東京ER構想の実情。

投稿者: | 投稿日時: 2009年04月02日 14:38

閑話休題。一昨日に引き続き、愛育病院問題から派生した周産期母子医療センターの指定再編に関するエントリーに関連した話です。

上記エントリーに対し、Med_Lawさんより、「労基法の問題を完全に無視していた周産期医療センターの問題と同様、2002年の東京ER以降、東京の救急医療体制でも、同じ問題が起こっている。これついて、まだ東京も厚労省も沈黙している」という趣旨のコメントをいただきました。

私も気になったので調べていたら、こんな記事に出会いました。

当直医ルポ(5)「苦闘」 理念実現 まだ手探り
asahi.com 2008年2月18日

(記事引用)
突然の指示に耳を疑った。「墨田、江戸川、江東3区の救急車を全部引き受けてくれ」。石原慎太郎・東京都知事の発案で始まった「東京ER(救急室)」構想。その第1号として、救命救急センターを併設する都立墨東病院(墨田区)に白羽の矢が立った。・・・・

 適切な治療ができず患者が命を落とすことがないよう、軽症・重症を診る「救急診療科」と、生命の危機に対応するセンターが一体となって全患者を引き受ける。センター部長の浜辺祐一(51)は当時、戸惑いながらも「住民が安心できる救急医療をつくる好機」と感じたのを覚えている。

 01年11月、ERがオープンすると患者が殺到。待合室はごった返し、苦情が増えた。混乱解消のため、浜辺はセンターの救急医を4人増やし、ERのコーディネーター役とした。当直は各診療科の医師が交代であたるが、現場に救急医は欠かせない。複合的な病気の診療、患者の苦情対応、急患を敬遠しがちな各科の医師との調整……。

 3区すべての救急対応は不可能だったが、救急搬送はER開設前から3千件増えて年9千件。救急外来には5万人近くが訪れ、この年末年始も4時間待ちだった。

 耐え切れない医師は次々に去った。退職で空いた穴が埋まらない診療科もある。浜辺もひと月に6回の当直をこなす。診療所で対応できる患者も押し寄せ、重症者を断ることも多い。「すべての患者を引き受ける」という当初の理念とは逆に、地域の救急病院や診療所との役割分担が必要と思う。
(後略・引用終わり)


ちなみに、東京ER構想についての東京都病院経営本部の解説はこちら


よくわからないのは、なぜ軽症まで受け入れることを高らかに謳ってしまったのかです。現場の医師が急に聞かされ他というくらいですから、人員増加などの措置はなく、カタチだけ組み替えて急にこしらえたということでしょう。そこへ軽症患者まで噂を聞きつけて気軽に押しかけたら、キャパを超えるに決まっています。
コーディネーターを立てるなどして急遽対応していますが、救急搬送数が以前の3倍、救急外来4時間待ちの事態は異常です。どう考えても以前は近くの診療所などに、その診療時間に合わせてかかっていたような人たちまでが、自分の都合にあわせて訪れるようになったに違いありません。


つまり、いわゆるコンビニ受診の増加の原因は、患者のモラルの低下だけではなく、行政の失策にもあったのですね。人はどうしたって「やっていいよ」と言われれば、易きに流れるものです。だからこそアクセスコントロールの必要性があるわけで、東京ER構想はそれに完全に逆行しているようにしか思えません。


国は、かかりつけ医を持つことを奨励し、そのために臨床研修でもプライマリケアに重点をおいたプログラムを推し進めてきました。いろいろ問題はありますが、アクセスコントロールという観点では、かかりつけ医の果たす役割は非常に大きいことは、以前もコメントを頂いたとおりです。


結局、国の施策と東京ER構想に整合性が見出せないということです。まさに、縦割り行政のしわよせ。原因とそして現状まで、周産期医療と同様の問題が起きているというわけですね。あとは、救急版・愛育病院が現れるのも、時間の問題ということでしょうか。その前に、患者の身に関わる出来事が発生して、マスコミを賑わせることになるかもしれません。ちょっと、というかかなり怖いです・・・。

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