そうなっていません。価格が固定されている以上、マーケットシェアの大きさが利益の大きさにつながります。この結果、企業の合理的な行動として、リスクを負って新薬開発を行うより、MRを使ってマーケットである医師や医療機関を抱え込んだ方が、確実に収益を得られます。事実、製薬業界ではここ10年ほど、研究開発費を減らしてMRの人件費を増やしているのです。世界の製薬企業がMRを減らして研究開発投資を拡大している流れに明らかに逆行していますが、日本のビジネス環境では、経営的には合理性のある行動なのです。これに審査官が代わる度に180度違う宿題を出すといわれるPMDA(医薬品医療機器審査機構)の審査が加わることで、日本発の新薬開発のハードルは極めて高くなり、日本から新薬が生まれない構造になっているのです。

梅村 経営学的には正しくても、産業政策的には問題が多いということですね。

江崎 そうです。こうしたビジネス環境下では、いったん新薬が承認されれば、その薬をできるだけ長く医師に処方してもらうことで利益の最大化が可能になるのです。日本ではほとんど新薬が開発されないのに新薬開発会社が74社も存在しています。しかも、近年製薬企業が倒産したという話を聞いたことがありません。大手製薬会社も自ら研究開発するより、海外でベンチャーを買い漁ることに力を注いでいます。

梅村 ネタを買ってきてね。

江崎 それをCRO(受託臨床試験機関)やSMO(試験実施機構管理機関)に委託して製品化するのです。残念ながら日本には真の意味での新薬開発企業はほとんど存在しないのです。さらに言えば、新薬開発を促進するための「薬価加算制度」は、もっぱら外資の製薬会社が享受しています。外資系の製薬会社は海外で承認された薬を持ち込めるため、比較的早くPMDAの承認が得られます。この結果、日本の市場は外国の製薬会社にとって大変おいしい市場になっているのです。

梅村 怒っていますね。

江崎 アカデミアの研究活動や日本の生産技術は世界のトップクラスなのに、日本からは新薬がほとんど出ず一貫して輸入が増え続けています。

梅村 しかも新薬の価格は年々高くなっていますよね。

江崎 新薬の開発にお金がかかるから薬価も当然高くなると説明されますが、我々産業政策に携わる者からすると、それは単なる言い訳です。なぜなら通常のビジネスでは、良い製品には客が増え、生産コストが下がるため単価も下がるのです。例えば昔T型フォードが出た頃は、車なんて高嶺の花でしたが、量産することで価格を下げ、今では誰もが車を持つのが当たり前になったわけです。今日より明日、明日より明後日の方が、より良いものを安く提供できるという、それが産業政策の基本です。

梅村 優れた薬に手が届きやすくなって、財政負担も軽減されるのですね。

江崎 昔、中学の社会科で習ったように、この国は資源を輸入して高付加価値品を輸出することによって1億人の国民が豊かに生活しています。この構造は、今も全く変わっていません。しかしながら、最も付加価値の高い医薬品だけ一貫して輸入側にあり、しかも、その額が拡大の一途を辿っているのです。

梅村 残念なことです。

江崎 かつて私がEUの職員であった時に、フランス人の同僚から「なぜ日本は薬を輸入するのか」と問われたことがありました。その時には質問の意味が分からなかったのですが、現在もEUからの最大の輸入品は医薬品です。彼は、医薬品のような高付加価値品は日本が得意なのではないかと言いたかったようです。研究開発にコストをかけるより、MRを使って医者を抱え込んだ方がいいと判断させてしまう制度によって、国全体として明らかに損失を生んでいるのです。しかも現在の医療制度の恩恵は、海外の製薬会社が享受しているのです。

梅村 逆貿易摩擦ですね。

江崎 国内に高い技術力がありながら、みすみす外国企業の利益確保につながっている現状は、日本国の公務員としては看過できません。特に1年生の時、通商問題でアメリカの理不尽な要求と闘った私としては、なおさらです。

梅村 なるほど、そこに戻ってきますか。

江崎 技術立国日本としては、医療という最大の戦略分野でこそ、世界に覇を唱えるべきだと思っています。

梅村 その力がありますか?

江崎 ある、と信じています。

  • MRICメールマガジンby医療ガバナンス学会
掲載号別アーカイブ