雨傘番組

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年08月21日 00:01


8月20日は公判終了後に「福島大野事件が地域産科医療にもたらした影響を考える」も開催された。
私は「裁判傍聴をして」という報告をした。
ただし、裁判傍聴に入れない可能性も十分にあったので
入れなかったら、この内容で話をしようと思って準備していた。


丹波新聞の足立記者からは「こっちも話せばよかったのに」と言われた。
それもそうだなと思ったので
シンポジウムの模様をご報告する前に「雨傘番組」を掲載する。


実は、裁判所から会場まで乗ったタクシーの運転手に「あんな医者は野放しにしてもらったら困るよねえ」と言われて絶句した。おそらく彼の頭には、警察が逮捕当初に発表し報道された情報しかないに違いない。裁判でどのような情報が出てきたかを知っていれば、絶対にああ言わないと思う。


今回も加藤医師は凄まじい報道被害を受けた。似たようなケースは過去に何度もあったのに、なぜメディアは同じことを繰り返すのか。



最初は「クーパーで無理やり剥離」と報じられていた。しかし判決の中では争点としてすら扱われていなかった。



最も社会の印象を決定づける初報の段階で、検察の無理筋の見立てに引きずられて報道してしまっている。
東京にいたため現物で検証できないのだが、後述する理由により、県紙の報道が朝日新聞以上にバランスが取れているとは考えにくい。だから、もし朝日新聞の報道を見てヒドイと思うのなら、県紙の報道はもっとヒドかったはず。







医療界の方々は、「なぜちゃんと取材しない」と憤りを覚えるだろう。
でも実はメディア側にあまり「取材してない」意識はなかったと思われる。
なぜ、こうなるか。
答えは簡単。


一般の人は、メディアに調査能力があると思っているだろうが、実は独自の調査能力はほとんどない。陣容を考えれば当たり前の話。
実は誰かから教えてもらった話を右から左に流しているに過ぎない。


そして、その「誰か」というのが、既存のマスメディアは、ほとんど当局とニアイコールになっている。
「優秀な記者」とは、当局から情報をもらえる記者のことであり、逆に言うと当局と良好な関係でなければ大多数のマスコミ記者は生きていけない。(一部、反体制的団体と結び付いている記者もいるが、それはアンチテーゼとしての存在であって、サイレントマジョリティの声を丹念に広いあげる記者など極小数しかいない)


マスメディア自身もどうするのか問われているし、受け手の側もそのように当局(あるいは反体制派)の発信する情報をニュースと思い込まされていないか、振り返る必要がある。


マスコミ側が以上で指摘したような「業」に自覚的であるならば、ある意味、メリットがデメリットを上回ることもあるだろう。
しかし、かつての自分を振り返ってみて思うのは、とにかくリスクを取るな、誰かが責任を取ってくれないことには触れるなという教育をされていないか。
おかしなことを当たり前におかしいと思う感覚が、忙しさの中で麻痺していないか。








今日の判決で、医療界の対司法の取り組みは一区切りついただろう。
次は対マスコミの取り組みが必要な時期かもしれない。
マスメディア再生のためにも、医療界の方々は面倒がらずに、働きかけを続けていただきたい。

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コメント

川口様 ご無沙汰しております。
先日、読売新聞の地方版に載せる記事の取材を受けた際に、記者の方と四方山話になりました。「最近、新聞記者という職業に人気がなくて・・・」「新聞の部数も減って・・・」「若い方が新聞を読まなくなって・・・」というくら~い話を聞きました。私自身も、インターネット(ブログ)から得る情報を酌量しないと、新聞の記事が信用できなくなっていることを自覚しております。また、TVにおいても、その内容の薄っぺらさはいうまでもなく、呼ばれた著名人やその道の専門家が「討論」と称して勝手なことをのたまうTV版ブログがまだしもましか・・、という状態になっております。
今回の大野事件は、確かに、医療界と既存のマスコミ界の決別が始まったエポックと後世決定づけられるかもしれません。川口様が丹念に、そして忠実に書き込まれたリアルなこの事件の裁判の模様や、所々に入る川口様の視点が、医療再生へのほのかな灯りをともして下さったものと私は感じておりますが、新聞の投書欄とは異なり、読者とディベート(バトルではありません)が出来る報道の器が誕生していることを大変喜ばしく思っています。一度この味をしめると、通常、二度と一方通行の世界に戻れないと思います。
哲学でいう「アウフヘーベン(止揚)」ではないでしょうか(笑)?

 判決文を拝見しますと今回の裁判官の方々は、全く論理的で正当な判断をされと思います。
この裁判では医師の過重労働とか、一人医長とか、いろいろな問題が浮き彫りにされましたが、単に、
『標準的な範囲の医療を行なって結果が悪ければ逮捕では、医療行為そのものが成り立たない。』
が全医師の想いだったはずです。
 マスコミは医療不信など他の問題が根底にあるように書いていますが、問題の本質を理解していないように思います。
 夕刊には、警察のコメントとして「遺族感情が・・・」とありましたが、遺族感情を優先させた警察・検察側と学術・経験則に立脚した医療側との対立であったと考えます。
 逮捕時の記者会見で警察のコメントは「青戸病院と同じ臭いがする」、検察の「いちかばちかでやってもらっては困る」だの、これからすると単に警察のパフォーマンスであったのかもしれませんが。新聞各社は問題の本質を論理的に考えていないようでした。
 なにはともあれ
 川口様、ご苦労様でした。
 皆様のご活躍により本当に勉強することが出来ました。
 ありがとうございました。

川口さん こんにちは

いやぁ、面白いですわ。
やっぱり目からうろこです。
色々考えることはありますが粘り強くやっていかなくちゃいけませんね。

雨傘番組として埋もれさせるには、あまりにも惜しい内容です。ロハスメディカル本誌に載せてはいかがでしょう。

今般の大野病院事件で、被告人の医師の方が無罪判決を受けたことに関しては、多くの方がコメントされているので、違った角度から、この事件の問題点を述べて
みたいと思います。
即ち、今回のような典型的な『不当逮捕』に対して、警察の暴走に歯止めを掛けることを求められている、裁判官の逮捕状発布に際してのチェック機能が機能不全に陥っていて全く果たされておらず、事実上、警察の(今回で言えば富岡警察署)フリーパスだったという点です。
(このチェック機能が十全に働いておれば、この様な事件は起きなかったのに)
つまり、逮捕状発布請求という、手続きが一つ増えるものの、戦前と同様に、警察の胸先三寸で身体の自由を拘束される、という点です。
この点を気づかせてくれた点で、今回の事件は貴重に思われます。

結果的に松本サリン事件の河野さんを、また作っちゃったわけですね。
加藤先生ご自身が各社マスコミを訴えれば少しはフィードバックがかかるのかもしれませんが、そういうことはなさらないでしょうし、(以前にも書きましたが)医療者の代表として医師会が被害医師の代理としてコメントを残すべきなんだと思います。

坦懐さんのご意見は、私が当日のシンポジウムで主張したこととほとんど同旨です。さらに踏み込む必要もあります。
「今回のような典型的な『不当逮捕』に対して、警察の暴走に歯止めを掛けることを求められている、裁判官の逮捕状発布に際してのチェック機能が機能不全に陥っていて全く果たされておらず、事実上、警察の(今回で言えば富岡警察署)フリーパスだったという点です。
(このチェック機能が十全に働いておれば、この様な事件は起きなかったのに)
つまり、逮捕状発布請求という、手続きが一つ増えるものの、戦前と同様に、警察の胸先三寸で身体の自由を拘束される、という点です。
この点を気づかせてくれた点で、今回の事件は貴重に思われます。」

これに関連したスライドで、
検察官がふろしきで裁判所にやってこれるのは、「検察庁」と「裁判所」が地下でつながっているからという話をスライドに書いたら、国会議員の方々が大喜びして笑っていました。
一日に相当数の逮捕状を発行する裁判官も大変なのですが、逮捕状発布請求に添付する「資料」は何でももかんでもOKで、誤った情報か否かも全くチェックする間もなく判断しなくてはならないのは、システム上問題があります。現行法上、「正当な治療行為を行った医師」が逮捕・起訴されないためには、裁判官に普段からこの認識を強くしてもらうしなないと考えます。

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