死因究明は、生きている私たちのため。

投稿者: | 投稿日時: 2009年04月09日 14:17

先日、知人に教えられて「相棒」という連続刑事ドラマ(?)の再放送を見ました。監察医制度が東京23区をはじめ限られた大都市にしかないこと、また、それにより、異状死体の死因究明が非常にずさんであることを題材とした内容でした。(本放送:2008年3月12日(水)9:00~9:54pm 相棒6 第18話「白い声」 あらすじはこちら←ネタバレです。)


そういえば、保険金を当て込んだ殺人などの犯罪死や、欠陥湯沸器による一酸化炭素中毒死などの事故死をただの病死と取り違えたケースが、一昨年頃に相次いで報道されました。当時、こうしたいわゆる“異状死”の問題について議論が高まっていましたが、現在はどうなっているのでしょうか・・・。

まずは、当時の記事。
死因究明なおざり 変死体解剖わずか9%
読売新聞 2007年5月18日


一方、福島県立大野病院事件で取り沙汰された医師法21条とも関連して、ほぼ時を同じくして、診療行為に関連した死亡に関する死因究明についても、議論が巻き起こりました。これを受けた厚労省が検討会を開催し、昨年、相次いでまとめられた「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案(第三次試案 )」「医療安全調査委員会設置法案」に対しては、現場医師から反対の声が次々と上がり、アンケートで民主党案に軍配が上がる事態も見られました。それでも厚労省は、(ずっと傍聴してきた川口さんいわく“反対派の意見も聞いたというアリバイづくりにしかならない”)この検討会を、昨年末までに17回も開いてきたのです。


・・・と、つい、診療関連死のほうに熱が入ってしまいましたが、今回、私が気になっているのは、もし自分や自分の大切な人たちが病院のベッド以外で、亡くなった状態で発見されたとき、それが本当に病死かどうかきちんと判断してもらえるのか、ということです。


先にお示しした報道にもあるように、日本では変死体が見つかると、まず警察官が駆けつけて医師の立会いの下に「検視」が行われます。しかし、医師は法医学の専門医(←まったくもって足りていない!)でないことが多く、また専門医であっても、触ったり見たりするだけの検視では誤診が多いというのです。ほとんどはそのまま、それらしい死因をつけて、火葬してしまうといいます。


これについては、一昨年の時点ですでに民主党が「変死体の死因の究明の適正な実施に関する法案」「法医科学研究所設置法案」を国会に提出しています。また今年に入り、与党も「異状死死因究明制度の確立を目指す議員連盟」を発足させました。以来、2週間に1回のペースで、オープンの会合を開催しているようです。


ところが、上記議連の報告にもあるように、議員の方々、そして国民の関心は、かなり低いといわざるを得ないようです。


実際問題、「死んでしまった人より、生きている人」という考え方もあるでしょう(とくに国会議員は、票に繋がるか否かが大事でしょうね)。法医学の専門医不足への対処という点も含めると、管轄する省庁は多岐にわたり、結果としてだれがどこから手をつけていいのか、無責任になりがちなのも想像に難くありません。診療関連死との線引きやその是非等についても、クリアすべき難しい問題があります。

しかし、だからといって放っておいてよいはずがありません。確かに平和な日本では、私が見たドラマのような“病死に見せかけた殺人”(あるいは殺人に見せかけた自殺etc...)なんてことはめったにないだろうと思います。それでも、死者あるいは死そのものを大事にすることは、死者のためだけでなく、生きている私たちのためだろうと、私は思うのです。


個人的なことですが、数年前に、初めてきちんと喪服や数珠を買い揃えようということになったとき、私は当初、「めったに使うものでなし、なんでもいいでしょ。数珠やなんかもお金をかけないで、プラスチック製でもいいか」なんて考えていました。しかし母に、「そういうときにこそ、本物を身に着けなさい。そのほうが奥ゆかしいでしょう」と言われ、はっとしたのを覚えています。


そういう感覚を、しばらく忘れていたような気がしました。自分たち、のみならず誰であろうと一人の人間が、何十年と生きてきたその最後をお粗末に扱うのは、ちょっと悲しいことです。そして今、社会がそんな状況でも平気でいられるのかと思うと、やっぱり残念です。

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コメント

死因究明と一言で言うと間違えやすいので、用語を分けて頂けないでしょうか。

1.異状死体の死因究明
  a.犯罪性を疑う死因究明
  b.病死の診断書を書けない死因究明(病院外死)
2.診療経過責任追及のための死因究明
3.病態把握のための死因究明(病理解剖)

すくなくともこれらはかなり性格が違うと思います。
これらの中で生きている人たちの健康に役立つ可能性があるのは3.です。2.も役に立つという人もいるでしょうが、誰に責任があるのかではなく、どこをどう改善すべきかという視点での調査でなければ、生きている人の健康には役立ちません。「反省文」ではなく「改善計画」でなければならないのです。3.と同じく病理解剖にし、生前の診療経過と医療機関の診療システムを調べなければなりません。判断の水準は「一般的水準」ではなく、論理的にエラーの起こる可能性を判断しなければなりません。
1.a.と1.b.もかなり性格の違うものです。
1.b.を1.a.と同列に扱おうとするから、「病院で最期を」という意見を払拭できず、安らかな死を迎えて頂けない方が多くいます。
1.a.の死因究明は犯罪の抑止力という点で少し期待できますが、健康維持・改善には全く役に立ちません。そもそも生きている人を対象とした臨床医学に関する問題が中心の医師国家試験を合格した人に、犯罪死の究明を求める方がおかしいでしょう。別の教育と別の試験が必要でしょう。

この問題の混乱の核心は検察が、医療事故に対し「医師法21条」をもって立件したことに起因します。誰がどう読んでも医師法21条には医療事故関連死の義務づけなど読み取れるはずはありません。法律で制定されていないものを省令で済ませようとする事が問題です。必要ならば別に法律を制定すべきなのです。

さて私は、海堂さんの「死因不明社会」にある程度シンパを感じています。入院患者担当医ならば受け持ち患者さんの死に際し、その98%以上は原因について特定できるかとは思います。しかし人間も生き物である以上、入院中の突然死も含めて不確実な面があるということは言えると思います。その一方で病理解剖にしろ法医解剖にしろ、ますます頻度が減ってきている傾向があります。
そこで最低限、死後画像診断や死後の検体保存をある程度の期間、コストを要求できるようにして欲しいものです。
たとえば、CTあるいはMRIで全身の画像情報を残す。同時に血清を5年間保存する。遺族が望まない場合は免除可能。これでも100%の特定は不可能ですが、ないよりは、医師・遺族双方にとっても良いのではないかと思います。

ちなみに日経メディカルから以下のようなニュースが流れてきました。
□■密かに始まる「医師の起訴を促す制度」■□
 一般市民の判断で、医師を刑事裁判にかけられる制度が開始直前であることを
ご存知ですか?
 2009年5月21日から、改正検察審査会法が施行されます。これにより、従来、検察官に委ねられていた起訴・不起訴の判断が、一定の条件下で、一般市民で構成される「検察審査会」に委ねられます。つまり、医学的知見を有しない一般の検察審査員が断片的な情報だけで過失を認定し、不当な起訴が頻発する恐れがあるのです。

 国民の一人の死の原因が何であったのかをはっきりさせることは、欧州においては国家(かつては国王)の義務の一つです。日本国憲法にはそんなこと書いてありませんから日本にでは違うわけですが、それではよくないということが漸く議題に上がってきているわけです。

 自分も何度か死体検案をしましたが、自信を持って死因を特定できた事例、死因不詳の検案書によって司法解剖に回してもらうように警察に頼んだ事例、後から思い返すと疑問の余地が残る事例の三者があります。

 ただし、死因が医学的に特定できるというところ(1)と、さらにその原因がわかるというところ(2)と、その原因が誰かの責任なのかどうか、あるいは誰の責任なのかというところ(3)には大きなギャップがあります。

 日本では(1)は法医学者と臨床医・病理医の仕事ですが、しばしば厳密な検討が為されず、(2)が追求されることは稀(純粋に医学的研究として永年に亘って追求され続けていることはありますが)で責任主体も明らかでなく、(3)の法的評価に至っては(1)も(2)もなく決定される局面がしばしばです。

 今回の議論が(1)を巡るもののように考えられるのはごもっともですが、根幹としては(3)のいい加減であることが罷り通っているが故に、(1)も(2)も無視されているという背景を見落とすべきではないと考えます。

 この制度の改善がおそらく難しいのは、この3つの全てが同時に制度改正の対象となっているだけでなく、各々の主管官庁が、現在のところ、(1)厚労省、(2)不在、(3)裁判所と法務省とに分かれていることです。

 立法主導で行われる形とならざるをえなくなっているのは、ある意味で当然のことであり、診療に関連した死亡についても、全くおなじ構造とインフラ不足が背景にあり、故に現場の納得できる具体案の作成が厚労省には不可能であるのではないかと考えます。

>診療に関連した死亡についても、全くおなじ構造とインフラ不足が
>背景にあり、故に現場の納得できる具体案の作成が厚労省には
>不可能であるのではないかと考えます。

門外漢からみると、現場が意思表示していないのが最大の問題の様に見えます
現場としての意思を多数決で決めてしまえば良いのではないかと思います

現状では、数十万人といる医師が全て納得できる制度、一人の反対も出さない制度と言う、実現不可能な制度の創設を厚労省が求められているように思います

皆様、いろいろ勉強させていただいています。ありがとうございます。

ふじたんさんのおっしゃる「2.は、どこをどう改善すべきかという視点での調査、「改善計画」でなければならない。3.と同じく病理解剖にし、生前の診療経過と医療機関の診療システムを調べなければなりません」というご指摘や、一内科医さんの「CTあるいはMRIで全身の画像情報を残す。同時に血清を5年間保存する。遺族が望まない場合は免除可能」といったシステムについては、共感します。言及してくださった日経メディカルの記事を考えてもそうですし、非常に個人的ですが「病院で夜中に亡くなった祖父の死因は、おそらく入院治療中の病気によるものというより、人手不足による発見の遅れだっただろう」と思っている(学生当時、死の知らせを聞いて家族の中でひとり先に病室につくと、そこには誰もおらず、上体を起こし、目を見開いて苦しそうに口を開き、助けを求めたような姿勢でかたまり、真っ暗な中に放置されている祖父の遺体が・・・。そのまましばらく放っておかれました。治療中の病気の内容を考えても、私は単に痰等による窒息だと思っています)自分の気持ちとしても、そう思います。いずれにしてもそういうシステムを活用するかどうかは別として、あってもいいかと。

また、中村先生の解説で、問題点が非常によくわかりました。が・・・、問題の複雑さがわかればわかるほど、一素人の私にはその解決法がまったく見えなくなりました。ご指摘のとおり立法主導、つまり政治的に解決するということになるのかと思いますが、このままでは結局、ふつうの国民は蚊帳の外で、事態が動いていく気がしてなりません。それは国民にも問題があるのだとは思いますが。

・・・と、思っていたのですが、一方、しまさんの「現場としての意思を多数決で決めてしまえば良いのではないかと思います」というご意見を読むと、そういえばそれが一番早いかも、という気がしてきました。国民はそもそも専門知識もないですし、母集団ができるだけ多くの医師を網羅したものであれば(そえれが難しいのが現状?)、そこでの多数決も悪くないかと思います。すくなくとも、妙な審議会で偏った学者の意見なんかを掲げてつくる法案や省令なんかより、よっぽど信頼できそうです。

>国民はそもそも専門知識もないですし、母集団ができるだけ
>多くの医師を網羅したものであれば(そえれが難しいのが現状?)、
>そこでの多数決も悪くないかと思います

事故調に関してはその通りです

ただ、死因究明に関して言えば、「死因不明」の遺体に関しては、コストをある程度欠けても死因究明した方がいいとは思います。

例えば、パロマの一酸化炭素中毒事故がありました。あの件に関しても、一酸化炭素中毒死という事が分かっていれば、事故が続発する前に社会的に対策を立てられたのではないかと思います。

また、近年の医療訴訟に関して、死因が不明、病理解剖も司法解剖もしていないケースで、事実認定が難しく、死因の判定が紛糾するというケースも目にします。

私自身はある程度コストを費やしても、死因究明をシステム的に行う事が必要であると思います。死因究明にどの程度お金を費やすべきなのか、国民的な議論が必要だと思います。

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