改めまして(完)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年07月16日 08:33

医療が正当に評価されてない感に話を戻します。


3個前のエントリーに「もにょ」様がコメントくださってますように
医療者は、医療の価値を自明のもので説明不要と考えているように見えます。
しかし社会一般から見ると決してそうではありません。
医療者は、医療は進歩し続けるのが当然
そのために行動することこそ医師の使命と考えているように見えます。
しかし社会一般から見ると決してそうではありません。
技量の進歩(というより熟練でしょうか)は求めていても
高度化、重装備化を必ずしも求めているわけではありません。


この齟齬に、ほとんどの医療者が気づいていないと思います。


システムの価値というのは、存在するだけで無条件に内在するのではなく
外部に対してどれだけの価値を与えられたか、今後与えられると期待できるか
によって量られると思います。


その社会の中での相対的価値量は
社会が振り分けてもよいと考える相対的資源量と
かなり相関するのでないかとも考えられます。


社会一般の人が医療に対して期待していることと
医療者が医療の価値と思っていることに食い違いはないでしょうか。
たとえば端的に言うと
医師の世界で研究者の方が臨床者より高く評価されるのは
社会一般から見ると、かなり理解に苦しむ話です。
さておき、その食い違いが「医療が正当に評価されてない感」の根底にないでしょうか。
食い違いの原因は
社会の側の勘違い・認識不足と医療側の勘違い・認識不足の双方あります。


私は、当初医療者と患者の懸け橋になると自己規定した時に
社会の側の勘違いを修正することで
食い違いはほとんどなくなるのでないかと思っていました。
が、3年やってみて思うのは
医療の側の勘違いもまた大きいということです。
そして、その医療側の勘違いが障害となって
社会の側の勘違いの修正が甚だ困難になるという連関も感じています。


治せなかった病気に治療法が見つかる
医療行為の苦痛が軽減される
単独に命題として置いたなら誰も反対しません。
しかし、現実には、そのためにどの程度の資源投下をするか。
それを社会全体として負担するのは妥当か否か
(個人を含む民間が負担するなら話は別です)
社会の総意としての判断を仰ぐ必要があります。
この判断を仰ぐという行為をすっ飛ばして
医療界の独断で勝手に高度化・重装備化を進めてきたことはないでしょうか。
あるいは判断を仰ぐ際に無闇やたらと希望的幻想を振りまいて
社会の側に過剰な期待を抱かせたということはないでしょうか。


世界トップレベルの医療を行うというのは必ずしも社会の要請ではないのに
(社会一般の要請は費用負担できる範囲で効率よく分配してほしいということ)
世界と伍してやっていくのが当然のことと思ってないだろうか。
それは大きな勘違いだろうと思うのです。


つまり社会の側の勘違いを生み出したのは一体誰なのか
医療者側は、自分たちの振る舞いが何も影響を与えていないと考えてないだろうか。
これも大きな勘違いだろう、と。
小まめに期待と実像とを整合させておけば
社会の側に、トンデモな勘違いが量産されることもなかったと思います。


「一市民」様が示してくださったサイトに
質=実績-期待度
という公式が出ておりました。
たとえトンデモであっても期待に応えないようなことが続けば
医療は質が低い、価値が少ないと見なされやすくなります。
そこまで行かなくても、患者側の希望に対して
「医療というのはこういうものなんだから」と
自分たちの論理体系を押しつけただけで終わった場合
その医療の質は大変低く評価されます。
当然、医療に対する不満が溜まるようになり
社会に不満が溜まると、治安維持装置としての司法が暴発しやすくなる
そういう関係にあります。


そこまで話を戻すかと思ったかもしれませんが
刑事司法の不当な介入が頻発したのも
元を辿れば医療界が社会に対して向き合ってこなかったことに行きつかないか
こう私は考えるに至りました。
そして、とりあえず今回は乗り切れたとしても
社会の現実と向き合うことを忌避したままでいるなら
いずれまた何か問題が起きるのでないかと危惧します。


どうか医療者の皆さん自身で
皆さんの価値を社会に説明してください。
全医連の黒川代表ではありませんが
皆さんの誇りを自らの手で取り戻してください。
お手伝いできることはいたします。
よろしくお願い申し上げます。

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コメント

川口様、以下のところはどういう意味でしょうか。
しかし社会一般から見ると決してそうではありません。
技量の進歩(というより熟練でしょうか)は求めていても
高度化、重装備化を必ずしも求めているわけではありません
 正しい診断と治療をいつでも求めているのがマスコミをはじめとする一般社会という認識なのですが、違いますか。
 正しい診断と治療は技量の進歩(熟練)に当たらないのですか。
正しい診断と治療をするためには必然高度化、重装備化が必要なのですが、そのことは否定されるのですか。
 医療が看取ることしか出来ない状況から、なんとか命が延びるように、QOLを損なわないようにしてきたのが医療の歴史と思いますし、それを支持してきたのは一般社会ではないですか。医療の価値を改めて医療者から提案する必要はなく医療消費者の一般社会が提案するものではないですか。
 今回の改めましてシリーズでは何か、上から目線なのか、営業上の政策なのか医療者たたきを感じます。ただ、5月のエントリーのマスコミの行動様式には納得します。

私は、このシリーズの川口さんの指摘は傾聴に値すると思います。長い間、コスト意識が欠如していたことが医療の現場の問題を、より大きくしています。

>あるいは判断を仰ぐ際に無闇やたらと希望的幻想を振りまいて社会の側に過剰な期待を抱かせたということはないでしょうか。

私は、ここの指摘は当たっていると思います。でも、これを後押ししたのは、箱物にはお金を使うことを容認する、(というかそれによって利権を欲する)社会構造が大きく影響していると思います。

現場の医師の間では、各地で建設ラッシュの陽子線や、重粒子線治療装置の建設には反対の意見が多いのですが、行政のトップにはその声は届きません。

必要の無い新幹線を欲しがることと同様のことがおきているのだと思います。

川口様、コメントの内容をとりあげてくださりありがとうございます。ちょっとドギマギしてしまいました(笑)
いい加減しつこいかもしれませんが、折角なのでもう少し発言いたします。ミヤテツ様のご意見は至極ごもっともなのですが、恐らく川口様のおっしゃる「折衝」が足りていなかったのではないでしょうか。たとえ嫌がられても、そんな要求は過大であるとはっきり伝えて、双方の落とし所を模索する必要があったのだと思います。基本的に医者は、病気を治療し患者を喜ばせる事を至上とするよう、洗脳を受けています。だから患者が望む事を医者も望んでしまうのです。が、「患者の望む事≠社会のニーズ」であることは銘記せねばなりません。

患者と医療者の架け橋などと甘い言葉と知りながらまた騙されて、無駄な時間を費やしてしまった。突っ込みどころ満載で何にも分かっていない。親切に折角警告しても分かろうともしない。指摘を受ければ勝手に切れている。小賢しい言葉を使って賢いつもりのバカの壁。所詮は朝日るか。

えーっと、ちょっと本日の話はコストの話題なども出てきて、理解が難しいのですが・・。

続・改めまして、にて川口様が指摘された「(社会から)正当に評価されてない感」は、私も漫然とですが感じています。そして、医療者個々人の持つ閉塞感が全体の士気の低下や絶望感の一端になっているとのご指摘も間違っていないと思います。

で、「医療の価値」を誰が社会に向けて分かりやすく発信するか、という話ですよね?。
どうも総論としては理解できているつもりなんですが、具体的に何をしてよいのやら・・。
だいたい、マスコミによって不当に価値を落とされたようにも感じているもので(笑)。

>現実には、そのためにどの程度の資源投下をするか。それを社会全体として負担するのは妥当か否か(個人を含む民間が負担するなら話は別です)社会の総意としての判断を仰ぐ必要があります。

これは個々の医師が個々の患者の対処に対して、求めなければならない社会的総意ということではないですよね?
そんなことしていたら、治療に取り掛かる前に、治療機会を失うことでしょう
(これはアメリカのHMOで実際に起きている事例です)

川口さんが言われていることは、保険医療の制度として決めるべきことであって、後期高齢者医療制度を国民が総意として賛成するのであれば、それも宜しいのではないでしょうか?
但し、資本投下せずに、どれほどの治療ができるか?その治療の機会さえ得られるかどうかは保証の限りではありません

日本の保険医療の価値をわざわざ語らなくても、もうすぐ崩壊しますので、失ったものの大きさを実感することになるでしょう

まずは、産科から。次は小児科、救急、一般外科・・・・

医療の価値を説明不要とは思いませんが、医療裁判で見られるような、最低限の理解力さえ持たない者への高度の内容の説明義務を課されてはどうにもなりません。
非難を逃れるためには、どうすればよろしいのでしょうね???

傲慢な消費者ばりの論調である「一市民」説に組みするようでは、まだまだ医療に対する危機感が乏しいと思われます。

あきれたさんの発言がまさに上から目線ではないでしょうか。医療提供側からも、歩み寄る姿勢がなければ、いつまでも平行線です。特に医師は、多忙なために一般社会との接点を自ら避けている傾向が見受けられます。私は子持ちの女医ですが、子育てや親の介護を通して、一般の人たちの考え方を情報として得られる立場にあります。ごく一般の市井の人々の考え方からすると、川口様の意見は傾聴するに値すると思います。要は、その溝をどうやって埋めていくかだと思います。

インターベンション学会報告(1)のエントリにもコメントした者です。今回の一連の記事は本当に重要な内容で、勝手に個人的に貴ブログのベスト記事と認定したいぐらいです(笑)。医療崩壊がマスコミの責任が(厚労省など以上に)大きいのは確かですが、彼らも故意にやっているわけではなくて、みんなが読んですっとするな「売れる記事」を書こうとしているわけです。それが結果的に国民全体の利益を大きく損なうことになっている事に気付く想像力が欠如しているだけなんです。私たち医師も今まで培われてきた業界内の職業規範に従うだけではもはや不十分なのだと思います。社会の要請に答えるためには国民の啓蒙(これも医師自身がもっと行っていくべきことです)だけでは不十分で、医師も自らのありかた、社会に対する接し方を変える必要があるのではないでしょうか。特に黒川先生のように実際に行動している方(必ずしも上手くいくかどうかは分かりませんが)の足を引っ張ったり笑ったりするような医師は社会に対する責任というものがよく理解できていないと感じます。マスコミは絶対悪ではなく、商業主義に毒されているだけなので医療者が工夫すれば自分たちのメッセージを取り上げてもらえるはずです。今後も良質な記事を楽しみにしております。

今回のエントリーの川口さまは、あまりにも現状認識がなくて驚き。
いつもは冷静で、客観的な分析でいらっしゃるのに。

>医師の世界で研究者の方が臨床者より高く評価されるのは
社会一般から見ると、かなり理解に苦しむ話です。

医学部の教授になるようなコースを目指す場合は、臨床のスキルより基礎研究での業績みたいなのが重視されますが、そんなのは医者の中のごく一部分。
今は専門医志向で、大学で臨床の基礎研究に進む医者の激減(基礎医学への進路は更に少ない)。
研修が終わっても大学に入局する医者も激減しているように、臨床のスキルを磨くほうを選ぶ医者が増えてますよ。
最近はiPS細胞の山中教授みたいな一部の人を除いて、医学部卒での研究者は高く評価されてません。

>医療界の独断で勝手に高度化・重装備化を進めてきたことはないでしょうか。

診療技術(medical technology)の進歩は、おのずと高度化・重装備化になります。
先進国では、みんなそう。
勝手に進めたというより、それが技術の進歩のあかし。


 今の医療においては、技量あるいは技術と設備は表裏一体です。ブラックジャックやコトー診療所のようにはできません。何もないところでは現実には何もできないのです。

 コストの問題は、究極的には生命に対するコストの問題です。そして、その生命に対する価値観は民族の持つ死生観に左右されます。
 日本民族の総意として、あなたは平均寿命まで生きたのだから後は治療しないとか、あなたは○○病の遺伝因子をもっているのだから平均余命の80%までしか面倒見ませんとか、コンセンサスができていればコストの削減は可能です。
 江戸や明治時代など、身内の死が身近にあった頃は理解もできたかもしれませんが、日本人の死生観がむしろ退化している現在、コンセンサスを得ること自体が無理ではありませんか。

 フランシスコ・ザビエルもマッカーサー将軍も、『日本人は働くことに価値観を持つ民族である』というような意味の文章を残しています。“箸置き”一つをとっても芸術性にこだわる人種にとって、医療も停滞させることはあり得ず停滞は後退につながります。考え方によってはそれで良いのかもしれませんが、大多数の日本人は許さないでしょう。また私自身もそのような日本人の特殊性を誇りに思っています。

>しかし社会一般から見ると決してそうではありません。
技量の進歩(というより熟練でしょうか)は求めていても
高度化、重装備化を必ずしも求めているわけではありません。


すんげえウソクサイ事実認識です
医療機器の高度先進化を賛美する
新聞・週刊誌・テレビ番組その他あらゆるメディアの記述は枚挙に暇が無いです(例:PET 重量子線療法 血管内手術 定位放射線治療 術中MRI 等等 脳外科領域だけでも数え切れんです 有効性有用性があやしいものも含めて) 逆にそんなもんイランという記述がまーとりあえず一つでもあったらゼヒ示していただきたいです

さらに申し上げると 技量の熟練についても 完成品を求めてるだけで (要するに根底にある発想としては高度先進医療と同じ)熟練への課程 外科医の養成課程について一般人は全く 完全にと言ってとよい程度に無関心で,外科業界全体で悩み続けているのが現状です.一般人がわかってないだけであって,現実の認識を欠いたままの100%願望であります.それでコストの議論ができるわけがないし 実際していない もしくは議論にナッテナイですw

技術とコストに関する認識は大間違いだらけでありましたがそれはさておくと,
医師の自律性が今 必要性を増しているのは間違いない事実です
大多数の医師は 自分を高める努力に集中するあまり 問題のある医療・排除(又は矯正)されるべき医療の問題に無関心すぎた(ないし 大学医局から排除することで満足してしまった)という経緯は間違いなく存在します.そこそこ経験をつんだ医師なら
「こんなん放置しておいてええんかい!」という医療に接触した経験がない方が珍しいくらいです.

その一方で 医師が自律性を持って排除されるべき医療に対処するには
法的権限がどうしても必要であり,これは国・立法府=国民が医師に与えるべき権限であり,未だに与えていないという現実があります.(弁護士には与えてるのに!)

さらに 医者側からみると医師から見て『排除されるべきトンデモ医療」のかなりの部分をメディアが賛美し 国民には区別が付かなかったという状態が未だに続いてます.

国民・メディア・立法府が自覚を持って自律性のための権限整備を進める必要がある時期であります.

いつも御世話になっております。

さて、大体おっしゃるところは同意なのです。
特に「私が見ますに、医療事故調を慌てて作らなくても
不当な刑事事件化は当面そんなに起きないはずです。」というあたり。

ただ一点、マスメディアの責任というかありかたに対する評価に少し異論が。
「医者は医療をやってきた」という言葉に象徴される医療者の唯我独尊性に対する違和感あたりから出発しています。

ここでマスメディアと医療者を比較してみます

マスメディア:社会の公器としての働きを期待(べき論)されるが実はそうでない。

医療者:医療システムについても発言・行動することも期待されるが(べき論)が実際はそうではない。

ここはパラレルであり、

マスメディア:社会のサブシステムであるが自分の価値観で動く傾向がある。いわば自分達を特権階級と思っている(異論はあるでしょう)。

医療者:同上

ここもパラレルです。

こうやって見ると医療関係者とメディア関係者というのはずいぶん似ているなと思いますね

そして、マスメディアをエージェントして使う工作はあってもいい。いいんですが、それが必要であるというところに違和感があるんですね。
これを「現状」がそうであるから、という言葉で免罪するなら、医者が医療ばかりやっているという状況は多分以前から変わらぬ「現状」であるわけで。
現状を変えなければいけないというのであれば、医療が説明・すり合わせの努力をする手だけでなくマスメディアが正しく認識をするという努力をするという手もあるわけで。
べき論で言って、医療者集団は医療全体をマネージするべきだというならば、もっと強いべき論で例え担当業界からの協力がなくてもマスメディアは公正で社会をいい方向へ引っ張る報道をするべきです。


本来医療のように巨大で、誰の身にも関連する出来事に関しては、エージェントさんが活躍しなくとも正しく報道されていく状況が望ましいと思うんですけどね。

医者なんて所詮は職人です。一職人やあるいは職人集団が社会に対してものを言わなければならない状況というのは決して幸せではないと思います

色々書いてすみません。

でも川口さんのような専門メディアの方々というのは
医療で飯を食っている何百万の人々と
医療の恩恵を受けている何千万の人々の強い味方であると思っていますし、いつも応援していますよ。

情報の発信の仕方とか、社会との付き合い方とかまた色々教えてください。
こちらもご協力できることがあればできる範囲でお力になります。

北海道夕張の村上医師のような取り組みが今求められているのではないでしょうか?
彼の実績として、
コンビニ受診が減った
医療費が減った
健康予防意識が住民に広がった
市の赤字が減った

彼の地域医療を守ろうとする姿勢が住民に伝わり、医療訴訟などとは縁遠いものを
作り得たのではないでしょうか?
http://www.drstyle.com/EH_primary/yubari.php 動画
http://www.htb.co.jp/mikio_journal/ 動画
http://www.kibounomori.jp/center/

夕張の場合は医師側から住民に対し、呼びかけたわけですが、
市民側から呼びかけが始まったものとして、
同じく千葉県立東金病院、兵庫県立柏原病院も同じようなことが言えるのではないでしょうか?
http://www.drstyle.com/EH_primary/togane.php 動画
http://www.geocities.jp/haruefjmt/
http://www.mamorusyounika.com/

今後は医療者と住民が顔を突き合わせ、お互いを理解しあうことが大事であり、
それが唯一医療崩壊を食い止める方法のような気がしてきました。

医療者の皆様のコメントを読むと、瑣末な部分にばかり、
揚げ足取りをなさる方がいらっしゃるのだなと感じます。
おそらくこうやって、今まで距離を縮めようとしてきたメディアを
追い払ってきたのではないかと、
その場を目の当たりにしているように感じます。

川口様は、一度大手マスメディアを経験され、
フラットになった状態から医療界を見た上で、仰っています。
いまさらマスメディアに肩入れなどしようがないでしょうし、
そうしたものは超えた状態からの提言だと感じます。
全く新しいレベルでの議論をし、その上で、「一緒にやりましょう」と仰っています。

これまでにはなかった、お互いの在り方を提案されています。

「架け橋」という立場でありつつ、医療者の方にこうした意見を仰ることが、
どれほど勇気が要ることでしょうか。

それなのに、なぜその議論を一段低い状態に持っていかれるのでしょうか。
そのような撥ね付け方を見せられると、一国民としては、残念でなりません。

先生方は、この日本の中でトップクラスの頭脳と技術を、
そして患者を思う優しさをお持ちの方々です。
川口様の仰る本質的な部分を、感じておられるはずです。

どうか、一緒に今後を考えていきませんか。

私も自分の立場から精一杯努力します。
そして、医療者の方にも、一緒に努力して頂きたいと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

要するに、医者は宣伝広告費が少なすぎるぞ、と。そういうことですね、わかりますとも。

トヨタや毎日の失策失敗がいっかなメジャーメディアで取り上げられないのがその証拠ですね。

医者は偉そうにしたければ金を払え。そうすれば偉そうに報道してやるから。なるほど簡単な話です。ですが、ネットが既存メディアを自然消滅させていく傾向は医療崩壊よりもちょっと遅い程度の速度で進行中です。いまさら既存メディアに何か払う意味があるかどうかはよく考えたほうがいいと思いますよ。

現実問題として、医療界が社会の多くの国民に訴えかける手段はあるのでしょうか?
今まで医師会はマスコミに対して記者会見をしたり、意見広告をだしたり、ホームページで意見を出したり、チラシを作って各種機関に配布したりしています。これ以外に何をすればいいのでしょうか?
マスコミに大々的に報道してもらう以外方法はないと思います。そして、そのマスコミは「公器ではない」「売れる記事しかかけない」とケツをまくって(失礼!)、本当の意味で社会が良くなるすべを書こうとしない。

本日の某有名キャスターの番組でも、医師不足しか出さず、根本の問題である「医療費不足」については全く言及しない。
もしかして、もっとマスコミに資金を提供しないのがいけないのですか?某金融機関や某自動車会社のように多額のお布施をしないと報道してくれないのですか?

もうなにをやっても無駄だと思います。特に最近のマスコミ報道、市民の反応を見ていると絶望感しかありません。
数年前に医療崩壊問題が本格化したときに「何を国民に訴えても無駄だ」と思いました。その後マスコミによる医療崩壊の特集が組まれました。これで事態が改善されるかと思いましたが、未だに大多数の国民の考えはここと一緒のようです。何も変わりませんでした。
医療を理解している、と思っていたマスコミの方々も結局は他の国民と一緒。
他の国で普通に行われている待遇を求めるのがいけないことなのですか?間違っているのは医療者なのでしょうか?
やはり、行き着くところまで行って国民が困りに困らないと事態は改善されないようですね。

いつも拝読しています。
大変参考になるご意見をありがとうございます。
 川口様は患者側・医療者側の双方から不満が出ている原因をどのように考えておられるでしょうか?
 川口様が維持すべき医療システムと捉えているのは国民皆保険制度のとこだと思いますが、このシステムは運用当初から根本的な欠陥をもつシステムです。国民には保険料を課し定額の自己負担で一定の医療が受けられますとアナウンスしています。ところが医者を含む全ての医療者をコントロールする術を持っていません。またコントロールされるとは思っていません。これまで表面上はシステムの矛盾が噴出しなかった理由は、非合法的組織である医局が医者をコントロールしてきたことと(他の医療従事者は数が多いためコントロールの必要が少なかった)、患者の要求が低かったことがあります。
現在両者が無くなりました。患者側の要求は“夜間いつでも診ろ、どの地域でも専門医が診ろ、絶対にミスを犯すな”等です。また司法もこれに従い“夜間救急でも専門医と同様のことをせよ、手術において血管損傷などもってのほか”等で民事裁判での賠償を命じてきました。一方で医局が弱体化し医者のコントロールは不能となり、もともとの医者の総数の不足から地域・診療科などで一定の医療が不可能になりました。医療者側に直接“特定の地域で医療をせよ、特定の診療科をせよ”と言われても困ります。国に言って下さい。

この状態は患者・医療者からともに不満をもつ状態です。

不満が患者・医療者からあるため、システムの維持を目指すならば、患者側には“この程度で我慢して下さい”、医療者側には“コントロール下に入って下さい”と説得しなければなりません。川口様が患者側への働きかけのみでいきずまったのは当然だと思います。

さて解決はできるでしょうか??
欧州では多くは患者・医療者をともにコントロールする公的医療、アメリカは公が関与しない医療をとっているため、このような問題は生じにくいシステムです。日本はどうしますか?

もうひとつ。
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そこまで話を戻すかと思ったかもしれませんが
刑事司法の不当な介入が頻発したのも
元を辿れば医療界が社会に対して向き合ってこなかったことに行きつかないか
こう私は考えるに至りました。
-------------------------

反対にお伺いしますが、医療界以上に社会に対して向き合ってきた業界はあるのでしょうか?どの業界がどのような活動をしてきたのかお教えいただけませんか?参考にさせていただきますので。

ちなみに、私は他の業界の社会に対しての取り組みをまるで知りません。「医者は社会的に関心が無い」というのなら、医者になる前でさえそのような他業種の取り組みなど存じません。是非そのような他業種の取り組みをお教えください。


以前にもコメントさせていただきましたが、この業務上過失致死の厳罰化に関しては最近のマスコミ報道が主な原因だと思います。ワイドショーで「人が死んでいるのだ、責任者を出せ。血祭りにしろ」と言って国民を煽って。その結果廃業に追い込まれたり、社長夫妻を自殺に追い込んだり。

そのくせ、今回の毎日新聞の変体記事に代表されるように、己の失態に関してはまともな謝罪をするどころか「ほとぼりが冷めるまでだんまり」を決めたり、「後でネットに仕返ししてやる」と逆恨みしたり。


話はそれましたが、この業過死に関してはむしろ医療業界のほうがより先に対策を練っています。反対に他の業種で医療業界以上に業過死に関する対策を練っている業種があれば是非教えてください。

川口氏の指摘は核心を突いていると思いますよ。多発性の転移性脳腫瘍に何回もガンマナイフを当てて、医療費が足りないと言っている方がおかしい。国民はこれ以上医療は発展する必要はないと言ってるんです。現状の治療を同じ金額でやってくれといってるんですから今更新しい治療法や設備に金をかけるのは使わない道路を造るのと同じです。あとはわれわれが個別に契約して折り合いをつける、できることとできないことをはっきりさせればいいことで、何も国民に対する広報などと考える必要はないと思います。これから陽子線などの巨費を投じるのであればどうぞ自費の範囲でということですね。

地方の勤務医様に同意です。

>一市民様
すみません。
リンクがいっぱいだったためか
SPAMコメントに埋もれていて
気づくのが遅れました。

 皆様の意見がまとまらないようですね。アメリカ型の自由主義型医療制度と北欧型の国家型の医療制度のどちらをとるかという、これからの基本方針に影響する事柄だからかもしれませんね。
 日本の医療制度は、給料から天引きされている保険料を税金の一部と考えれば北欧型に近いわけですが、補填分を国が負担する率が少ないというのが特徴でしょう。
 厚労省は医療費増大を唱えていても、国は他人のフンドシで相撲を取っているに過ぎません。北欧の国々を始め医療を国家がまかなっている国は、福祉予算で日本よりもっと苦しんでいるはずです。
 道路を整備するのは悪いことではありませんが、破損していない道路をも掘り返し、林道を作り、誰も使わない娯楽施設を作りまくっていたわけです。

 私は、輝かしい未来、100年後には、誰でもが1年に一回は精密検診をタダで受け、ガンが見つかれば“ガンマナイフで”徹底的に治療し、健康的で豊かな生活を送れるような時代が来てほしいと願っています。
 ちなみに、それほど難しい事じゃありませんよ。一人10万円で日本国民全員にPETをやったって、たかが10兆円ですみます。
 私は国民全員がそれにむけて努力すべきなんじゃないのかと思いますがいかがでしょうか。

地方の勤務医様:

>多発性の転移性脳腫瘍に何回もガンマナイフを当てて、医療費が足りないと言っている方がおかしい。国民はこれ以上医療は発展する必要はないと言ってるんです。

どこの誰が「これ以上医療は発展する必要がない」と仰っていますか?そんな話は聞いたことがありません。むしろ、もっと発展して欲しい、値段は下げて欲しいという声しか聞きません。

自分の命がかかっている時は、誰だってどんなことをしてでも助かりたい、と思うのは当然です。ガンマ線治療にしても、医師がお金儲けをしようとしてやっているのですか? 医師はある程度学会内でコンセンサスが得られた治療法を行っているに過ぎません。そして、その治療を行わずに病状が悪化し死亡したらマスコミが「医師の怠慢」と揶揄し、遺族側が「もっとキチンと治療してくれれば助かったのに」と言って民事・刑事両面で医師をバッシングするでしょう。

>あとはわれわれが個別に契約して折り合いをつける、できることとできないことをはっきりさせればいいことで、

そんなに単純な話ではないと思います。
後で
「そんなこと聞いていない」
「たとえ聞いていて、実際に文章で残っていても、患者側が理解していない。理解していないのは説明を十分に果たしていないからだ」
「同意書などをもらっていても患者が納得してサインしたものではないから無効」
などといわれるのがオチです。(実際そういう事例は枚挙に暇がありません)

追記:

「これ以上医療は発展する必要がない」などの発言をする人は、しょせん医療なんて他人事なんだと思っているのではないでしょうか?他人事だから医療費が少なくなればいい、という発想になる。
では、自分がいざ難治性の病気になったとしても同じことが言えますか?昨日も書きましたが、自分や自分の最愛の人が病気になったらどんなことをしてでも助かりたい、助けてやりたいと思うのが人情です。そのような苦しみの真っただ中にいる人に対して「医療費がかかるからもう医療が発展しなくてもいいよね?」なんて言えますか?少なくとも私はそんなことは言えません。

しかし、現実問題として、そのようなことを言えないからと言って好き放題に医療資源を消費すればいずれ破たんするわけです。となったら方法はひとつ。税金や保険者からの医療費補助の上限を設けてそれ以上かかる場合は自己負担とするしかないのではないでしょうか?いわゆる混合診療ですね。

いつも良質な記事をありがとうございます。勉強させていただいております。今回の記事には川口様の情熱と(えらそうな物言いで恐縮ですが)ジャーナリズムを感じました。しかし、内容には違和感も感じました。私の感じた齟齬を述べさせてください。

>どうか医療者の皆さん自身で
皆さんの価値を社会に説明してください。

上記は「医師」を職能団体としてみた場合にはそのとおりです。自身の社会的地位を向上させるために社会と交渉するのはあたりまえですし、マスコミを利用して世論を形成するのも効果的な方法でしょう。ちなみに、医師の価値を最も効果的に社会に説明する方法は、ストライキであり、医療崩壊だと思います。

当初、多くの医師は医療崩壊によって日本の多くの人々が不幸になることを憂いており、できることなら回避すべきと考えました。それは職能団体としての利益のためではなく、純粋に社会正義のためと理解しています。

医療は社会的インフラの一つです。水道が整備されていない地域ではその地域の配管工が悪いわけではないはずです。配管工に「水を持って来い」と言われても、彼らだけの力ではどうすることもできません。

医師は一度は社会正義(空回り)のために医療崩壊を防ぎたいと考えましたが、その力を持っていませんでした。次第に、職能団体としての利益(というか労働者として与えられる最低限の権利、まだ手に入れていない)に目覚め、医療崩壊を受容したほうがむしろ良いのではないか、という考えが拡がってきています。

マスコミは社会的に大きな影響力を持っていますが、社会正義または理性を持ってないように思います。大きな影響力の無いジャーナリストには社会正義や理性はあるのかもしれません。

結論として現在の医師は社会を啓蒙するだけの力は無いと思いますし、その意欲を失いつつあります。なぜなら、啓蒙することへの絶望、医療崩壊事態が医師の社会的地位を向上させる効果的な手段となり得る、からです。

個人的には今の医療制度は医療従事者にとっては大変厳しい制度ですが、国民にとっては理想的な制度であり存続して欲しいと思います。一勤務医としては成り行きをみて結果に備えるしかありません。

暇人28号様:
あっちにも書いていただいたのにこちらにもご意見をいただいていたんですね。恐れ入ります。私が「これ以上医療は発展する必要がない」と書いたのはおそらく貴方様のお考えの裏返しだと思います。国策として医療費を削られるのであればどう考えても医療レベルは後退せざるをえません。当り前の話です。無い袖は振れません。今まではそれでも何とか頑張ってきましたが、今度は司法からそれもまかりならんと言われているんです。県立大野事件からもすでに2年経ちました。もう2年も経つのにさらに医療費を削ろうというのですから「これ以上医療は発展する必要がない」と言っていることと同じではありませんか?いえ、決してひねくれたり恨んだりして後ろ向きに考えているのではありません。これが国としての答えだということです。個人のことと考えればさらに医療が発達してほしいのは言うまでもありません。自分に置き換えてもそうです。ところがこの国は全体のことを考えるとそうは思わないのです。むしろ使わない道路や空港を作るほうが大事だと思っているのです。
私はおそらく医療が国を滅ぼすのではなく、経済が国を滅ぼすのだと思っています。

追記します。
ガンマナイフは確かに効果的ですし、私もオーダーしてます。しかしその費用を出すため従来行われていた検査、治療が削られているんです。私は新たな治療法、検査法が認められたらその分の医療費は新たに加えられるべきと考えていますが、決してそういうことはありません。つまり同じパイの中で取り合いしているだけなんです。コストパフォーマンスとしてどうか?ということを疑問に思っているだけです。ドクターヘリまで保険内でなんてことになったらどうなります?
私も現在の医療費の問題を解決するためには混合診療しかないとは思っていますが、それは同時に我々医師が医療をコントロールできなくなるということです。混合診療、自由診療、病院経営に参入したがっていた方々の思慮深さには恐れ入ります。そうなれば、おそらくそう遠くない未来に「シッコ」の世界は訪れるでしょう。守られた傘の下で、契約された治療のみを行う、それがいいのか悪いのかは現時点ではわかりません。

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