現場の悩み

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年02月14日 13:34

臨床医ネットの小林一彦代表に
昨晩久しぶりにお目にかかった。
医療再生議連の方々に聴いてほしいことがあるのだ、という。


どんな話か聴いてみると
がん医療の現場で逃げずに悩みもがいている人間でなければ
絶対に思いつかないと思われることで
とても感心し、また深く考えさせられた。


がん医療に関しては
がん対策基本法が成立してからガクンと報道が減ったと思う。
でも、まだ千里の道の一歩に過ぎないことを思い知らされる。


小林医師の体験実感によると
がんの告知、再発の告知を受けた患者さんは非常にショックを受け
そのショックから立ち直る際に
能動的に苦労して頑張れば報われるに違いないと思いたがり
その「努力すれば報われる」というのが、生きる希望になる。
患者さんは、幸運で助かろうとは思わない。
あえて苦労しようとする。


そして担当医に「私は何をすれば良いですか」と問うてくる。
これが困る。
たいていの医師は、「当たり前のことですかね」と言うか
化学療法の合併症を抑制するための方法論にすり変えて答える。
しかし実際には
患者さんの求めているものは化学療法の成功率が上がる方法論。
evidenceの中で、本人の「努力」を解析したものなどない。
だから答えるべきものがない。
この部分から医師は目をそらしていて良いのか。


患者さんの「努力」は様々な形態を取り
せっぱつまってくると、なりふり構わなくなってくる。
放射線の出る温泉に入ったり、細胞療法をやったり、
健康食品に手を出したり。
今までは、そういうものを否定せよと医師は教えられてきた。
しかし、そういうものを否定することは
患者さんの希望を打ち砕くことなのでないか。
たしかに治療効果はなく有害であることも多いが
このように希望を打ち砕くことが果たして良いのだろうか。


打ち砕くことが是として、では患者さんに
どうやって別の形で希望を持たせることができるのか。
たとえ報われなくても努力は尊いことなのですよ
という導き方があり得るのか。
努力の形態には様々なものがあり
自らのことは受容しても
他の人が同じ目に遭わないように努力する人もいる。


最後まで希望を捨てないということと
あきらめ受容することとを両立させられないものか。
限界まで治療するということをあきらめてもらわないと
緩和医療は関与していけない。
現代の日本人は
かつてない程あきらめることが下手になっていると思う。
あきらめることは悪いことなのか。
むしろ、それが納得いく死と
その前にある納得いく生とのスタート地点なのではないか。


人生は誰でも有限であるという当たり前の事実に立ち返れば
何かをあきらめつつ
しかし希望を捨てずに努力を続けるということは矛盾しないはずだ。


以上が小林医師の言いたいこと、だそうだ。
皆さまは、いかがお考えだろうか。


さて、ここからは告知です。
以上のようなものをもう少し系統立て
日本臨床腫瘍学会理事長の西條長宏先生にぶつけさせていただき
ディスカッションしようというロハス・メディカルWSを
来月22日に福岡にて開催いたします。
実際にがん患者さんと向き合っていらっしゃる医療者の方限定。
会場の方にも議論に加わっていただき
熱く語り合っていただければ幸いです。
参加ご希望の方は、こちらまで、お名前と所属、連絡先を明記の上、お申し込みください。特に九州の皆様、ぜひふるってご参加ください。


ロハス・メディカルWSのお知らせ
日時:3月22日午前10時半開始
場所:フランス料理「花の木」
    福岡市中央区大濠公園1-3
    092-751-3340
*軽食をお出しします。午後1時終了の予定です。
パネリスト:西條長宏先生
       小林一彦先生
       神田橋宏司先生(東京日立病院内科)
       下山達先生(都立駒込病院化学療法科)
コーディネーター:川口恭

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コメント

 宗教との境界領域の話になりますが、努力の方向が気になりますね。

 小林先生が例示されたのは、全て死なないための努力でしょう。

 生きるための努力ではありません。

 古来、仙(玄)、密や錬金術といった不老不死を追求する学問の流れがいくつかありますが、社会や生物としての人間とかけ離れたところにしかそれはなさそうです。

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