新型インフル関連で気になった報道3+1つ。

投稿者: | 投稿日時: 2009年05月16日 08:52

このところ新型インフルについての記事等が気になっていろいろ見ているのですが、いままでに気になっている報道4つ(3+1?)をさくっとご紹介します。

(といいながら、紹介というほどの大げさなものでなく、小さなつぶやきかも・・・。)


国内初の人・人感染か 新型インフル
朝日新聞社 asahi.com (2009年5月16日1時41分)

⇒今日午後にも結果が出そうだとか・・・。もしN1H1だったら、この高校生の周りだけでなく、国内のあちこちで感染が広がっていそうですよね(しかも昨日今日のことでなく)。


新型インフル:「水際対策だけで食い止め不可能」WHO毎日新聞社 毎日jp (2009年5月13日11時56分)

⇒「水際対策だけでは食い止められない。もう(ウイルスが国内に)入ってきていると思って行動しなければならない」「症例数の集計は、もはや正確に感染状況を反映しているわけではない」(進藤奈邦子医務官)・・・WHOの公式発表というわけではありませんが、そういうことなのでしょうね。上記「国内初の人・人感染か・・・」という状況もやはり時間の問題だったわけですね。


結局、検疫が有効だったかどうか、こうなってみるとよくわからない、ということになってしまうのでしょうか。どうやって事後評価するのでしょう?それによってどう次につなげるのか。“検疫によって”十分「時間稼ぎ」できたのか・・・国内対策は“検疫のお陰”でばっちり進んだのでしょうか?

国民からすると、あまりよくわかりません。予算がついたようでもないですし・・・。陰圧個室や外来プレハブがその間に整備されて準備万端、なんて話もきかず、あいかわらず人もモノもお金も足りていないのでは?と思っていますが。


●新型インフルエンザ 発生源メキシコ南部?
産経新聞 (4月29日7時57分)

⇒発生がさわがれた当初の記事ですが、最近では「本当にメキシコが発生源かわからない」というような話も出ているようですね。さらには中国?なんていう話も捏造されたとか。こういうのは風評被害も恐ろしいですよね。そもそも発生初期ならまだしも、ここまでくると、発生源云々はあまり意味のない議論に思えます。もうどこから入ってくるかわからないですよね。どうせなら、どこからでも入ってくることを前提に、国内体制の整備を最初からやっておくべきだったんだろうな、と思うばかりです。ちなみに先日アメリカから帰国した近親者のもとへはしっかり保健所から毎日電話がかかってきていましたが、今回課せられている保健所の仕事はこれだけではないので、負担も相当なものと思います。世界各地で流行が始まっている(国内でも?)以上、メキシコやアメリカからの帰国者だけ追跡し続けるより、保健所もその時間と労力を別のことに向けたらと思うのですが・・・。

さて、もう一つの記事は、ちょっとしたオマケ。なんですが、以前から気になっていて仕方なく・・・。


「鳥インフルエンザはマヨネーズの中で不活化する」、キユーピーが研究結果
nikkei BPnet (2004年9月27日)

⇒ほぼタイトルのままの内容(もっといろんなものにも不活化するぞ、ということも書いてありますが)。個人的にはこのタイトルはインパクトがありすぎます!!以前、何かのきっかけで見て、忘れられずにいました(まだ記事がweb上にあってよかった♪)。きっと新型インフルにも効くんだろうな、と勝手に思っていますが、じゃあこれが何の役に立つのか・・・。何かの役にも立ちそうな気がしますが、よくわかりません。少なくとも、「何があってもマヨネーズは安全だ!」ということのようですね。「マヨネーズを備蓄して、非常時にはマヨネーズを持って逃げろ!」とか?確かにカロリーは安全に摂取できそうだと一瞬思いましたが、「開封後要冷蔵」では長持ちはしないかも、ですね(それとも要冷蔵は、味のため?)。

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コメント

結局、検疫が有効だったかどうか、こうなってみるとよくわからない、ということになってしまうのでしょうか。どうやって事後評価するのでしょう?それによってどう次につなげるのか。“検疫によって”十分「時間稼ぎ」できたのか・・・国内対策は“検疫のお陰”でばっちり進んだのでしょうか?

一般に行政施策の有効性については、コントロールをとることが難しいこともあり、評価には慎重さが必要ですが、蓋然性が比較的高いと思われることをもとにすこし考えてみます。

まず、検疫の有効性について、一部の編集委員の方がロハスメディカルの記事で取り上げるよう意見され、川口さんが紹介された「ナンセンス」という評価は極端に過ぎるでしょう。これは、別のところで述べたとおりです。

また、国内発生までの時間が稼げた蓋然性も高いと思います。この時間によって、病原性等について得られた情報の貴重さには着目すべきでしょう。この時間によって、国内発生時に行政に求められる対応、医療機関に求められる体制、社会が示す反応のそれぞれについて、最適化が進んだと考えます。

国内の体制整備の進捗に与えた効果については、両面的な評価があると思います。

カネの面について言うと、4月28日の段階で財務大臣が予算措置についてかなり踏み込んだ言及を行い、また連休明け厚労委では、厚労大臣が補正予算も含めて具体的な予算の見通しまで言及しています。表に出ている情報だけでもこれだけありますから、金目という意味では、既に相当早い時期に地方自治体は動ける状態になったのではと考えています。(自治体関係者のお話があれば聞きたいところです。)

ただ、モノに目を転じると、たとえ札束を県庁に入れたところで翌日に全てが揃うわけではありませんから、「ばっちり」になるには時間が必要でしょう。また、リソースの投入において選択と集中も当然行われることでしょうから、しばらくたったとしても、現場の実感として「自分のところは何もできていない」とおっしゃる先生方も残るでしょう。

また、動ける人の数は急には増えませんから、人の面でも体制は不十分という声はあるでしょう。(稼げた時間の中で医療関係者に新型インフルエンザについてより多くの情報が入り、一人一人のパフォーマンスは向上した、ということはできますが。)

では、ヒト・モノが万全でないことをもって、検疫強化を行ったことを批判できるでしょうか。私は早計だと思います。なぜなら、検疫強化を行わないという選択肢を取ったとしても、浮くのは主にカネですので、短期的にヒト・モノが万全でない状態は大きく変わらなかったと考えられることが主な理由です。(浮くカネをどう使ったら、いつまでにどういうことができた、というシナリオを示さなければ、批判として生産的ではありません。)

上記のようなことから、これまでの対応は妥当な範囲であり、現実的に、賢く進んできているのではと考えています。

どうせなら、どこからでも入ってくることを前提に、国内体制の整備を最初からやっておくべきだったんだろうな、と思うばかりです。

結果論になるが、どこからでも入ってくることを(中略)やっておいた方が有効性が高かったのではなかろうか」という程度なら、言っても詮無いが言わずにいられない、というような感じでまだわかりますが、「やっておくべきだった」とは言えないでしょう。前もってあらゆる可能性を潰せる施策を打つことは不可能で、だからこそ情報を幅広く収集して重み付けを考えるのです。

補足です。

検疫については、以前、ロハスメディカルにおいて非常に否定的な論調の記事が散見されたところですが、おそらくそれと関連するのではないかと思われる記事を見つけました。
ロハスメディカルの編集委員も務められている、東京大学の上先生による論説のようです。木村盛世氏の言説も発言の一つとして引用されています。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200905/510684.html

こちらについても、先ほど述べたような考えをふまえてお読みいただけると、興味深いのではないかと思います。

蛇足ですが、上氏は木村氏の「空き地にJICA」提案にも賛同されているようで、これも大変興味深く読みました。

http://d.hatena.ne.jp/fiz/20081007/mayo
マヨネーズ、常温 検索より
”日本人がみーんな○○と信じて疑わないけど、本当は××なことを教えて下さい。

▼マヨネーズは冷蔵庫で保存が基本⇒本当は常温保存が良い”

 こういう時こそ、クスリは身体にとって毒にもなるし、予防接種にも限界と副反応・副作用があるから、得失をよく考えるよう、国民に訴えるべきと思います。

 終わってからヒステリックに騒ぐというのでは、次が困るでしょう。

>予算がついたようでもないですし・・・。

私が見聞した報道の限りでは、予算を要求しているところには補正予算でかなりの金額が用意されているように思います。

しかし、財務次官発言の報道が原因なのでしょうが、「今後、政府は新型インフルエンザに対して、現状以上の対策費用を計上するつもりはない」という誤解がまかり通っている印象を受けます。

私から見るとワクチン製造に1300億円の予算を用意したと言うことは、政府の「やる気」を感じさせるものではありますが、ネット界では「政府はインフルエンザ対策より財政を重視するのか」というような雰囲気が漂っており、私の意識との乖離を感じます。

>ロハスメディカルの編集委員も務められている、東京大学の上先生による論説のようです
http://expres.umin.jp/staff/index.html#p1

皆さん、お仲間のようですね。

○ 地方自治体でも既に補正予算に関する具体的な話を動かしている様子。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090512-00000027-mailo-l05

○ ちなみに、発生前から行われてきた新型インフルエンザ対策(体制整備を含む)は下記資料にあります。
http://www.phcd.jp/blok-bukai/tokubetuku/paninflu/081219/0811kuni_yosan.pdf

○ 発生時、まだ毒性や感染力が不明な時期に、検疫を軽視して国内体制の整備にその分のリソースを回すべきとの言説がありました。しかしながら、私の知る限り、どの程度の毒性・どの程度の感染力を想定するべきで、そのためにはどの程度の体制が必要で、それにはどの程度のヒト・モノ・カネが必要で、それはどこから確保するのか(検疫をやめれば確保できるのか、やめなければ確保できないのか)について、具体的かつ実効性の根拠がある提案を示したものはありませんでした。当該発言をされた方の中には、野党議員に近い方もいらっしゃるので、もし具体的な腹案があり、政府に伝えたいと思うのであれば、国会質問や質問主意書に発展するかと見ていましたが、今のところ、私の知る限り、そういう動きもないようですね。

○ 地方自治体でも既に補正予算に関する具体的な話を動かしている様子。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090512-00000027-mailo-l05

○ ちなみに、発生前から行われてきた新型インフルエンザ対策(体制整備を含む)は下記資料にあります。
http://www.phcd.jp/blok-bukai/tokubetuku/paninflu/081219/0811kuni_yosan.pdf

○ 発生時、まだ毒性や感染力が不明な時期に、検疫を軽視して国内体制の整備にその分のリソースを回すべきとの言説がありました。しかしながら、私の知る限り、どの程度の毒性・どの程度の感染力を想定するべきで、そのためにはどの程度の体制が必要で、それにはどの程度のヒト・モノ・カネが必要で、それはどこから確保するのか(検疫をやめれば確保できるのか、やめなければ確保できないのか)について、具体的かつ実効性の根拠がある提案を示したものはありませんでした。当該発言をされた方の中には、野党議員に近い方もいらっしゃるので、もし具体的な腹案があり、政府に伝えたいと思うのであれば、国会質問や質問主意書に発展するかと見ていましたが、今のところ、私の知る限り、そういう動きもないようですね。

中野稀哲さま

ご苦労様。正確さを期すために引用元も示して詳しく解説してくださるが、いかんせん本文が長いので仰りたいことのポイントが見えにくくなるきらいがあります。冒頭に仰りたいことの要約を述べ、「以下解説」のようなスタイルにすると理解しやすいのではないかと思います。

>○ ちなみに、発生前から行われてきた新型インフルエンザ対策(体制整備を含む)は下記資料にあります。
(以下リンク先引用)
-----------
【プレパンデミックワクチンの備蓄】59億円
○ウイルス変異に対応したプレパンデミックワクチンを製造し、備蓄するため、中国青海株(約1000万人分)で製造したプレパンデミックワクチン原液の買上げを行うもの
-------

この59億円、今となっても本当にプレパンワクチンに使うのかな?

追加

>当該発言をされた方の中には、野党議員に近い方もいらっしゃるので
これ、どなたですか?

○ マヨネーズについての記事は、マヨネーズに鶏卵が使われているが、鶏卵に関連する細菌やウイルスが混入した場合でも、食塩、食酢等の働きや加熱処理の段階でウイルスが不活化できる、というニュースですから、今回のと比較すると、豚肉や豚肉の加工品は安全です、というような情報に該当するのでは。マヨネーズを使っても大丈夫、ならわかりますが、ウエポンのひとつのような捉え方であれば、あまり適切ではないと思いました。

堀米さま

>●「鳥インフルエンザはマヨネーズの中で不活化する」、キユーピーが研究結果

インフルエンザウイルスはエンベローブを持つタイプのウイルスなのでアルコールや石鹸、洗剤などでも容易に不活性化されるというような話を、昔、どこかで聞いた記憶があります。マヨネーズに含まれる酢酸も似たような働きをするのかも知れませんね(一次情報を示せなくて申し訳ないですが)

心配なら消毒用アルコールのスプレーを時々使うとか、マスクを使うとかで十分なのではないかと個人的には思いますが。

マスクも他人に飛沫を飛ばさないとか、他人の飛沫を吸わない、或いはまた、埃を吸っていたずらにくしゃみを誘発するのを防ぐなんていう働きもあるでしょうから、「眼球の粘膜が露出しているから意味がない」とか、「隙間から息が漏れるのでは意味がない」とかというようなゼロか一かの二元論的に考えるのではなく、要は程度問題だと理解するのが適切なように思えますが。

中野様

とかく過激になりがちなジャーナリズムに対し、冷静なコメントを発しておられますね。いつもながら感心しております。

ぜひご教示いただきたいのですが

>>また、国内発生までの時間が稼げた蓋然性も高いと思います。

いろいろと新聞やメディアの記事を探してみましたが、何をもって時間が稼げたのか、データを見つけられませんでした。
具体的なデータのありかなど、ご教示いただけませんか?

>充電済み様
鋭い御指摘をありがとうございます。

適切なコントロールを取ることが困難なこともあり、蓋然性というような表現を使わざるを得ませんでしたが、今回は、初期の段階から全く検疫強化を行わなかった場合と比べて「国内発生を1週間程度(検疫での陽性例の報告から国内発生までの期間)遅らせた」と言えるのではないかと考えました。

例が1つしかないので、これが幸の部類なのか、むしろ不幸の部類なのかは、確定的なことは言えません。
また、例えば、神戸の例と大阪の例が時期が逆になった可能性もありました(その場合は、世論は検疫を疑問視する方向に傾いたかもしれませんね)。

(蛇足)
モデル的には、症例が規則的にd日ごとに水際に来るとして、それを検疫(というか入国時のスクリーニング)で発見できない確率を1/pとすると、すり抜けが初めて起こる日の期待値ははじめに症例が来た日を0日として(p-1)d日目、という計算になると思います。

脇から失礼

>モデル的には、症例が規則的にd日ごとに水際に来るとして、それを検疫(というか入国時のスクリーニング)で発見できない確率を1/pとすると、すり抜けが初めて起こる日の期待値ははじめに症例が来た日を0日として(p-1)d日目、という計算になると思います

検疫とスクリーニングは違うのでこういう説明の仕方はかえって検疫に対する誤解を助長しはしませんか。

検疫というのはあくまでも、各国の法律に基づいて、何らかの手段によって検疫感染症に罹患している人を発見・隔離し、接触者については停留するということではないかと思いますが。

この「何らかの手段」に咽頭拭い液検査などの「スクリーニング検査」も含まれはしますが、まずは調査票や出発国情報などによって入国前の人々をおおまかに振り分けていたり、サーモグラフィーによって、その時に発熱している人を多くの通行人の中から効率的に発見しようとしたり、或いは入国後の人々についても保健所から定期的に連絡してフォローするなどというような、いわば、検出方法にそれぞれ限界がある中で、それでもなんとか発見に努めようと努力しているということではないですか。

この手の数理モデルでは確か感染研の大日(おおくさ)氏などが、より緻密なモデルで国内での感染の拡がりの予測などをなさっていたかと思いますが、私は現時点で今回の新型インフルに対する検疫の効果を論じるのは時期尚早だと思っていますが。

>KHPN先生

おっしゃるとおりです。今回、検疫と書くべきか、スクリーニングと書くべきか、検疫所で発見と書くべきか迷ったので、そのあたりをきれいに整理していただいて感謝いたします。

趣旨は、入国後に他人に感染させる可能性のある者を水際で隔離・停留等できる可能性が0でないかぎり、国内発生までの日にちの期待値は稼げる、という感覚を定量的に示せないか、という思いに基づくものです。(結果は(私の感覚では)当然なのですが、高校時代の数学を使って試算してみたらそれなりにきれいな式になったもので。)

一方、サーモグラフィーの「有症者発見率」はわずか○○%で、それに300万をかけるとは何事か、というような、少々早計な言説もあり、この%をそのまま式に代入されて出た数字が一人歩きすることも望ましくありません。言ってしまった者として、可能な限りできちんとフォロウしていきたいと思います。

議論興味深く拝見しています。
検疫のみならず、今回のインフルエンザ対策は、「予行演習」として、今後に活かすために検証が必要だと思っております。
中野稀哲様の、(蛇足)の部分の計算式が良くわからなかったので、またご教示いただければ幸いです。発熱がなく検疫でひっかからない確率が1/10として、1日に10症例来れば、水際対策が遅らせることができる日数はどういう見込みになるのでしょうか。逆にこの数値ふくめて、後で検証せねばならないですね。

 しかし、今回の場合、ほとんど検疫について感染症医師からも海外からも支持する声は聞こえず、またその効果については何ら検証されていません。大量に医師を動員しました、でも潜入していました。
 そして騒ぎは市井へ。結局、アメリカなどよりも深刻な問題になろうとなるまいとメディアはそんなことお構いなし。現場には過重労働とメディアによる過剰な報道による過剰な期待感が高まってしまいました。
 公衆衛生がこういうときにほとんど活躍できるようにお金を投じていないこと、またコミュニケーションを取れないため、霞ヶ関のお役人がハバをきかせたけど、何にもできていなかったなぁ・・・というのが今回の感想です。

>元内科医様

蛇足が思わぬ反響を呼んでしまって、何だか申し訳ありません。
他の先生が御指摘のとおり、状況を相当単純化した、頭の体操程度のものですので、その点は御容赦ください。

(本論からずれるので斜体にします。)


簡単に、1日1件、症例がスクリーニングを通るとして、10%の確率でそれを発見できないとします。
最初に症例が来る日をDay 0とすると、
初めてのすり抜けがDay 0になる確率は0.1
初めてのすり抜けがDay 1になる確率は(1-0.1)*0.1
初めてのすり抜けがDay 2になる確率は(1-0.1)^2 * 0.1
・・・
初めてのすり抜けがDay nになる確率は(1-0.1)^n * 0.1
となります。

従って、初めてのすり抜けの日の期待値Eは、k * (1-0.1)^k * 0.1をk=0からk=infinityまで総和したものになるので、この場合ですと9になる、という計算です。

>通りがかり様

しかし、今回の場合、ほとんど検疫について感染症医師からも海外からも支持する声は聞こえず、またその効果については何ら検証されていません。大量に医師を動員しました、でも潜入していました。

○ 思い返すに、このような、「潜入させない」ことが検疫の目的として設定されている、という「ストローマン」がおかれてしまったことがすれ違いの大きな要因になってしまったのでは、と思います。

○ 検疫について批判する声が感染症の専門家を名乗る医師から、また海外からも批判されているかのような報道が一部のメディアでなされましたが、その根拠についてはいろいろと問題も指摘されています。また、以前別のところでお伺いしたのですが、WHOのガイダンス文書「Pandemic influenza preparedness and response」には、よく出されるQ&Aと撞着するようなことが書かれてもいます。正直、WHOの姿勢はよく分かりません。

○ あと、単純な疑問なのですが、「大量に医師を動員しました」って、いったいどのくらいだったのでしょうか。実は私も(所詮は部外者なので)知りませんし、報道でも「文科省が大学病院に協力を依頼した」等のばっくりとしたものがあるだけで、実際に何科あたりからどのくらいのレベルの人が何人規模で動員されて、実際に現場がどれだけ圧迫されたのか、定量的なことがわからないのです。「通りがかり」様は「大量に医師を動員しました」と表現されていますし、他にもこの点をもって検疫を批判されていた方もいらっしゃるので、どなたかそのあたりのことを補足していただけるとうれしいのですが・・・。

 そして騒ぎは市井へ。結局、アメリカなどよりも深刻な問題になろうとなるまいとメディアはそんなことお構いなし。現場には過重労働とメディアによる過剰な報道による過剰な期待感が高まってしまいました。

○ ここはよく理解できませんでした。逆に、毒性も感染力もほとんど分からない時期から検疫強化をしないままにしていたら、現場は今より楽になったでしょうか?現場への期待感は今より少ないでしょうか?(この「現場」は、病院などの「医療の現場」という意味で理解しました。)

 公衆衛生がこういうときにほとんど活躍できるようにお金を投じていないこと、またコミュニケーションを取れないため、霞ヶ関のお役人がハバをきかせたけど、何にもできていなかったなぁ・・・というのが今回の感想です。

○ 残念ながら、ここは国語としてよく理解できませんでした・・・。

中野稀哲様
ご説明ありがとうございます。
ご教示いただいた計算式は1日1例来るか来ないか、という頻度が前提なのですね。今回水際に到着する症例数もその程度の頻度だったと見積もられるのでしょうか。
10人以上来た場合もそういう計算でされるものなのか、という質問でした。

繰り返しになりますが、検疫のみならず、今回の対応は、次回以後に活かされるために冷静に分析されるべきものだと思っております。

元内科医さま

>検疫のみならず、今回のインフルエンザ対策は、「予行演習」として、今後に活かすために検証が必要だと思っております。

そうですね。
ドグマに囚われることなく虚心坦懐に省みる、そして次に向かってより柔軟に考え、改善する。このことが重要でしょうね。


通りがかりさま

>現場には過重労働とメディアによる過剰な報道による過剰な期待感が高まってしまいました。
 公衆衛生がこういうときにほとんど活躍できるようにお金を投じていないこと、またコミュニケーションを取れないため、霞ヶ関のお役人がハバをきかせたけど、何にもできていなかったなぁ・・・というのが今回の感想です。

そうですね。国語としてはよくわからなくても、感覚としてはなんとなくわかる気がします。特にこの「霞ヶ関のお役人がハバをきかせたけど、何にもできていなかったなぁ」という見られ方をしているという点、真摯に受け止めて次に活かして欲しいですね。

中野稀哲さま
>正直、WHOの姿勢はよく分かりません。
仰るとおりですね。
WHOも厚労省も、また使われている専門家も、マスコミも何だか本物がいなくなってしまったような気がします。(或いは部内に人材はいても、活かすような差配をしなかっただけか)

うまく言えませんが、必要とされていることは、マスコミで評論家的に語ることや、医療関係者や国・自治体の職員や応援の人々を疲弊させることではなく、地道で燻し銀のようなプロの仕事を確実にこなす、またそのための差配なのだと思います。

例えば、単に冷静な行動をと漠然と呼びかけるのではなく、行動の目的や安心しても大丈夫な具体的理由、そのとき実施可能な対処法をまず最初に

(1)インフルエンザウイルスというものの特性に基づいて説明(エンベロープがあるウイルスなのでアルコールや石鹸で不活性化される。飛沫というくしゃみの時のしぶきによって感染するのであって、空気感染するものではないことなど。だからマスクや手洗い等で十分だと世間が納得できる。)

(2)被害想定の何十万人という数字の大半はcompromized hostであり、健常者はむしろベクターとならないような行動や日々の健康管理が社会的に求められることなどの、公衆衛生上の目的を説明

などを行い、初期の対策で時間を稼いでいる間に、

(3)世界中から上がる新型インフルエンザの症例(特に死亡例)の臨床経過を整理して世の中に示したり、得られた遺伝子情報を分析・整理して世の中に示したり、こういう科学的に必要な仕事を具体的に専門家に行ってもらう。

(例えば私のような素人がNIHの公開情報にアクセスして分析しただけでも今回成田で得られた株とカリフォルニアで得られた株のNAは共に1410bpで4箇所でSNIPsが認められ、ニューヨークの株は後ろが切れて短くなっているとか、欧州で得られた株はゴチャゴチャになっていて検査ミスか大いなる変異が疑われるなんていう、ある程度の当たりがつけられるので。恐らくその道のプロがやれば、もっと良い仕事ができると思います。要は、そういうことの必要性に気づき依頼を出せるセンスの問題かもしれませんが)

今回は、こういう動きが残念ながら外から見て伝わってこなかったように思います。

追加

今後WHOがやるべきこととして「世界中の死亡症例の臨床経過や遺伝子情報を集めて分析・整理し、世の中に逐次公表していくこと」を加えたいと思います。

>KHPN様

 公衆衛生がこういうときにほとんど活躍できるようにお金を投じていないこと、またコミュニケーションを取れないため、霞ヶ関のお役人がハバをきかせたけど、何にもできていなかったなぁ・・・というのが今回の感想です。

○ この部分、「公衆衛生」がどの範囲を指しているのか、「コミュニケーション」が誰と誰の間のものを指しているのか、「役人がハバをきかせる」が何に対してのものなのか、「何もできていなかった」がどの内容についてなのか、言葉が足りなすぎて、おっしゃっている内容を吟味しがたいので、KHPN様御指摘の通り、受ける印象レベルの話になってしまうのですが、確かに行政に対するとても冷ややかなものを感じました。「通りかがり」様のプロフィールは分かりませんが、一部の方と行政の間の信頼関係は、相当冷え切っているな、と改めて実感しました。これは双方にとって、また一般国民にとっても大変不幸なことです。

国民とのコミュニケーションが素っ気なかったことについて、(私の立場からすれば、言質を取られること、癒着を疑われること、個別論に終始してバランスを失うこと等の懸念があったことを説明したくなるのですが、それでもなお、)行政側に反省すべき点があったのではないかと思います。一方、これらのことを警戒させてしまった国民の側にも何かできるところがあったかもしれません。

また、純商業的に考えれば、不信・不和のあるところはもちろん、ないところにおいても、評論家は不信・不和をかき立てることで成功することができて、これは強い立場の者を監視するという点で機能することもありますが、行きすぎれば社会が疑心暗鬼に満ち、皆が不必要に冷笑的になってしまう、という負の側面も持っています。この点においてバランスを欠くことがなかったかどうかも振り返るべきときかもしれません。

>元内科医様
10人以上来た場合もそういう計算でされるものなのか、という質問でした。
dを1未満に設定すればよいのでは。
ただ、もちろん、実際にはpもdも定数とは限りませんので、そういう限界はあります。

繰り返しになりますが、検疫のみならず、今回の対応は、次回以後に活かされるために冷静に分析されるべきものだと思っております。
おっしゃるとおりです。貴重な経験ですので、「そのときの対処・判断は妥当だったのか」というようなプロスペクティブな視点、「振り返ってみたらどのように言えるのか」というレトロスペクティブな視点の両面から、それぞれの利点と限界を意識しつつ分析し、本件の今後の対応に、また次の機会にも生かせるとよいと思います。

中野様

>一部の方と行政の間の信頼関係は、相当冷え切っているな、と改めて実感しました。これは双方にとって、また一般国民にとっても大変不幸なことです。

行政の立場の方としてなされた多くのご投稿の主旨がほとんど読み取れなかったのですが、これもそのひとつです。上記の第一文と第二文の間の論理のつながりが理解できません。
「一部の方と行政の間に信頼関係がない」のは自由主義国家ではあたりまえのことでことさら「双方にとって大変不幸なこと」ではありません。言論の自由など当たり前ですから。ましてやそんな一部の対立が他の大部分の対立と関係ない「一般国民にとって」どのような「大変不幸なこと」になるのか具体的にイメージできず、ご主張の根拠がわかりません。
国民と行政を「双方」と表現して、ひとつの社会に別々に成立している法人格として捉えておられるのはわかりましたが。

もう一点。
>それぞれの利点と限界を意識しつつ分析し、本件の今後の対応に、また次の機会にも生かせるとよいと思います。
これは前記で言うどちらの「法人格」がどう生かすとよいと思われているのでしょうか。ちなみに行政には権力があり国民には権力がありませんね。

中野様

すいません、また充電してました。

適切なコントロールを取ることが困難なこともあり、蓋然性というような表現を使わざるを得ませんでしたが、今回は、初期の段階から全く検疫強化を行わなかった場合と比べて「国内発生を1週間程度(検疫での陽性例の報告から国内発生までの期間)遅らせた」と言えるのではないかと考えました。

中野様と情報量が違うためなのでしょうか、私には、検疫が国内発生を遅らせたとは感じられないのです。折角いろいろと解説下さいましたが、後付けの言い訳の様に感じられてしまいます。主観論ですみません。

是非、次の点について考えをお聞かせ願えますでしょうか。

大阪府もそうですが、東京都も「濃厚な接触歴の無い発熱は、発熱外来でなく一般医療機関を受診するように」というおふれを出しています。

神戸での市中発生第1例は接触歴不明でしたよね?

なぜ、役人はこのようなお触れを出し続けるのでしょうか?保健所や発熱外来のキャパオーバーを心配しているのでしょうか?

>ちなみに行政には権力があり国民には権力がありませんね。

つまり、我が国は民主主義国家ではないという事ですね
驚きました

今回のインフルエンザを見て思うのは、有益な情報と、国民が知りたい情報との間には強いギャップがあり、有益な情報がウェブに掲載されているにも関わらず、その情報が国民の手には届かないものなのだと言うことです。

あらたにすというマスコミのサイトで、国立感染症センターの岡部氏が日本記者クラブで行った講演録が掲載されているのですが、私はこの講演録は非常に有益であり、興味深いものに感じますが、ネットでの雰囲気を見る限り、一般には届いていない様に思いました。

<新型インフルエンザの現状と対策>岡部信彦氏
http://allatanys.jp/B001/UGC020006020090514COK00293.html

また、マスコミというフィルターを通すことによって、政府首脳の発言が変質してしまうと言うこともあるのかなと思いました。

例えば、検疫に関して「厚労省は検疫により安心感を国民に植え付け、そのために国内感染の発見が遅れた」というような意見がありますが、


例えば、麻生首相は「政府は、引き続き、『基本的対処方針』に基づき、水際対策等に徹底して取り組むとともに、併せて、国内での患者の発生に備えた準備を進めていく所存です」と発言しております。

河村官房長官は「これから国内での二次感染等も考えられるわけでありますから、これは既に基本的対処方針に則って対応をしなければなりませんが、この事態がくれば、来た時点でもう一度そのことをきちっと注意を喚起、これはまたその会議をやらなければいけないと思っておりますが」と発言しております。

舛添厚労大臣は\"舛添要一厚生労働相は9日、問題浮上後、4度目の記者会見で、国内初の感染確認を発表した。「水際で止めた」と自己評価したが、感染者の1人が機外に出ていたほか、把握できない接触者もいることに戸惑いも。「国内感染は時間の問題と思って危機管理する」とあらためて決意を示した。\"


麻生首相、河村官房長官、舛添厚労大臣の発言から分かることは、政府や行政は国内感染が起こることを認識しており、国内感染を前提に行動してきたと言うことです。その政府首脳の認識が、なぜマスコミや国民に伝わらなかったのか、検証することが必要かも知れません。

もう一つ

厚生労働省を含めた政府と、自治体との連携がいまいちとれていないという印象を受けました。ガイドラインで見る限り、政府は自治体にある程度権限を分担している印象が伺えるのですが、自治体は「えっ、こんな事まで自治体で判断しなければならないの?」という感じで、とまどっている印象を受けるのです。

政府の周知不足と言えばその通りなのですが、自治体の準備不足という印象が否めません。平時から準備をしておくべきなのに、準備が全くできていないことが、インフルエンザ騒動と言われる混乱の原因なのかなと思います。


政府はある程度準備をしているように思いました。

>中野稀哲さま

>単純な疑問なのですが、「大量に医師を動員しました」って、いったいどのくらいだったのでしょうか。
厚生労働省のHPに5月13日の状況が掲載されています。
http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu090513-01.pdf

それによると、この日の応援部隊は成田、関西、中部合わせて総勢211名。うち医師は27名、看護師79名。成田は総勢176名で医師17名、看護師69名です。この数字をもって「医師が大量」と言えるのか意見が分かれるところでしょうね。

しま様

>その政府首脳の認識が、なぜマスコミや国民に伝わらなかったのか、検証することが必要かも知れません。

まずどこを検証いたしましょうか?
政府首脳と国民の間にあって国民に首脳の認識を政治として伝える組織が行政ですね。まずは行政を検証することが必要かもしれませんね。政府首脳と行政の間にはマスコミがフィルターとして介在できる余地は絶無ですから。

行政は行政権という権力を持っています。国民は主権という基本的人権を持っていますが、民主主義国家ではこれは行政立法司法の三権と対等な「権力」ですか?じつに斬新な「権力」の定義に私も驚きました。

こうしてみると、しま様の連続投稿のご論旨も私には中野様の論旨同様なにをどうなさりたいのかよくわかりませんね。どういうお立場からのご意見なのかということも含めて。

私からも気になる報道をひとつ。

韓国が日本からの入国者に対する検疫を強化するとのニュースを見ました。

なるほど、周辺から見ると、わが国は既に蔓延国として映っているのですね。

1号ケースは韓国の方が先だったのに、その後の伸びに違いがあるということは、やはり、大型連休の影響が大きかったのかな。

パンダさま

>それによると、この日の応援部隊は成田、関西、中部合わせて総勢211名。うち医師は27名、看護師79名。成田は総勢176名で医師17名、看護師69名です。この数字をもって「医師が大量」と言えるのか意見が分かれるところでしょうね。

当初から気になっていたのですが、211名中176名(83.4%)が成田、残り35名(16.6%)が関空と中部ということは、成田だけ極端に手厚くて他は手薄なのではという印象を受けるのですが便数や乗客数から割り出すとこういう配分になるということなのでしょうか(また福岡はどうなっているのだろう)。

当初計画でうたわれていて国交省も表明した空港の集約化も結局行われず(羽田には相変わらず国際線が入っている)、なんかちょっと全体レベルでのバランスがどうだったのだろうかという気がしませんか?

まあ、季節性インフルエンザとほぼ同じということがわかってきたので、結果的にあまり目くじらを立てるような話ではないですが、こういうインバランスな部分はちょっと気になります。

KHPNさま
>成田だけ極端に手厚くて他は手薄なのではという印象を受けるのですが便数や乗客数から割り出すとこういう配分になるということなのでしょうか
厚生労働省のHPに5月19日の検疫実施状況が公表されています。
http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu090519-11.pdf
それによると機内検疫は成田34便(米32、加2)、関空1便(米1)中部1便(米1)ということなので、医師・看護師の応援は基本的には機内検疫への対応でしょうから、成田中心ということになったのではないでしょうか。

>国交省も表明した空港の集約化も
今回対象となった便は米国本土、カナダ、メキシコということなので、もともと3空港しかなかったということなのでは。


中野稀哲さま

>検疫の有効性について、一部の編集委員の方が・・・
検疫にも「現場」というものがあるので、それを良く知らない人が偏った知識でいろいろ言うと変な事になるんでしょうね。
毎日医療現場から30人弱のお医者さんに検疫の現場を経験したもらったことは、「現場を知る」という意味で大変良かったのかもしれません。
この動員でわが国の地域医療が崩壊したと考える人はおりますまい。

パンダさま

>成田34便(米32、加2)、関空1便(米1)中部1便(米1)ということなので

なるほど。関空も中部も思ったほど北米便は飛んでないということなのですね。

それにしても日本もいつの間にか感染者数が世界4位になりましたね。(真面目に検査しているから発見されるという見方もあるようですが...)
やはりゴールデンウィークやイースター休暇などの大型連休で海外に出かけて、知らないうちに感染してしまい帰国して広まってしまったということなのでしょうか。

NIHのGenBANKを眺めていると、ヒトからブタに感染したことが疑われる株までも分離されたようですが、昔医学教育を受けた者の端くれとしては、点変異を追って系統樹を描いたり、死亡例についての臨床経過と分離された株についての分析なども早いところ明らかにして欲しいものだと思います。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/genomes/FLU/SwineFlu.html

追加

>毎日医療現場から30人弱のお医者さんに検疫の現場を経験したもらったことは、「現場を知る」という意味で大変良かったのかもしれません。

「現場を知る」べき人々は応援の医師たちではなく、法律や行動計画などの制度設計に関わることのできる「大本営」の人々ではないですか。

日本人にはどうも適切な補給も兵站もなく相変わらず皆で突撃というような精神論に支配される傾向が未だに残っているように感じますが、ガダルカナルやインパール作戦と同じような過ちを犯すのではなく、「過則勿憚改」(過てば則ち改むるに憚ることなかれ)これを柔軟に徹底すべきだと思います。(その意味では今回の舛添大臣の柔軟な対応とリスクコミュニケーションは良かったと私は思いますが)

>充電済み様
○期待値について
中野様と情報量が違うためなのでしょうか、私には、検疫が国内発生を遅らせたとは感じられないのです。折角いろいろと解説下さいましたが、後付けの言い訳の様に感じられてしまいます。主観論ですみません。

そう思われる方もいると思います。
私が期待値の概念を使おうとした理由も、充電済み様のように、おそらく1回や2回の経験では、効果を実感として感じにくいかたもいらっしゃるだろうと思ったからです。(初の国内発生が初の停留よりたまたま早く起こっていたら、世間も効果なしと見なしたかもしれません。)当然ながら、稼ぐことのできる時間にはばらつきがあります。できるだけ今回の状況と似た状況の事例を集めて、その比較検討をすることができれば、より正確な評価が可能でしょうが、今のところ難しいと考えています。

○大阪府、東京都の対応について
情報がないので、個別の事例を都や府に代わってご説明することは困難ですが、一般に、地方自治体には、その地域の実情についてよく情報を持ち、それに応じてカスタマイズした策をとれる、という強みがあります。全国一律、一貫した対応の方が何となく気持ちがよい、というのも理解できるのですが、地方自治体に裁量がゆだねられている施策は、この強みをより意識しているものだと思います。迅速な対応が求められるときは、地方の事情を無視していると言われるリスクをとってでも中央政府が強力なリーダーシップをとれる体制を備えるべきである、という考え方もあると思いますが、一方で、個人的には、各地域で制度の多様性を確保することによって、独創的な方式が地方から提示されることもあり、その良さも捨てきれないと思っています。

>パンダ様
○医療関係者の「大量」動員について
ありがとうございます。厚生労働省のサイトに出ているのですね。これは、他の検疫所からの応援、自衛隊からの応援、本省からの応援分も含んでいるのでしょうかね。もしそうだとすればいよいよ、地域医療を担う病院から大量に医師が動員されて日常診療が危険にさらされた、というイメージも疑ってみた方がいいのかな、と思います。

>前々期高齢者様
○政府と国民の信頼関係について
もちろん、国民が政府に盲目的な信頼を寄せるべきとは思いません。
しかしながら、政府と国民の間の信頼関係が度を超して損なわれれば、信頼関係がある場合に避けられるコストを避けられなくなります。避けられてよいはずのコストを避けられないことを不幸と表現しました。

例えば現在、政府の感染症対策施策に科学的根拠があり、効果があるというある程度の信頼があるからこそ、ある程度の社会不安で抑えられています。(全ての国民が根拠を理解し、批判的に吟味することはできませんから、ある程度は「信頼」に頼るしかありません。)しかし、一部の方とはいえ、医療者のように社会的役割と信用が大きく社会に影響が大きい方々が、必要以上に悲観的、冷笑的であれば、この方々はもちろん、国民全体が不安に駆られ、自己防衛に多大な資源を割かざるを得なくなる可能性があります。
少なくとも、思い込みや疑心暗鬼、または感情的なものによって、政府への信頼が理不尽に損なわれているとすれば、これは是正した方が好ましいでしょう。

前述のとおり、通りがかり様の表現は、全体としてはほとんど言わんとする意味が分からなかったのですが、「霞ヶ関のお役人がハバをきかせたけど」という部分からは行政に対する感情的な反発が強く感じ取れ、またロハスメディカル等において、正確さ、公正さに疑問の残る政府批判が散見されることを踏まえると、上記のような状態がないかどうか確認する必要性を感じました。

医療関係者の方々と患者さんとの関係にも似たところがあるかもしれませんね。

○政府と国民、という分け方について(?)

国民と行政を「双方」と表現して、ひとつの社会に別々に成立している法人格として捉えておられるのはわかりましたが。
(中略)
>それぞれの利点と限界を意識しつつ分析し、本件の今後の対応に、また次の機会にも生かせるとよいと思います。
これは前記で言うどちらの「法人格」がどう生かすとよいと思われているのでしょうか。ちなみに行政には権力があり国民には権力がありませんね。

前々期高齢者様の「法人格」という言葉が適切かどうかは分かりませんが、私が国民と政府のコミュニケーション、というように、二つの主体によるモデルで考えていることは事実です。

残念ながら、前々期高齢者様の問題意識が何処にあるのかよくつかめていません。想像するに、そもそも政府は他ならぬ国民の代表であるのだから国民と政府という分け方はおかしいのではないかという御疑問、または、政府は国民から権利を信託された存在なのだから、「行政にとっての反省すべき点」とは別に「国民の側でできる点」が存在するかもしれないというのはおかしいのではないかという御疑問なのかな、と考えますが・・・。もう少し詳しく御自分の問題意識を御説明頂けませんか?

○政府首脳の認識がマスコミや国民に伝わらなかったことについて
>その政府首脳の認識が、なぜマスコミや国民に伝わらなかったのか、検証することが必要かも知れません。
まずどこを検証いたしましょうか?
政府首脳と国民の間にあって国民に首脳の認識を政治として伝える組織が行政ですね。まずは行政を検証することが必要かもしれませんね。政府首脳と行政の間にはマスコミがフィルターとして介在できる余地は絶無ですから。

横から失礼します。
しま様が引用されているのは、3つとも談話や記者会見での発言で、行政機関としての認識を、その長として国民に向けて発信したものであり、例えば政府首脳の個人的認識を行政機関内部に向けて発信した、というようなものではありません。

従って、これがうまく伝わらなかったのではないか、という問題意識があるときに、「政府首脳と行政(行政機関における部下たち?)の間」を検証するというアプローチをとることは、流れをはずれているのではないかと考えます。

>KHPN様
>当該発言をされた方の中には、野党議員に近い方もいらっしゃるので
これ、どなたですか?

投稿の表示が前後していたせいで、お答えし損ねていました。

東京大学の上先生を想定して書いたものです。
ネット上で調べた範囲ですが、
・上先生の研究室には、民主党の鈴木寛議員が所属され、お二人で「現場からの医療改革推進協議会」の事務局を務めていらっしゃるとのこと。
・同協議会の発起人リストには、民主党の足立信也議員、他医療界の著名人(川口さんを含む)も多数名を連ねていらっしゃる様子。
・なんと、舛添厚生労働大臣自身も、この協議会の発起人をされているので、上先生と知らぬ仲ではないのかな、とも思います。
・発起人ではありませんが、上先生のかつての同僚で厚生労働省の官僚になられた方(村重直子さんとおっしゃる方)もいらっしゃって、協議会のシンポジウムで講演をされていたようです。
・もちろん、上先生はロハスメディカルの編集委員もされています。

こういった、医・政・官・マスコミに通じる幅広い人脈と人望を持たれていて、他の分野では事務局としてシンポジウムを開催されるなど行動力もお持ちの方が、なぜ、今回の件については、ネット上のジャーナリズムや、週刊誌のインタビュー程度で止まっていらっしゃったのか、不思議に思っています。御自身の専門分野と異なるという遠慮があるのかとは思いますが、ネット上ではかなり語気強く批判をされていらっしゃったので、上先生が国を思い、本気になって検疫強化をやめさせよう、代替の腹案を実施させようと運動されれば、かなり国を揺さぶれただろうに、と。

もっとも、今回の国内発生→水際対策緩和の流れが、それを汲んだもの、なのかもしれませんが。

中野様

以前にも申し上げましたが、行政文書と同等の報道価値をブログの記事にお求めなさるのであれば、川口編集長に申し入れて行政官としてのご自分のブログをここに開設なされてはいかがですか。そこで各ブログ記事の内容について集中的にとりあげてご自分の問題意識を読者に問うほうが各ブログのコメント欄が整理されて読みやすいかと存じます。

私の問題意識についてですが、制度論を語るブログを開いてそちらで集中的に議論を求められれば参加するにやぶさかではありませんが、ここで長々とピント外れを続ける積りはございません。また、私にとってはお立場不明のしま様のコメントの代弁をなさっておられるようにお見受けしましたが、しま様は中野様とおなじ行政官の立場からコメントされたのであるのか、なにか個人的にご存知なのですか?いずれにせよ、中野様とここで制度論へ議論を拡散させる積りはないので、前段に記した件ご検討の程お願いいたします。

中野様
私も前々期高齢者様と同じように思います。
上先生のことを縷々述べていらっしゃいますが、メールマガジンなどお読みでしょうか。私は読みましたが、真っ当なことを書いていると思います。
市井の立場から発信され、今回のインフルエンザ対策の流れを変えておられますよね。

前々期高齢者さん
>私にとってはお立場不明のしま様のコメントの代弁をなさって
>おられるようにお見受けしましたが、しま様は中野様とおなじ
>行政官の立場からコメントされたのであるのか

私は行政官ではありませんよ。

私の意図を中野さんに正しくくみ取って頂いているのは確かです。
中野さん、フォローありがとうございます。

>前々期高齢者様

私としては、前々期高齢者様から

ご主張の根拠がわかりません。
(中略)
これは前記で言うどちらの「法人格」がどう生かすとよいと思われているのでしょうか。ちなみに行政には権力があり国民には権力がありませんね。

と、御問いかけ頂いていましたので、それにお答えしようと思い、そのために御問いかけがどのような問題意識の表れなのか、確認させて頂いた、という意識でおりました。
正直なところを言えば、むしろ、御問いかけ頂いているので仕方ないけれども、応えたら元記事の内容から離れてしまうな、と、若干困惑していたところでもありますので、行政制度等に関する一般論にお話を広げない、という御意向はむしろ助かるところです。

なお、別の所でも同様の御提案を頂いておりますが、ロハスメディカルの記事やロハスメディカル・ブログの記事に対して、感想を述べたり、不明なところについては詳細の解説をお願いしたり、誤解を招くと思われる表現について指摘したりさせていただいておりますが、これはコメント欄の本来の目的だと考えますので、これ以上の場を頂く必要性は感じません。

他の方々からの御問いかけにも可能な限り誠実に対応しようと思っており、一方、その結果、脱線が過ぎる可能性はいつも心配なのですが、幸いにも、今回は、御問いかけ側の前々高齢者様の方で自制して頂いたので助かりました。

>私にとってはお立場不明のしま様のコメントの代弁をなさっておられるようにお見受けしましたが、しま様は中野様とおなじ行政官の立場からコメントされたのであるのか、なにか個人的にご存知なのですか?

しま様のお立場は存じませんし、個人的にも存じ上げておりません。
前々高齢者様が提示されたアプローチが、妥当性を欠いているのではないかと私自身が考え、失礼ながら、横から発言させて頂きました。

2カ所ほど訂正です。
前々高齢者様→前々高齢者様

>元内科医様

>上先生のことを縷々述べていらっしゃいますが、メールマガジンなどお読みでしょうか。私は読みましたが、真っ当なことを書いていると思います。

○新型インフルエンザに関する上先生の言説としては、下記の、MRICのメールマガジンの記事を拝見しました。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200905/510684.html

私は、先に川口さんがインタビューされた木村氏よりは幾分の慎重さをお持ちとは思いましたが、それでもやはりかなり危うい印象を受けた(理由は後述)ので、残念ながら真っ当とは思えませんでしたが、まあ現状に深い不満をお持ちなんだな、とは思いました。

危ういと感じた理由は以下の通りです。

  • 検疫の有効性をすり抜けがありうるかどうかという視点で論じられている点

  • 本論とは直接関係のない、木村氏の身内批判にもしっかりとスペースが割かれている点

  • 「国立国際医療センターのJICAの待機医師・看護師や、国立研究所など、診療に従事していない医師・看護師を、発熱外来へ応援に行かせることを、不安を抱えている医療機関に約束する」という木村氏の提案に似た提案に、木村氏の提案に指摘したのと同様、実現可能性や実施時のインパクトを吟味した跡が感じられない点

  • 「ところで、なぜ厚労省は検疫にばかり注力して、医療機関の体制整備にお金や人手を振り向けようとしないのでしょうか。それは「検疫法」では、検疫は厚労省が公権力を行使して、直接行うことになっているからです。ところが、もし1例でも国内で発生すれば、それ以降は現場の医療機関の問題となり、厚労省の直接的な仕事ではなくなります。厚労省に限らず、役人の行動原理は責任回避が大きなウェイトを占めますから、国内の医療機関の体制整備より「検疫の実績」を重視するのは十分に理解可能です。それが、いくら医学的には間違いで、国民の健康を損ねる危険性が高くてもです。」と、誤った前提とそれに基づく勘ぐりのような推論が展開されている点

  • 等々。

○注意すべきことに、上先生は、「市井」という表現に収まるような方ではないと思います。ただでさえ東京大学で特任准教授の地位にいらっしゃる方ですし、先に述べたように、医・政・官・マスコミに人脈のある社会活動家という顔もお持ちです。

特に、厚生労働大臣との関係は浅からざると想像します。野党議員ならともかく、与党議員、しかも現職の担当閣僚が、厚生労働省を厳しく批判している団体の発起人として、野党議員と肩を並べて名を連ねている、というのは相当なリスクです。下手をすれば、批判されている当事者としての自覚がないと責められたり、省内での統率力を疑われたりされかねません。そのリスクを冒してまで名を連ねたということは、舛添氏はこの会に相当期待するものがあるのだろうし、その中心人物である上先生との関係も大事にしているのではと考えます。

ところが、そんな先生が、重大な緊急性を意識して、具体的な提言まで示して真っ当な警告を発信されているというのに、実際には、先生が医学的に正しい知識を説いて流れを変えたのか、厚労省が国内発生などの状況を踏まえ、計画通りに力点をシフトしたのか分からないほど時間がかかっています。「JICAの待機医師・看護師」が応援に動いたという話も聞きません。これがどうにも不思議です。

中野様
コメントありがとうございます。
なんだか、中野様のほうが、「不満」などと表現されたり、匿名でこんな掲示板に書きこまれる内容なのかしら、と思います。お役所の方なんですよね?
私は、厚労省の方向転換が先なのかどうなのか、中野様も後でしっかり科学的に根拠をあげて検証いただければ良いと思います。厚労省が何をすべきか、今後に活かして頂くには、それが必須だと思います。

(オマケ。敢えて婉曲的な表現で書いていますので、そのつもりでお読みください。)

先ほどご紹介した記事の責任回避云々のくだりを見て、上先生は、役人が責任回避をするときの行動原理、分かってらっしゃらないなあ、想像で話されているんだろうなぁ、とも思いました。

もし私が検疫の担当官で、責任回避しか考えない小役人だったら、
・予算が足りない、機材が足りない、人が足りない、経験がない、縦割りなので連携できない、と検疫所の無力さを強調し、
・今まで予算を十分にくれなかった本省と財務省が悪い、ひいては、感染症対策に理解を示してこなかった国民が悪い、などと言い逃れ、
・停留なんてとんでもない、マスコミから人権侵害と言われたらどうするんですか?と逆上し、
・そもそも、潜伏期の人を見つけるなんて不可能だから水際対策は無意味、と居直り、
・騒ぎにもなっていることだし、言えばそれなりに補正予算くらいは付くだろうから、後は医療現場の先生方よろしく!と丸投げします。
・城壁の攻防なしでいきなり市街戦に突入した現場は混乱しますが、それは現場の医師の能力の問題なので役所の責任ではありません。予算をつけたのに世間が期待する働きをしない医師が悪いと主張します。
・現場から問い合わせを受けたら、どういう風に対処したらいいかは分かりません、専門家ではないので、と繰り返します。
・あまりの無責任さに非難が出るでしょうが、厚労省が無責任、という批判は今に始まったことではないので、もはや大して痛くありません。

ただでさえ厚生労働省は最近責められ続けているのですから、もし検疫強化なんてしておいて、水際で引っかける前に国内で発生が見つかったら、ほらやっぱりと叩かれます。わざわざ仕事を増やし、ハードルを上げるような馬鹿なこと、小役人なら普通しません。

何をやってもどうせ叩かれるのですから、自分が何も期待されなくなり、何においても当事者にならなくて済むまで非力・無能を演じ続け、定年まで閑職でのんびり過ごす、というのが最新型の小役人です。

KHPNさま
>「現場を知る」べき人々は応援の医師たちではなく、法律や行動計画などの制度設計に関わることのできる「大本営」の人々ではないですか。
「大本営」が厚生労働省職員という意味であるならば、200人あまりの応援要員の中に厚生労働省職員も結構含まれているみたいです。(その種の新聞報道もありました)

中野稀哲さま
>それでもやはりかなり危うい印象を受けたので、残念ながら真っ当とは思えませんでしたが、まあ現状に深い不満をお持ちなんだな、とは思いました。
不満というよりは、「日本の医療を良くしよう」という人一倍の意欲をお持ちであるものの、「真の阻害要因」についての分析が甘く、表面上の要因に主因を求めてしまっているということではないでしょうか。

中野稀哲さま

不毛な論議には参加したくはないのですが、ちょっと記載が長過ぎて読みづらいですね。それとあまり特定の個人名を引用して云々するのもいかがなものかなと思います。

一般人は中央官庁のお役人は権力も情報も桁違いに持っていると思っているので、そんな立場にいるであろう人が、そういうことをなさると、感情的な反発を招くことはあっても、国に対する支持や信用が次第次第に下がっていって大局的にマイナスなのではないかな。(もっとも中野様だけが役人だとは私は考えてはいませんが)


「小役人」について私見を述べさせていただくならそれは、「過則勿憚改」これを過たず柔軟にできない人や大局観を持てず目先のことに追われる人々などを指すのではないかな。

ことさら事大主義に陥ることなく、適切な相場観で、その状況に対処していく。
最小の資源投入で最大のゲインを得る。徒に職員や関係者を疲弊させることなく、次々と効果的な手を打つ。大役人というかプロの仕事は得てしてこういものでしょうな、傍目にはあまり仕事をしていないように見えるかもしれませんが。

この逆が小役人でしょう。これは一般論ですが、例えば、有事に際し、人を大量に動員し、職員をどん底まで疲弊させ、そのくせ戦略的な効果を上げられなかったとすれば、結果的に「言い訳のための仕事」であったと後日評価されてしまうのではないかな。

中野稀哲さま

>ロハスメディカルの記事やロハスメディカル・ブログの記事に対して、感想を述べたり、不明なところについては詳細の解説をお願いしたり、誤解を招くと思われる表現について指摘したりさせていただいております

じつのところ読者としては「カタい話をヤワラかく」(引き合いに出してすみません>堀米記者)という編集方針が行き過ぎて結果水掛け論的な責任論になってしまいそうなところを、中野様の行政官としての立場から「ヤラかい話にカタく喝!」みたいなお話が読めるのは非常にありがたいところがあります。

ただ、各ブログのコメント欄でなさいますと折角の制度論や報道のあり方論の基本的に大事な部分が、ブログの個々の記事に対するコメントの応酬の中では逆にピントがずれて来たように見えると思います。

いち読者としては、ロハスメディカルブログでは個々のブロガーのその時点でのジャーナリストとしての取材力を検証できる中野様の「ヤラかい話にカタく喝!」ブログも読める、ということになれば、結果としてロハスメディカルそのものの幅が広がりますます読み応えのあるブログになるので嬉しい限りなのですが。

中野様

基本的には中野さんのファンなのですが、2つの理由で、やられていることには意義が薄いと感じてきています。

1.川口さんも、堀米さんも、多分もう、中野さんのコメントをまともに見ていません。中野さんは多分、議論して成長してもらう的なことを考えているんだと思いますが、今までそうなったことがありましたか?大体は、無視か平行線じゃありませんか?
多分彼らは、言葉は悪いけど確信犯であって、指摘して変わるものではありません。中野さんとは違って、仕事でこういうことをやっているんですから、その辺は割切りでしょう。上さんのことにしたって、そもそも皆さんお仲間なわけで、中野さんがあれこれ言ってもコメントを返せるわけがないです。
ちなみに、同じ理由で、中野さんがここにブログを開設できる可能性もほぼゼロでしょう。ここは多分、そういう場ではないです。

2.ここの社会影響は大して大きくありません。私の身の回りの医者もほとんどが知りません。私の同期に医系技官がいるのですが、そいつに聞いても「何かそういうのあるらしいね」でした。いちいち反論してこなさそうなおとなしい集団を敵と定めて、敵愾心を煽ることでコアな読者をつなぎ止めていく、というのは、小さなメディアが生き残っていく術の一つであって、しょうがないことです。
もし今後、ここが大きくなれば、嫌でも変な記事は書けなくなります。霞ヶ関が新聞社に内容証明を送り、相撲協会が週刊誌を訴える時代ですから、誰が標的でも、下手したら記事一つで編集長の首が飛びます。逆に部数を気にしないメディアのままだったら、ニッチなメディアとして続いていくでしょうが、影響力は小さいままなので問題ないでしょう。(政治家がこれを鵜呑みにしたら危ないと思うけど、そこまで単純な人は政治の世界では生き残れません。前にもあったように、ガセをつかまされて破滅するのがオチなので、放置しておけばよろしい。)

というわけで、もうムダなことやめませんか?

あ、2の「ここ」ってロハスメディカルさんのことです。

皆様

色々とありがとうございました。

タカさんの御投稿は、これまた極論だとはお思いますが、川口さんや堀米さんから反応を頂くこともめっきり減りましたので、タカさんのおっしゃることも一理あるのかもしれません。ただ、そうだとしても、記事が一人歩きするのと、そこに疑問点を指摘するコメントがついているのでは、鵜呑みが起こる率も変わってくるのではないかな、と思っています。

脱線の問題(他ならぬ制度論の振り出し元であった前々期高齢者様から脱線云々の御指摘を頂くのは些か心外なのですが)は確かにありますが、上記のような理由から、私に限らず、疑問点の指摘等はコメント欄でやるべきだと思っています。

とは言え、たびたびの御提案ですので、前々期高齢者様なり、他の方なりが川口さんに提案され、川口さんから私にそのようなお話があるのであれば考えなくもありません。

>中野稀哲様
実名で書く覚悟があるのなら、いつでもどうぞ。

>実名で書く覚悟があるのなら、いつでもどうぞ。

いやどうかな。むしろ匿名というか今のお名前(もしかして「中野稀哲」は実名なのかも知れませんが)のままの方がいいでしょう。

実名でやると本人が望まなくても公職を背負うような話になり(場合によっては職場の許可が必要になる?)、度が過ぎると「参考人招致」なんてとばっちりを受けたり、ご本人も言いたい事が十分言えなくなってそれこそ行政文書のように面白みが半減するかもしれないので、私は今の中野さまのままで十分だと思いますが。

頂いたご意見には可能な限りちゃんとお返事しようと思っていますので、その場において同一性が保たれていること(「anonymous」や「通りすがり」でないこと)は必要だと思いますが、それ以上のことは必要ないと思います。

というわけで、実名が絶対条件なら、御希望の皆さんには申し訳ありませんが、残念な結果になりそうです。

>KHPN様
お気づきかもしれませんが、電車男の作者である「中野独人(なかのひとり)」と野球選手の「森本稀哲(もりもとひちょり)」を掛けています。でも、言われてみると確かに実名っぽいですね。

無責任な掲示板なら、他所でどうぞ。

>無責任な掲示板なら、他所でどうぞ。
ですよね。
https://lohasmedical.jp/blog/2009/05/post_1738.php#comments
ご説明をお待ちもうしあげております。

>KHPN様

急激に川口さんの活動性が上がっていますね。
呼びかけてみるものです。

・実名で書く覚悟があるのなら、いつでもどうぞ。
・無責任な掲示板なら、他所でどうぞ。

と非常に簡潔なのですが、これを見ると、「実名ではない=無責任」というポリシーなのだと考えます。恐らく、問いかけにお応えにならないときがあるのも、窮しているというよりも、お忙しい中で、「無責任な」主体からの問いかけにも応える、ということの優先順位が低くなっているのではないでしょうか。
(記事を書き飛ばすより、じっくりとしたアフターフォローが好き、というジャーナリストはあまり見かけません。特にお若いうちは。)

(コメントと記事では別、という可能性もありますが)まあ、そういう分析を前提にしたとき:

>川口様
○それも一つの考え方だと思います。ただ、もしそうなら、今回のように、コメント者が川口さんの反応をお待ちして時間を無駄にしてしまう、という事態の再発防止のために、今後、コメント書き込み欄の所にでも、そのポリシーを明示されてはいかがでしょうか。

例えば、このように。
コメントは極力実名でお願いします。実名のもとになされていないコメントは無責任だと考えるので、原則こたえません。
※なお、ロハスメディカルブログを記載している者は全て実名です。根拠はこちら(公的書類の画像へのリンクなど)。

実名でない提案はまともに見る気も起きないかもしれませんが、心に余裕があればお考えいただきたいですね。

○例えば、パブコメでは、意見の内容に不明な点があった場合等の確認等において不都合が出ることが、氏名や連絡先が要求されることの理由になっています。確かに、不明な点のある意見で、その確認も不可能な場合は、その意見を考慮することが不可能になることもあり、そのときには意見が考慮されないのは仕方ないでしょう。

しかし、私も、他に例えばKHPN様も、その意味で責任を果たしてきていると思います。

川口さんのおっしゃる責任とは何ですか?自分の発言に対する反応を可能な限り誠実にフォローすることですか?それとも、何か他のものですか?それは、実名でなければ担保し得ないもので、実名で書かれている川口さん他の方々は果たされているものですか?

>実名で書く覚悟があるのなら、いつでもどうぞ。
須田万勢とか真木魔愛って実名なのかな?
バクゾウとかモリヨンっていう芸名は駄目なの?

「幼児の生活リズムと健康」平成4年 草川三治

http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/908.html#c41

「幼児の生活リズムと健康」

東京女子医大 小児科 名誉教授
社会福祉法人 聖母会 聖母病院長
草川 三治 先生

弟33回山口県小児科医会懇話会(H4.11.29)特別講演

講演要旨

chapter1

 私が山口に参りますのは3回目であります。第一回は心臓検診、川崎病の話。2回目は登校拒否についてである。(1-1)
 
 私は心臓のことを主にやっております。昭和30年頃起立性調節障害(以下OD症)がとりあげられて研究班が出来た。立ちくらみがあるのは循環と関係があるのだろうということから始まったと思う。この時私はOD症はリズムに異常があると思った。というのは東京女子大の精神科の教授がうつ病の研究をされていて、うつ病は朝起きが悪い。朝悪くて夜よくなってくるという症状が主で、勿論不安とかその他の精神症状もあるが身体症状はそんな特徴的なものである。OD症も朝起きが悪くて、朝おなかが痛かったり胸が痛かったりするけれども夜になると元気になる。これは子供のうつ病ではないかといわれリズムに異常があるはずだと申されたからである。(1-2)

 その当時尿中のカリウムやナトリウムの排泄、あるいは尿量のリズムをみて、健康な子供ではそのピークが正午から午後3時頃にあるけれどもOD症の子供では午後6時とか午後8時にピークになる。当時そのことを申したがあまり取り上げてもらえなかった。その頃、OD症にカル二ゲンや抗うつ剤を用いると症状がよくなることは分かった。その後、10年、20年たち、そのリズムの異常というものを気にしながらも、他にやる方法が得られなかったのでこの考えをあたためていたところ、最近では脳波の進歩やホルモン分泌の時間的な問題などが分かるようになり、いろんな点で生体のリズムの問題を取り上げることが出来るようになって来た。また登校拒否などの問題も起こって来た。これから私がお話しすることは、あるいは我田引水的、あるいは論理の飛躍があるとお叱りを受けるかも知れないが、私ながらの考えをお話して、もしそれにご賛同頂き、それなりに対応などとっていただければ大変有難いと思って喜んで参りました。(1-3)

 登校拒否の子供たちは、朝、突然起きられない、ということから始まって、あるいは朝おなかが痛い、だから学校に行かない。親の方でも心配だから今日は休みなさいということになる。ところが昼頃になると元気になる。こんなことを繰り返しているうちに、いろんなことが起こってくる。勉強も遅れるし、ますます嫌になる。あるいはそういう要因のあるところに学校でいじめにあう、あるいは先生に叱られる、あるいは家での環境の問題などがあって、ただでさえ学校に行きたくないところにこんなことが起こると当然登校拒否になってくる。登校拒否の子供を入院させてそのリズムを見ると24時間のリズムで大変ずれている。あるいはリズムがなくなっているものもある。そのへんのところをお話してそのうえでその結び付きについて考えてみたい。(1-4)

chapter2

 最近の子供の健康調査ということで就寝時間を10年前と比較してみた。10年前には午後8時には1/4が、午後9時には1/2が、午後10時には1/5が寝ていた。現在午後8時に寝る子供は1/3である。私達がお母さんに子供の就寝時間をたずねると、9時ですと当然のように言う母親が多い。テレビのない時代に育った我々は子供の頃午後8時は当然寝る時間であった。今現在すでに就寝時間がずれている。 (2-1)

 次に睡眠時間を20年前と比較すると6-7時間という人が20年前には18%、現在は25%である。9時間以上寝る人も25%から20%に減って来ている。しかも夜更かしをして朝寝坊になっている。(2-2)

 次に夕食の時刻の変化を見ると、10年前は午後6:30~7:00であったが、現在は午後7:00~7:30が多い。小学校の高学年になると塾などに行くと8時とか9時のものもいる。食事の時間がずれると当然就寝時間がずれてくる。朝はたたきおこされてやっと起きる。そこで朝食を食べない。男子小学2年生で20%のものが朝食を食べない。中学生になるともっと増えてくる。なぜ食べないのかというと起きるのが遅い(40%)、食べる気がしない(49%)である。(2-3)

 次に朝食を親と一緒に食べる組の方が、子供だけで食べる組よりも栄養のバランスがよい。また小学生の23%は子供だけで朝食を食べている。これは今の家庭の一端をものがたっている。(2-4)

chapter3

 リズムにもいろいろあって、ウルトラディアン ultradian は24時間以内のリズム、サーカディアン circadian は大体24時間前後、インフラディアン infradian はもっと長いリズムである。長いのは花が咲いたりする1年のリズムもあるし1ヶ月の月と同じリズムもある。人間は昼間働いて夜寝る。これは太陽と関係するリズムで、今日お話しするのは太陽との関係サーカディアン24時間リズムの問題である。(3-1) 

 ネズミは夜行性動物なので副腎皮質ホルモンは夕方になって出てくる。体温は朝下がって昼間上昇する。ネズミは暗くなると動き回る。これは時刻と言うより明暗との関係であるが、ある日突然、時間を6時間位ずらして早く暗くする。すると次の日はちょっと早い、2日目は少しずつ同調して、約1週間たつと暗くしたら活動が始まる。これは同調するのにずれがあるからであり、時差ぼけが回復するのに時間がかかるという実験的なものである。(3-2)

 次に一日中真っ暗してみると、動物が持っている本来のリズム(24時間ではなくて25時間である)のためすこしづつ後ろにずれてくる。リズムは明暗とも関係がある。明暗と関係するのはリズムの中枢が網膜から入った光を受けての関係である。本来動物というものは25-26時間リズムを持っている。それが社会生活、地球上の24時間という時計の問題があり、社会生活に同調させて24時間リズムをなんとか保っている。だから生活がうしろにずれると簡単にリズムは送れる。(3-3)

 生活リズムの乱れ(宵っ張りの朝寝坊)では朝、交感神経の興奮の立ち上がりが遅くて目覚めが悪い。朝体温が低いと活躍が遅れる。夜は交感神経の興奮の静まり方が鈍く寝つきが悪い。結局交感神経と副交感神経都の関連につながって来る。(3-4)

 次に排尿のたびに量と時刻を記録し単位時間あたりの塩類の排泄量を測定する。正常の子供では12時間頃にピークが見られる。OD症の子供では夕方6時頃にピークのあるものが多い。登校拒否とか神経性食欲不振、とぢこもり症候群などでは36時間リズムとかリズムがまったくなくなっているものがある。(3-5)

 次に脳波で睡眠パターンを分析すると、登校拒否でも程度の軽いものでは正常児の睡眠リズムに近く、重いものではリズムの遅れがある。(3-6)

 次に深部体温測定装置で深部体温を計ってみたところ、正常の子供の腹部の体温は余り大きく動かない。手足の方は眠くなると上昇して0.3℃ぐらいの低い温度の波をうちながら経過する。OD症や登校拒否の子供では腹部と手足の温度差がなくて、また時間的な温度の上下の波がない。その理由ははっきりしない。 次に脈搏のリズムを見てみた。皮膚電位と同じように正常ではほぼ23時間から24時間、長くても28時間のリズムである。登校拒否では殆どが28時間から31時間、長いものでは51時間のものもあった。(3-7)

 次にβ-エンドルフィン値とコーチゾン値について調査した。正常では、β-エンドルフィン値は午前3時から6時に上昇して午後下がるし副腎皮質ホルモンも午前6時頃にはちゃんと出る。登校拒否児ではβーエンドルフィンが多少出てはいるがピークがない。副腎皮質ホルモンの方はさすがに生活に直接関係のあるホルモンなので分泌されないことはないが時間のずれがある。(3-8)

 以上お話しましたようないろいろのことから、ただ時間がずれているとか、リズムがずれているとか全部そろってずれているのではなくて、登校拒否のように異常なずれ方をしているのはそれぞれがばらばらになって、それに自律神経が戸惑ってくるんだろうというふうに推察したわけである。夜働いている人たちがいる。このような人達は時間がずれていると思うが何もかもがきれいにずれている。そろってずれている。この場合は目が覚めてからちゃんと働くことができる。(3-9)

chapter4

 次に睡眠覚醒リズムの障害が重いほど、通算の欠席日数が長いというデータがある。(Momoi,Metetetetet. al JaP. J Psychiat、Neurol.)このデーターを見ても、登校拒否とかそういう問題はリズムと大いに関係がある。私が調べた以上のような成績からも根拠はリズムの乱れにあるのではないかと思うようになった。(4-1)

 私の考えはこうしたリズムのずれあるいは乱れが体調を崩す。体調を崩すだけでなく精神的にも抑うつ状態を引き起こしてくる。これは程度の差と思うが、こどもの場合身体症状だけの場合はおなかが痛い、頭が痛い、体がだるい、とかいうのはOD症であり、それがすすんでくると学校に行くのがいやになる。(4-2)

 リズムの乱れは何によって起こるのかというと、脳の機能に関係してくると思われるが、一つには遺伝があると思う。乱れやすい遺伝子があると思う。しかもその遺伝子は低血圧の遺伝子、血圧のコントロールの遺伝子と比較的近いところにあるのではなかろうか。(4-3)

 実際的にリズムを乱すものは何かというと、同調させる因子は最初にお話しした睡眠覚醒の一日の家庭生活のリズムであり食事のリズムである。また季節が関係する。春や秋はリズムが乱れやすい。登校拒否は一学期の始まった4月中頃から5月、6月に多い。また2学期が始まって数日して始まる。リズムが乱れかけているところに心理的な因子、例えば学校でいじめられたとか先生に叱られたとかの誘因があると一気に進んでしまう。これは遺伝子だけが関係するのかというと、私はそこに育ちというものがあると思う。すなわち家庭生活、家庭環境である。(4-4)

 生まれて2-3ヶ月は全くリズムというものがなく、その後段々出来て来る。赤ん坊の時から、夜遅くまで家の中で電気を煌々とつけ、テレビをつけ、父親は遅く帰宅して寝ている赤ん坊をわざわざ起こして抱き上げるなどいいはずがない。赤ちゃんは生後3ヶ月でだんだんリズムが出来てくるので、夜は寝る昼は起きるという家の中の環境を作ってやる。これは意識して出来ることだと思う。(4-5)

 これが幼児になってくるとなおさらである。一日中外で遊んで疲れて家に帰り、遅くとも午後7時には夕食を食べて早く寝る。こういうことがリズムを作るもとであり、、しかもそれを同じようにずっと繰り返す。生活習慣というものは繰り返すことに意義がある。日曜日でも時間の違いは1時間くらいにして判で押したような生活習慣をやる。乳児から幼児のそのへんの育て方、そしてそういうことのできる家庭は父親と母親の協力が当然なければ出来ない。(4-6)

chapter5

 健康診断で身長がどうだ、体重がどうだ、病気はないということだけではなくてこういう日常生活の環境作りについても育児指導をやって頂きたい。(5-1)

 夜尿症もリズムと関係があると思う。抗利尿ホルモンの分泌が悪いと夜の尿量が減らない、それで夜尿症を起こすと思う。尿量は昼増えて夜減るのが普通であるが、尿量のリズムのできが悪いから昼と夜のめりはりがつかず、夜、尿量が減らないから夜尿を起こす。夜尿の治療に抗うつ剤を使うと効く。なぜ効くのかという問いに対してはっきりした返事は返ってこない。夜間の尿量が減るんだろうという。(5-2)

 次に低血圧というのは血管の緊張が悪く、血管が拡張しているから血圧が上がらない。(5-3)

 リズムの異常、あるいは先程お話しした交感神経の立ち上がりが悪く筋肉を緊張させないので、胃下垂とかOD症の子どもではおなかが張る、おなかが重い、あるいは便秘があるなどの不定愁訴がある。これは全部腸の運動、すなわち平滑筋と関係がある。筋の緊張度が全部落ちている。(5-4)

 このへんのところは遺伝子があって体質があり、それに日常生活の結びつきがいろんな人間の健康状態を作る。そしてよい健康状態が続くとキャラクター、性格もよくなって来る。子どもの夜尿症を治してやったり、OD症の子どもに抗うつ剤を使ったりいろいろやると、学校の先生からは、このごろ子どもが明るくなったと言われると母親は言う。キャラクターが変わって活動的になって来るし、身体の調子がいいから当然子どもは明るくなる。こういった、病気ではないけれども微妙な身体の調子といったものが生活のリズムと関係している。(5-5)

 このように、病気ではないけれどもいろんな状態を診て判断してやるのが小児科医の務めだと思うので、健診マニュアルなどを作るときには生活習慣の問題などをどこかに入れて頂ければ有難いと思う次第である。(5-6)

以上         

(城島宏行 記)

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