一病~リウマチ~息災徒然ノート23

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月09日 23:13

医療機関へ転職と治験1

2001年の暮れから2002年にかけて、

私は
つくばにある私立病院の
院長室勤務の求人募集に応募し、
合計5回、
面接に行きました。

初回面接の時間は
夜8時開始、

約束の時刻から1時間以上待たされて、

やっと院長夫妻、局長と対面し、

院長が開口一番

「俺が誰か、知ってるか?
あんたは、病院で一体何ができる?」

の問いに、

HPで確認していた院長の御名前を告げてから、

咄嗟に

「できることは、

セクハラ防止の講義

でしょうか・・」

答えたのを覚えています。

この日、
私が挨拶以外で言葉を述べたのは、
この一言だけでした。

しかし、私の言葉は、
冷ややかに無視されて、

結局、
午後10時を回るまで

「俺は日本一の病院をつくるんだぁ~」

と院長一人で喋り続けたので、

『こりゃ、アカン・・』

と思って、

二回目の面接は辞退するつもりでした。

なのに、
結局仕事をすることになったのは、

二度目の面接以降で、
院長と具体的なお話ができたこと、

それによって第一印象が微修正されたこと、

私が
医療界について全く無知なこと、
持病のリウマチ、
幼い子供がいることなど、

新しい仕事に就く上での、
マイナス面を洗いざらい伝えても、

それらが採用のネガティブ要因にならなかったこと、
(少なくとも当時の私はそう受け取っていました)

などが
主な理由です。

でも、
やはり不安でたまらない私は、
最後の最後、
退職願いを提出する前に
主治医である筑波大学の
住田先生に相談しました。

「何の仕事をするの?

(“院長の秘書をすることになると思う”という私の答えを聞いて)

院長先生は、
存じ上げていますよ。
(と、少し苦笑いの後)

いいんじゃないですか?

あそこの病院は、
大学からも目と鼻の先で、
大学のリウマチ・アレルギー科からも
三名の先生方(個別に名前を挙げられる)が
診療されていますし、、、


何より安心ですね」


この住田先生の言葉で、
腹を括ったわけですが、

リウマチと真剣に向き合って生きたい、
それが医療従事者となることで
プラスに作用するに違いない、
仕事をする場所が
自分の死に場所になってもいいと思えるよう、
精一杯頑張ろう、


そんな肩肘張りすぎた
大袈裟な考えでいたように思います。


こうして私は
2002年3月に

11年勤務したTIを退職して、

病院で新しい仕事をするようになりました。

<<前の記事:一病~リウマチ~息災徒然ノート22    とばっちり:次の記事>>