一病~リウマチ~息災徒然ノート20

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月02日 22:44

出産後のリウマチ3

出産後、
リウマチの治療法、対処法を
暗中模索していたとき、

患者会であるリウマチ友の会
の会合に出席しました。

かねてから、
その存在は知っていましたが、
同病患者と外来待合室以外での面識は
ありませんでした。


非常に驚き、
衝撃を受けました。

それまで、
自分自身の疼痛や、
腫れ上がった関節でしか、
私は、
リウマチを認識していませんでした。

烈しく変形して物を掴めない指、
カラーで巻いた首筋、
固定された足首、
車椅子や介護なしに成り立たない日常生活、、、、

それらを目の辺りにしたとき、

その全部が、
その当時私が悩み、
苦悶していた問題とは、
かけ離れているように感じました。


同時に、
たとえ私が抱えていた困難が
解決したとしても、

その先にあるものは、、、

自分の将来の姿を思い描いたとき、

頭の中が真っ暗になって、

自己紹介の番がまわってきても、

両手で顔を覆い、
涙で声が詰まって話せなくなりました。

その私の姿を見ていた、
向かいの車椅子の女性が、

「あなたはまだお若いから、、
だから辛いのよ。

そういう時がみんなあったのよ。

私も昔はお料理が大好きだったけれど、
今はもう作り方も忘れちゃったわ。

旦那も兄弟も、子供も去って行ったけれど、
たくさん泣いたような気もするけれど、

ヘルパーさんが来てくれるから、

一人でいても
感謝の気持ちで過ごせる。

ここに来ればお友達もいる、

ここに来て
みんなとお喋りするのだけが楽しみ」

きれいにお化粧をして、
レースで飾った帽子を被って、
付添婦人に食事を運んでもらいながら、

微笑みました。

リウマチが人生に及ぼした壮絶な仕業と、
それを淡々と受け入れ、
長いトンネルを抜けて、
孤独も不安も障害も
もろともせずに生きておられる方々の凛々しさに、
私は返す言葉無く、
立ち尽くしました。

私は、
この先そんな強い気持ちと感謝で
生きていく自信が全くない、

『気の毒すぎる・・』

と心の中で
思っている自分が許せなかった、

それは、

自分への憐れみでもあるからです。

もう友の会には行けないと思いました。

逃げるように帰ってしまいました。

その後、
リウマチ友の会の活動を
支援してくださっている主治医の住田先生や、

仕事をしながら友の会の役員を担われている方、

若年性リウマチを乗り越えながら
学び続けて仕事をしている人、

多くの方々のお話を伺いました。

決して同病相憐れみ合うための会ではないこと、

前向きに医療情報を共有しながら、
集うことさえ叶わない同病患者へ
リウマチに関する情報を発信する役割も果たしていること、

仕事をしながら育児中の患者の一人として、

是非、
体調と時間の許す範囲で
できることをと、

熱心にお声をかけていただき、

正式に入会したのは、
半年後のことでした。

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コメント

真木様
なるほど、今日はその一語に留めさせて頂きます。

ご無沙汰しております。
人工関節がだめになって入院しておりました。
やっと家にもどったら、聞きたかった闘病記、まるで退院祝いみたい、楽しみに読みます。

>M,NAKAMURA。 様

>かもしだ様

コメントありがとうございます。

かもしだ様は入院なさっていたとのこと、
どうぞくれぐれも、お大事になさってください。


中間テストの、
採点ミスを学生に指摘されて、
全員分、見直しをやっているてんやわんやの最中で・・・
あぁ、大ショック・・・


リウマチ連載の続きは後日に・・

申し訳ございませんm_m

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