ニアミス訴訟

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年04月11日 23:41

事故調の議論をする時に
医療事故と類似のものとして取り上げられることの多い航空機事故で
2001年の日航機ニアミスで業務上過失致傷に問われた管制官2人に
執行猶予つきとはいえ東京高裁が逆転有罪判決をくだしたようです。


こんな控訴審判決が出るようでは
大野病院事件も一審無罪が出たとしても検察側は控訴するだろうな
と、暗澹たる気持ちになります。


判決要旨を読むと
要するに、この国の司法というのは
不幸な事象が起きたときに、その原因となったと思われる人間を処罰し
社会の不満をガス抜きする
それしかできないんだなと思います。
たとえ個人だけが悪いのでなかったとしても
誰かを血祭りにあげないとガス抜きできないから
少しでも過失があったなら生贄にされる危険性は常にある、と。


生贄が個人レベルに留まっている限り
社会全体で見ればコストが低いからなんでしょうが
航空機運航や医療のように複雑高度化し分業が進んで
誰がババを引くか分からない、そういうものでは
担い手がいなくなってシステム崩壊する危険性があり
とてつもなくコストが高くつくと思います。


だから再発防止や原因究明をめざす事故調は
やはり司法とは完全に切り離すべきだし
もっときちんとするには
刑法、刑事訴訟法がどのようにあるべきかも
議論しないといけないのではないでしょうか。


そうそう、もう一つ。
言い間違えが「重大な過失」として取り扱われてるようですが
明らかに結果の重大性から結論が導き出されていますよね。
「ガス抜き」が司法の主業務と分かってから見れば当り前ですけどね。

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コメント

 刑事訴訟は犯人捜し、民事訴訟はお金の精算が本来の目的です。他にはほとんど何もできません。

 洋の東西を問わず、訴訟の本質と言えるであろうと思います。

横浜市立の取り違え事件のような医療事故とよく似たシステム事故なのに最終当事者の個人責任のみが追求されるという、遅れた日本の司法を象徴する判決で歴史的意義があると思いました。業務上過失致死傷を犯罪として捉えるのは現代の高度システム社会にマッチしないというのは既にグローバルスタンダードです。医療の崩壊も司法立法の堕落が一つ大きな原因です。明治時代の刑法の条文をひらがなにしただけで放置してきた国会の責任は重大です。

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