医学生が署名しない”怪”

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2009年04月15日 09:07

今朝の朝日新聞朝刊「私の視点」に東大医学部4年・竹内麻里子さんの投稿が載っていた。
ロハス誌次号でも扱う臨床研修制度見直しについての意見だ。
彼女は、拙ブログでも何回か紹介している『医師のキャリアパスを考える医学生の会』の中心メンバーとして11日の「志民の会」でも登壇していた。


「医学生の会」が、医師として十分なトレーニングを受けられないような病院に研修医が強制配置されるのでないかと心配するのは、非常に理解できるものがある。


一方で理解に苦しむのは、その彼らが行っている計画配置反対の署名活動への賛同が未だ1000筆ちょっとに留まっているらしいこと。しかも聞く所では医学生の署名が極端に少ない。


全国の医学生は1学年約8000人、6学年合わせれば5万人近い。彼らは、なぜ自分たちの身に起ころうとしていることに対して自ら意見を表明しないのか。関心がないのか、トレーニングなんかどうでもいいと思っているのか、ハッキリ言って訳が分からない。後からグチグチ文句を言われたとしても、外部の人間としては「なぜその時に言わないんだ。知るか」となる。


医療界が自分たちの思っているほどには社会から信頼されない理由の一つが、この辺にも見え隠れしていると思う。

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コメント

>後からグチグチ文句を言われたとしても、
>外部の人間としては「なぜその時に言わないんだ。知るか」となる。

同意です。

医師が何も言わなくても、医療現場で働き易いように配慮するのが政治や社会の責任。皆様様の方で良ぉく考えて、医師のために良いシステムを作って頂戴ネ。

仮にこんな意識が署名が集まらない現実の背後に在るとしたら、国民として非常に残念に思います。

ご指摘の「署名が集まらない理由」があるだろうか?と「医師のキャリアパスを考える医学生の会」のHPにいってみました。私も意見に共感できれば署名するつもりでHPを訪れたわけです。まず、HPの新着情報に署名のお願いがありましたが、「提言」となっています。提言の内容も、「何に対してどうしてほしいのか」ということが分かりにくい印象でした。背景や事実関係についてもロハスメディカルなどで通読できている人でなければ、理解するために時間を要すると思いました。Menuから「署名」というページに飛びますが、ここではさらに何のための署名なのか分かりにくい印象を持ちました。送信ボタンを押すだけでいいのか説明が不十分な印象を受けました。
 私もなんとなく賛同できそうなもののはっきりしない印象で、結局署名していません。署名が集まらない理由は、いろいろありそうだと思いました。

そもそも「医師のキャリアパスを考える医学生の会」の知名度はそんなに高いものなのでしょうか?
正直言って、当大学では学生課のすみにビラがおかれているだけで、大半の学生はビラの存在も会の存在も知らないと思います
まして、その活動内容や会の実態など聞こえても来ないので、署名が集まらないのは当然ではないでしょうか?

「医療界が自分たちの思っているほどには社会から信頼されない理由の一つが、この辺にも見え隠れしていると思う。」という主張は非常に偏った意見だと思います。

・そもそもどの程度の医学生に情報が行き渡っているのか不明
・署名をしないという選択をする医学生も存在する(自分はこのケースです。)

5万人のうち300(0.6%)人しか集まらない主張に無理があるという考えはありませんか?

この会、メディアと繋がりがあることをいいことに、露出が多いですが、東大医学部長にメールを出して、その返信をMLに転送したり、なりふり構わずありとあらゆるMLに投稿したりというマナーの悪さを感じますし、主張も私の目からは医学生の我侭と取られてもおかしくないと感じることもあります。

>Kさま

横から突然すみません。個人的にとても興味を持ったので質問させてください。素朴な疑問です。

>署名をしないという選択をする医学生も存在する(自分はこのケースです。)

とのことですが、厚労省の検討している計画配置そのものについては、賛成or反対、どちらのスタンスでいらっしゃいますか?

厚労省の案に賛成で署名をなさらないのか、反対だけれどもひとえに会のやりかたが疑問で署名をなさらないのか(疑問の内容についてはお書きになっていらっしゃいますね)。「学生の我侭」とは特にどのあたりを指すのか。気になりました。いかがでしょうか。

>マナーの悪さ
私も医学生ですが同じ意見です。

東大医学部長からの返信のメール(個人アドレスなどの個人情報を含む)をMLに投稿したりなどは非常識であると思いました。内部のふざけたメールのやり取りをMLに間違えて投稿してしまったり、個人情報の管理が杜撰であるという印象を受けました。署名が集まらないのは無理もないと思います。

また主観ですが、活動している私たちは意識が高くて「エライ」、何も活動しない普通の医学生は「意識が低い」という一方的な態度がにじみ出ているように感じて、とても協力する気には慣れませんでした。本気で医学生の意見を集めたいのでればもっとやり方があるのではないでしょうかと感じています。

>法務業の末席様
ご同意いただき、ありがとうございます。
医学生の皆さんから、予想通りの反応が返ってきたので
やはり書いておいてよかったと思いました。

>T様
ありがとうございます。
ご指摘の点は彼らも気を付けないといけないですね。

>ailes様
彼らの存在を知らないことは
臨床研修制度見直しに対して意思表示しないことの理由にはならないはずですが。
制度見直しを知らないとすれば、あまりに社会に関心がなさすぎだと思いますし
制度見直しに対して何かを考えれば
彼らの存在は当然にアンテナに引っかかってきて然るべきと思います。

>K様、com様
まさに皆さんの反応が医療界の特徴を象徴していると思います。
マナーが悪い、医学生の面汚しだ、と感じたならば、なぜ自浄作用を働かせないのですか?
蔭で文句を言うだけで公に批判しなければ
受け容れたと取られても一般社会では文句を言えません。

>堀米さま

質問ありがとうございます。地方の国立大学医学部に通う6年生です。

正直に申しまして、医学生としての立場、社会の構成員としての立場で答えが変わります。ですので署名はしませんでした。

一医学生としては、地元でもある都市部で臨床研修をしたいという気持ちはあります。従って反対です。
しかしながら、社会全体を考えると、特にただのような学費で医師になる国立学生は、どこかの段階で医師不足の地域に行く義務があるべきだと思いますし、医局の役割が低下していて、一人前になった医師を地方に派遣することが出来ない以上、初期研修の段階で医師不足の地域に多くの医師を割り振るという事は止むを得ないと思います。つまり賛成です。医師個人のキャリアも重要ですが、医師は社会のインフラでもあると思うので、国が育て、国が必要に応じて配分する政策も必要だと思います。

提言にあるように、「一人前になった医師が求められいる」という部分には賛成ですが、「一人前の医師を派遣する」仕組みを導入するという案が組み入れらていない以上、医学生の我侭に感じるということです。

加えて、「研修医のアンケートで研修プログラムが重要だと答えた人が多い」という点ですが、それよりは病院ごとで研修終了時の研修医の目標到達度を客観的に測って差があるかどうかが重要だと感じます。そのようなデータがあるかは知りませんが、仮にそれが無いのであれば、「いい研修」の定義とは何だろうという疑問もあります。

余り深く提言を読み込んで考えたわけではありませんし、まとまりの無い答えですが、勘違い等あれば指摘してくださって構いません。


>蔭で文句を言うだけで公に批判しなければ受け容れたと取られても一般社会では文句を言えません。

まさにご指摘の通りだと思います。(医療界限定の特徴だとは思いませんが。)
正直なところ、直接批判するだけの興味を持って「医学生の会」のことを考えていなかったというのが実際の所だと思います。


>川口様

医学生の皆さんから、予想とは違う反応が返ってきたので
前々から書いて来たのが浸透してきたかと嬉しく思いました。

こんなコメントが早く読めるよう祈ってます。

東大医学部4年の嶋田裕記と申します。
上のコメントでも問題になっている清水医学部長にメールをお送りさせていただいた本人でございます。

先ほどメーリングリストにて[医学生の会]MLに該当メールが配信されているのを確認致しました。
医学部長と医学生の会MLを呼んでくださっている医学生の方々に大変申し訳なく思います。

様々な方の意見をこちらにて拝見させていただきました。
以下は個人的な意見ですので、読み流してくださっても結構でございます。

配置に関しては基本的に反対でございます。
どんなに全知全能な集団であったとしても
霞ヶ関にいるだけで、地方の詳細な状況など
わかるはずもないと考えるからです。
研修医の配置に関しては医療崩壊の処方箋に
ならないと考えているので、断じて反対です。
仮に研修医の配置で医療崩壊が緩和する場合があるならば、
全く指導医が何も教えないで雑用をやらせる
だけの場合でしょうか。
こういう環境で育った研修医は3,4年目でまた
1,2年目のときに勉強してなければならなかった
ことを勉強することになると思います。
つまり医師生命が単純に2年短くなることになる
と思います。

例え万が一研修医ではないベテランの医師を
配置するにしても、ある程度医師を増加させる
ことも考えて、増加したら、配置を止めるというような
長期的計画を考える必要があるのではないでしょうか


このように長期的なビジョンをもって厚生労働省に医療政策を考えていただけたならば、支持のしようもあるのでしょうが
計画性ゼロの割りに何も考えず自分たちだけで決めてしまったこの案を支持できないし、
「あっ、やべっ医療崩壊起こっちゃった汗、僕研修医しか配置できないからとりあえず配置しておこう!!」
みたいな厚生省をどうして支持できましょうか

>嶋田さん

なるほど。厚生労働省が長期的ビジョンを持たずに決めているのは同感です。

>仮に研修医の配置で医療崩壊が緩和する場合があるならば、全く指導医が何も教えないで雑用をやらせるだけの場合でしょうか。

これに関しては、臨床実習を経験したら考えも若干変わるかもと思います。
指導医に教えを請う部分も勿論ありますが、患者さんから教わることも多いと思いますし、医師の数が少なければむしろ雑用よりも、実際の診療の意思決定に関わるチャンスも多いのではないかとも思います。

初期の1~2年の臨床研修期間で、医師として一人の患者にどう向き合い何をするか、責任ある担当医としての思考過程を身につけるべきだと考えます。
>Kさん
確かに患者さんから教わることも多い、医師の数が少なければ必然的に研修医の裁量部分は増えます。しかし、その反対に、「中途半端に経験があるから出来る気になってしまう、専門家の思考過程をふまえない」医師が増えてしまうデメリットは考えておかねばならないでしょうね。
しかしこの臨床研修制度見直しの問題点は、そういう初期研修が良いかどうか、ではありません。そんな議論をすっとばして「役所が現場を見ないで数合わせをする制度をつくる」という点です。

 パブコメ書きましたのでエントリに上げます。

 この件は、少なくとも卒後早期の医師OJTのカリキュラムの問題と、それらの医師のいわゆる計画配置の是非、さらに案出されている配分方法の問題の3つに分かれます。

 具体的に何がなぜ問題であるのかがはっきり提示されていません。その中では当然、誰が何に反対しているのか、どうすべきだと考えるのかがわかりにくいですね。しかも解決策は方向も方法も複数考えられます。

 学者の端くれとしては計画配置についてのみ書きました。そもそもが論外の杜撰な計画と思います。目的も不明で、目標数値も掲げられておらず、事の成否の検証すらできません。

 こんなことにエネルギーを使わされる学生さん達こそ可哀想です。

>川口様

>彼らの存在を知らないことは
>臨床研修制度見直しに対して意思表示しないことの理由にはならないはずですが。
>制度見直しを知らないとすれば、あまりに社会に関心がなさすぎだと思いますし
>制度見直しに対して何かを考えれば
>彼らの存在は当然にアンテナに引っかかってきて然るべきと思います。


まず、「医師のキャリアパスを考える医学生の会」を知り、その考えに賛同し署名することと、厚労省に対し反対意見を述べることは別次元の話ですので、そのところは混同されないようにお願いいたします。
医学生内の情報格差の激しさは私も日頃感じていますが、だからといって情報収集力のない彼らを一方的に責める気は私はしません。
それで問題が解決するわけではないですし、情報が集まらないのはマスコミや各団体の側にも問題があると感じるからです。
「医師のキャリアパスを考える医学生の会」は新しい学生有志団体の一つでしかありません。会を知らない学生や署名しない学生にここで愚痴を述べられるより、会の運動に問題はなかったのかを考察する方が建設的ではないでしょうか。

署名をさせていただいた学生の一人です。

「医師のキャリアパスを考える医学生の会」の方へ
確かに今回の変更について、反対すべき内容だと思い、署名させていただきました。
しかし、署名が思うように集まらないからと言って、貴会の身近にいる方が書いた、医学生は「ハッキリ言って訳が分からない」という記事を色々なMLに投稿するのは止めた方がよいと思います。
MLに投稿するのなら、それを読んで「現状が危ない。署名しないと」と思わせる文章にすべきではないでしょうか?
臨床研修制度をより良くしたいという思いは、その強弱こそあれ医学生全員が共有できるもののはずです。
その強弱のせいで、医学生同士が傷付け合うようなことはあってはならないと思います。
お互いにその相違を認めずに「訳が分からない」と片付けてしまったら、署名なんてとても望めません。

この文章、そしてコメントのやり取りを読ませていただいて、少し悲しい気分になってしまいました。

12年目の医師です。
一応、署名はしました。

ですが、本来はこの運動は、臨床研修義務化のときにすべき運動です。
自分はは臨床研修義務化のころ、医学生でした。
当時から臨床研修義務化の目的の大きな一つは、2年間分の新規医師数抑制と言われていました。当時、自分のできる範囲反対運動には強力してみたつもりです(留年は家計の状況からできませんでしたし・・。)。

結果は全く無意味でした。そして医療崩壊へと続いています。そうなることはみんなわかっていたはずですけどね。(今はあれは単なるきっかけだと理解しています)

今なら、署名できます。自分の医師としてのキャリアがありますから。自分を必要としてくれる子どもたちがいます。親たちがいます。だから、嫌がらせを受けても戦えます。

でも、それを医学生さんたちに強いるのは、あまりに大きすぎます。

医学部生は実は不安定な身分です。医師になれなければ、はっきり言って、使い道がない(とくに本人たちが思い込んでいると思います)人たちです。

そして、実力は全くありません。そのままでは誰の役にも立ちません。

彼らに実名をさらしての署名を強要しても、集まらないことは、私としては当たり前だなと思います。

だから、わたしは彼らの署名をしました。

どちらかと言えば、この署名はすでに一人前の医師となった者の責務だと思いますけど。

まぁ、署名したところで、何が変わるとも思いません。
所詮、使い捨てとされている人間です。そのうち体をこわして、第一線を退かけばならない立場であることも確かなことです。

署名をすることより、社会に訴えることが大切だと思います。
ここに書いていることは「社会に訴えること」にはつながらないでしょうか?

1ヶ月間休みがなく、ちょっと精神的に変になったのと、病棟が落ち着いたので、後輩たちに任せて、有給休暇をとりました。ちょっと文面が変なのはご容赦ください。

いろいろな方が医師の研修制度に関心を持って、考え、意見を言うことはとても良いことだと思います。いろんな意見があってしかるべきですし、国に対して反対意見を表明するのも、賛成意見を持つのも、あるいは留保するのもどれも悪いことではないと思います。「反対」「賛成」どちらかの意見を持っていても表明しないことも自由ですし、じっくりと考えてみることも自由です。多数決ではありませんので、意見を表明する義務があると思えませんし、しばらくたってから、「反対だ」「賛成だ」ということも意見を翻すことも自由です。

「研修医を安い労働力と見ないでほしい」とは「?」です。給与をもらうなら労働力です。労働力となることを否定するなら学生か、ボランティアをしてください。

カリキュラムの充実を求めることも良いでしょうが、カリキュラムを金科玉条のごとく考えるのは学生気分と批判されても仕方がないでしょう。自分で考え、自分で学ぶ人間を育てるためには、口や手を出して教えるのではなく、態度で示して自分の力で盗みとる徒弟制の手法の方が優れています。カリキュラムに沿って教える方がある地点までははやく到達しますが、本物を育てるのは困難です。いいかえれば充実したカリキュラムは本物の医師を育てるよりも、早く専門医として働かせるための促成栽培コースです。

研修中に地域医療を見ることは非常に重要だと思いますが、地域医療の助けになるとは、あるいは即戦力になるとは思いあがりもはなはだしいと思います。地方にすむ人々の健康管理は都会に住む人々のそれとまったく同じく重要です。地域に一人しか医師がいないような環境では、生半可な研修を受けた人では務まりません。地方が欲するのはベテランの優秀な医師です。地方で頑張っている優秀な医師の姿を見てほしい、基本診察能力が高い医師になってほしいと思いますので、志ある研修医に地域で研修を受けてほしいと思います。

医師のキャリアパスを考える医学生の会 事務局の森田知宏と申します。

「医学生の会」の設立・運営に携わっております。
私がこの会の設立に思い立ったのは、「医学生に医療界の情報に触れる機会を多くしたい!」という問題意識です。
今回の臨床研修制度改定について考察したところ、どうしても賛成できるものではなく、この問題点について広くの方に知って頂こうと思い立った結果、署名活動という形に至りました。

対案がない等の指摘をよく受けますが、個人的には学生がいい加減な対案をつくって医療界に迷惑をかけるよりも、間違った部分を指摘する方が重要だと考えています。(もちろん個人レベルでの対案はありますが、それは各個人でバラバラなイメージだと思います。)

マナー等のご指摘ありがとうございます。しかし、先生方とのメールのやり取りさえ他の医学生と共有することで、徹底した情報公開を行いたかったのが理由であり、またそのような苦情を受けることもなかったため、これまで情報共有を続けてまいりました。今後はこのような情報共有について、内部でよく話し合ってから流そうと思います。

当会は完全に学生から成るものであるため、ウェブサイト等のインフラ面が脆弱である等のご指摘を受けることもありますが、「医学生からなる、徹底した情報共有を行う団体」として大変有意義なものであると考えます。また、昨年11月に設立以来5ヶ月で300人近い医学生のML登録があることからも、当会に対するニーズも感じます。

昨今医療崩壊が叫ばれていながら、医学生は何も声をあげてこなかった、もしくは声をあげる機会がなかったというのが現実だと思います。
この現実を打破するためにも今回の署名活動は大変意味のあるものであると思います。非難、批判等あると思いますが、日本の医療の将来のためには致し方ないことかと思います。

皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。

>まさに皆さんの反応が医療界の特徴を象徴していると思います。
>マナーが悪い、医学生の面汚しだ、と感じたならば、なぜ自浄作用を働かせないのですか?
>蔭で文句を言うだけで公に批判しなければ
>受け容れたと取られても一般社会では文句を言えません。

「蔭で文句を言うだけで公に批判しない」のは医療界だけの特徴でしょうか?
少し前までの、日本人全体に共通していた特徴のように思います。

また、公に批判するだけでなく、色々な活動方法があると思います。
このブログにコメントしたことだって、立派な意見表明の一つだと思います。
silent majorityという英語だってあるのですから。

この文章を読んで、公に声を上げる人間だけが価値があり、それ以外の人間は価値がないというような、思い上がった嫌な価値観を感じました。

もしかして、それが「メディアの価値観」でしょうか。

皆様

たくさんのコメントありがとうございます。
非常に勉強になります。
意図的に池に石をを投げ込んでみたところもあり、不愉快に思われたとしたらご容赦ください。

ただ「不愉快だ」に留まらず論理のすり替えを行っている方も若干見受けられ
それが話の本筋として展開していくのは困るので書いておきます。


いくら「医学生の会」の非、私の文章の非をあげつらっても
それが制度見直しに対して意思表示しない理由には、なりません。
いみじくもailes様がお書きの通り、それは別個の議論です。
そして、今の日本社会のルールでは
意見募集されている時に意見を述べなかったら「同意した」と看做されます。
国が誰も知らない間に、コッソリ募集していることもよくありますが
今回の場合「知らなかった」は通らないでしょう。


彼らの非をあげつらって、よって自分は署名しないと言えるのは
「賛成である」か、自分で別にパブコメを書くなど行動した場合だけです。

制度見直しに賛成するも反対するも自由ですが、「同意」したからには従う義務があります。
従いたくなければ声をあげるしかないのであって、価値があるとかないとかの問題ではありません。
だから「後から文句を言わないでしょうね」と書いているわけです。
署名はイヤ、自分で行動するのもイヤ、制度見直しもイヤ
そんな都合のよいことを言って許されると思っているとしたら
社会から信頼されなくなると思いませんか?

川口様の最後のパラグラフにとても違和感あります。

>署名はイヤ、自分で行動するのもイヤ、制度見直しもイヤ
>そんな都合のよいことを言って許されると思っているとしたら
>社会から信頼されなくなると思いませんか?
>従いたくなければ声をあげるしかない

それはそうかも知れないと思いつつ、

「声を上げること ⇔ 今回の反対署名に名を連ねること」
と規定されてしまうことに、反発(少なくとも違和感)を覚える人は多いような気がします。

まず
心小児科医のつぶやき から
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20090417
いまさら、どういじくったとて、ということ です。

「無抵抗不服従」も 大いにあり、と思いますよ。

頭が悪いので自分ではまとめ切れないですが、
ぐり研ブログの考えが自分としてはまことに腑に落ちました。
http://gurikenblog.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-6cf8.html 
から
医学生が署名しない”怪”(2009年04月15日ロハス・メディカル ブログ)

引用ばかりでごめんなさい。

初めまして。わたしは先日の医療志民の会に参加した者で、民間シンクタンクで医療の持続的発展について模索中しています。

あくまで私の個人的な意見なのですが、今日の社会保障や雇用の問題、そして医療崩壊などは全て同じ根っこから発生しているように思います。それはつまり、現状の辻褄合わせを優先するあまり、次の新しい世代を大切にしなかったことです。

例えば90年代に発生した就職氷河期は、大量の就職難民を生み出し、今現在のNEETや非正規労働者の問題に繋がっていることは、皆さまもご存知のとおりです。これらの世代は第二次ベビーブーマ世代とも重なっており、彼らが高齢者層に入ったとき社会は一人で生活を維持することが困難な要生活保護群を大量に抱えることになります。これは次世代を育てることよりも高齢者対策を優先した、今までの政治のツケといえるのではないでしょうか。

然るに医学生教育の問題も、一時のその場しのぎのために今の若い学生を犠牲にすることは許されないと思います。今は何とかなったとしても、その何十年後かに必ずその報いを受けることになります。しかもそうなってからではすでに手遅れなのです。

そういう意味で、当事者である若い彼らが、自ら声を上げ行動を起こしたことを、私はとても評価しています。他の誰かに任せたのでは駄目だ、自分で何とかしなければならないと気付いただけでも、私は大したものだと思います。あとは「それでは、日本の医療を良くするために、どのような医学教育が求められるのか?」ではないでしょうか。
是非とも彼らからその答えを聞きたいです。私も出来うる限りの協力は惜しみません。

川口様

>だから「後から文句を言わないでしょうね」と書いている>わけです。
>署名はイヤ、自分で行動するのもイヤ、制度見直しもイヤ
>そんな都合のよいことを言って許されると思っているとし>たら
>社会から信頼されなくなると思いませんか?

そういう考え方は非常に危険だと思います。わが国全体に、自分の意見を積極的に表明するということが根付いているとは思えません。例えば選挙にしても、「選挙に行かなかった国民は文句を言うな」というのは暴論でしょう。わが国においては、賛成であっても反対であっても意思を表明しない人が多いということを原則に物事を解釈しなければならないと思います。賛成票も、反対票も、あえてそういう意思を表明したい人以外は意思を表明しないと考えて欲しいと思います。そしてこのような国民性は決して悪いこととは思いません。白黒をつけたいアメリカ流が良いとは思いません。悪いとわかれば後からでもどんどん文句を言えばよいし、みんながこれではだめだと思ってから改革しても、国民的損失はそれほど大きくないでしょう。個人的には被害を被る人はいるでしょうが、それは決して研修医全体でも、どこかの都道府県の住民全体でもありません。

行政の人間です。(臨床研修制度に関わってはいません。)

一般的に言って、学生さんは社会の動きにあまり関心がないものだと思います。医療行政より、目の前の試験のことや、部活のことに興味が向いている人たちも多いと思いますし、たった2年間の研修のことであればあまり興味がない、という方も多いかもしれません。1年生や2年生にとっては遠い未来の話でしょう。予備知識がないと分かりにくい分野ですから、勉強しなければならないことがたくさんある学生さんにとっては面倒なのかもしれません。
(そもそも、署名活動自体、現代社会ではアヤシいイメージがあります。)
若い人たちが社会制度や政治に興味がないのは、少なくとも我が国においては珍しいことではなく、これを医療界特有の問題であるかのように指摘することは的がはずれているかな、と思いました。

「医師のキャリアパスを考える医学生の会」に、一般的な学生さんたちから反発を受けやすい要素があることにも注意する必要があると思います。私だけの感覚かもしれませんが、特定のメンバーの活動が目立つこと(表に出てくる人が大体いつも同じに思えます)、コアメンバーが特定の大学(しかも東大という反発を受けやすいところ)に偏って見えること、特定の政治団体との関係が強く見えること、更には、医学部の学生さんたちは恐らくプライドが高いだろうな、ということを併せて考えると、一般の学生さんたちの中に反感を持ったり、怪しい団体と感じて敬遠したりする人も出るだろうなと思います。さらに、考え過ぎかもしれませんが、医師国家試験を所管する厚生労働省に署名を出すのは怖い、という発想もあるのかもしれません。
(逆に、署名活動等は集団行動による一種の高揚感を伴いますから、よく考えずに署名する人もいるかもしれません。)

もちろん、より深く考えられて、意見表明を保留されている方もいらっしゃるかもしれません。嶋田さんはカジュアルな言葉で、とてもクリアカットに説明をされていますが、世の中そこまで単純な構造ではないだろう、と思われて慎重になっている方も多いのかもしれません。私自身、嶋田さんの言葉に若者らしい元気のよさを感じた反面、「軽さ」「危うさ」のようなものも感じられ、どの程度深く考えられているのか心配に思いました。

なお、このように、どのような意見を持っているか、よくよく考えたときにどのような立場に立つか、ということと、署名やパブリックコメントに参加するかということの間には乖離があるかもしれない、ということは、通常、行政の側でも織り込んで考えています。
学会等の団体や他の行政機関等を相手にするときには、伺いを出して何も返答がなければ積極的な反対はないと判断することが多いと思いますが、一般市民からの署名については、署名に参加しなかった人はどのように考えているのか、どう感じうるかということを、自分でも情報を集めてちゃんと見積もることで、声の大きな人、行動的な人以外の人たちも意識した政策立案を行うこと、逆に署名に参加した人たちのうち、どの程度が冷静な判断と熟慮の上で署名したのかを見極めることも、行政官の腕の一つだと思っていますし、若手にもそのように教えています。
もちろん、これは多分に父権主義的な態度でもあるので、「署名の軽視」、「国民無視の政策立案」と批判されて信頼を失う可能性もあり、バランスが難しいところですが・・・。

中野稀哲さま

概ね同感です。

>もちろん、これは多分に父権主義的な態度でもあるので(以下略)

無用な誤解を招かぬよう、十分注意してください。

皆様ありがとうございます。

ふじたん様の書かれたことに唖然として、どう返答したものかと思っておったのですが
中野稀哲様にお書きいただいたことで、かなり整理がつきました。

2つの事柄に分けます。

1、例として挙げられた「選挙に行かない人間は文句を言えない」か。

法の定める権利は自然法則と異なり
人々が不断の努力を積まなければ、いつ失われてもおかしくないものです。
放っておくと、権力を持っている人間が、持たざる人間の権利を侵すように動くというのは、歴史の教える真実です。
権利は自分自身の手で守るべきものであります。
しかし現実問題として、権利を守ることだけに人々が汲々としないでも済むように
権力を持っている人間が簡単に他者の権利を侵せないための
様々な「手続き」が法体系そのものの中に包含されています。
投票権しかり、パブリックコメントしかりです。
先人達の、それこそ血と肉で贖われてきた「手続き」です。
そして、この「手続き」をまず大切にしようと考えるのは
主権者として市民として権利と義務が1セットと捉える人間にとっては
あまりにも当然のことです。
行政やメディアが本来すべきは、その「手続き」の意義を正しく伝えることであって
「手続きの形骸化」を進めることではありません。
手続きが意義を失った後に改めて権利を守るのが、どれだけ大変かという想像力を持っていただきたいと考えます。

内田樹さんが昨年ロハス誌で小松秀樹先生と対談した時に
権利と義務が1セットと考える「市民」、権利だけよこせという「庶民」と定義しました。
私は、市民社会をめざしています。

2、「医療界の特徴」か

この認識は、たぶんに主観的なものです。
日本人の多くが庶民的に振る舞っているのは、皆さんと認識を一にしています。
ただし「自分は庶民だ」と庶民的に振る舞っているのがほとんどと見ています。
医療界は「自分は市民だ」と主張しながら庶民的に振る舞う方が多くないでしょうか。
そういう業界は、やはり相当珍しいのでないかと思います。

そもそも、多数決の原理は選挙や国会審議等の所定の手続きによって適用されるべきであり、パブリックコメントや一般的な署名はそれには当たりませんので、これらにおいて数を云々するのは不適切なのかもしれませんが、少なくとも、森田さんたちが署名に当たって数を集めようとし、数が集まらなかったのなら、何かを反省する機会なのかもしれませんね。

自分が人に何かを伝えようとしてうまく伝わらなかったとき、
その原因を相手に求めたら、そこでおしまいです。
自己を省みたら、何かをよりよくできるかもしれません。
(これは自戒でもあります。)

ここをお読みになっているかどうかはわかりませんが、今後の参考になれば。

厚生労働省の「研修医の募集定員に関する都道府県別の上限についての試算」をみてみると、平成20年度の研修医の募集定員枠が1万1000人余りなのに対し、実際の採用者数は7700人なので3400人分余剰枠があります。それを募集定員を9900人程度に減らし(それでも2200人分の余剰枠あり)、減らすに際しては、機械的ではなく地域の実情を勘案して行いたいというのが、今回の案のようなので、「研修医を地方に追いやる」的なものとまでは言えないように思います。
ただ、今回、医学生が声を上げたこと自体は良い事であり、伝え方の問題ではないかと思いますので、そうしたスキルをきちんと教えることのできる人材も大学に必要な気がします。

川口様の言われていることは本質的なことだと思います。

一医師の視点からみると、勤務医の特殊性というのは多くの者が何年たっても学生の視点のまま働いていることです(実質的に逃散した医師を除く)。

学生というのは医学部に限らず現状認識が甘いのです。自分が学生の頃もこういう「政治的」(本当は当然しなければならないことなのですが)な活動をしている人は皆に偏見をもって見られていました。

ただ普通のサラリーマンや開業医は働き始めてから社会がきれい事だけで動いてはおらず、自分の身は自分で守らないといけないことに気づくのですが、勤務医は訓練される中でそのようなことを考えることは卑しいことだと「洗脳」されるため、いつまでたっても学生の視点のまま働き続けていくのです。

「医学生の会」の学生たちは社会人の視点がもてていると思います。他の学生の問題点はこの会を支持するかどうかではなく、自分の意見を表明しないことをなんだかんだ理由をつけて正当化しようとするところだと思います。

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