どこで、何を見ているのか

投稿者: | 投稿日時: 2009年03月14日 10:28

川口さんのエントリー「コップの内、外」での指摘を受けて、あらためて自分の立ち位置を振り返った堀米です。我ながら、ときどきわからなくなりそうになるときがあります。

私は、「周産期医療の崩壊をくい止める会」の事務局がおかれている研究室に所属しています。しかし医療者ではありません。自分はウチとソト、どっちにいるんだろう・・・今回もちょっと考えてしまいました。私の出した答えは・・・。


「コップのフチにつかまって、外側にぶら下がっている」

これが私の正直な感覚です。
あきらかに内側にいる感じはしていません(傍目にはそうは見えないんだろうと思いますが)。でも、完全に外側でないことは自分でも認めます。コップの外側に接している状態よりは指2~3本分内側に入っているくらい。だから↑なのです。

ところで、「コップの内にいるか外にいるか」というバックグラウンドとは別に、医療崩壊という問題に関して、あえてもっと単純に「医療崩壊について関心がある人」と「医療崩壊について関心がない(あるいはどちらかといえばない)人」の2つのグループに、国民全体を強引に分けるとしたら・・・。私はかろうじて前者かと自負しています。


最近では全国の“患者”さんたちも、だいぶ前者に含まれる人が増えてきた感じがありますよね。医療という“業”(by内橋氏)の危機あるいは危機感について、既得権益の外にいるとはいえ、やはり当事者としての意識をもっているからだと思います。

問題は、残る大多数の、後者に属する人たち、つまり“患者”(になる可能性がある)という意識のない一般国民(有権者)の無関心をどうするか、という点ですが、それにつては、当然、どう考えてみても私から簡単に名案が出てくるはずもなく・・・。


ただひとつ思うのは、その後者の人たちを考える前に、前者に含まれているはずの、「関心はあるけど、自分になにができるかわからないので特段のことはしていない人たち」にも、もっと思いを馳せてもいいかな、ということです。

それは何を隠そう、私自身がそこに入っている気がするからです。もちろん、仕事では医療崩壊をくい止めるアクションのお手伝いをさせていただいているのですが、家で子どもと過ごしている自分には、医療崩壊のために何かしている感覚はありません。もちろんコンビニ受診を控え、かかりつけ医をつくるなど、最低限のマナーは守っているつもりです。けれどそれくらい、別に普通のことです。つまり、世の中には騒がれているようなモンスターぺイシェントばかりでなく、私のようなごく普通の、“比較的”善良な患者も、まだまだ多いと思うのです。そしてその中には、「医療崩壊に関心があるけれども、どうしていいかわからないから、ただただ静観している」という人がけっこうな割合を占めている気がするのです。

ここでまた改めてコップを持ち出してくると、この人たちは、私のような特殊な場合を除き、普通はコップの外にいて、内側を眺めている状況ということになります。(関心のない人はコップの外でどこか違う方向を見ているんでしょうね。)なんかその状況がもったいないなあ、というのが私の漠然とした印象なのです。そこをもうちょっといじれないのかなあと。

もちろん、コップの内にいて、外に関心を払っていない人たちのほうが、そもそも問題で、そういう暢気で傲慢な人たちをどうにかするほうが先なのかもしれませんが・・・。そこをどういじるかは、残念ながら、やっぱり私の扱える範疇を超えているのです。

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