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看護教員は「専門家」を育てるのか、「人」を育てるのか コメント欄

投稿者: 新井裕充 | 投稿日時: 2009年05月17日 07:15

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コメント

とても面白い記事ですね。
ところで
>私はぜひ医政局長に聞いておいていただきたい
医政局長は何も答えなかったんでしょうか?

最近いくつか掲載された看護関連の検討会の報告を拝見させていただくと、看護協会を中心とした看護師の政治力の強さを感じさせられます。
勤務医の大半に見向きもされない医師会とは違い、看護協会は学校を卒業したての新人も半ば強制的に加入させられており、支持母体数や資金力もすさまじいものがありそうです。また、(その方向性の是非は別として)厚労省医政局看護課ともほぼ一体化して動いているという事実が脅威にすら感じます。

内容で気になったのは、いずれの看護関連の検討会においても「看護の専門性、質とは何か?」という点がまったく見えないことです。現在の看護師の質として何が問題で、それを改善するには看護教育に何が求められているのかというベースが議論から抜け落ちているように見受けられます。
そのうえで、現存する複数の看護教育ルートの検証を加え、望ましい教育課程・年限は、看護教員に求められる資質は…といった議論を進めるのが本筋だと思うのですが。
現場の視点が欠落しており「看護師の地位向上のための政争」という印象しか受けません。

後藤委員の発言は医師会に好意的というより、現場の視点に立てば当たり前のことを言っているだけのように感じます。

>大石寺様

外口医政局長が発言することはほとんどありません。医療事故調の検討会でも、大臣のビジョン会議でも。

今回の各検討会では、まだ一度も発言していません。
ただ、途中退席せずに最後までいることが多いので、気合いは入っていると思います。

大石寺様

>今回の各検討会では、まだ一度も発言していません。

すみません、「冒頭の挨拶は別として」という意味です。

なぜ、看護にだけこんな検討会が開かれるのでしょうか。とっても不思議です。
しかも大学における、、、であれば厚生労働省ではなく、文科省ですることではないのでしょうか。
大学の教員については設置のときにかなり厳しい(?)審査が文科省でされ、そこに適合したひとが教員となっているはずですが、それ以外のことをなぜ看護だけが求められるのでしょうか。
こんな会議に貴重な税金をつぎ込む意味があるのか本当に疑問に思います。

看護師10年目様

>なぜ、看護にだけこんな検討会が開かれるのでしょうか。とっても不思議です。

22日(金)には、「第7次看護職員需給見通しに関する検討会」が開かれる予定です。。(^^;

純千葉県産 奴隷医師様


>いずれの看護関連の検討会においても「看護の専門性、質とは何か?」という点がまったく見えないことです。
>現在の看護師の質として何が問題で、それを改善するには看護教育に何が求められているのかというベースが議論から抜け落ちているように見受けられます。

なるほど、おっしゃる通りだと思います。

「看護の専門性、質とは何か」という議論は、これまでも活発にされているのですが、「判断力」「コミュニケーション能力」「人格の涵養」「コンピテンシー」など、抽象的な言葉が乱発されています。

看護の検討会を終えるたび、他の記者と「そんな人がいたら、まるで神様、スーパーマンだね」なんて話しています。

看護関係の会議では、「理想の看護師像」に関する議論が本当に多いですが、「質として何が問題か」という議論はあまりされていないように感じます。
この点でよく出るのは、「看護基礎教育と臨床現場とのギャップ(乖離)」というフレーズですが、他の傍聴者も「また出た!」と思っているかもしれません。。

戦後、米軍の指導で看護職の資格制度が作られたときに、聖路加、日赤(東京看護教育「模範」学院)をモデル施設とし、残っていた国立病院を順次モデル病院として付属看護学校をモデルスクールとし、各都道府県に看護学校を作っていきます。
米国の看護婦が指導したのは疾病ケアではなく、身体的、精神的、社会的側面を理解し、患者自身で満たせないニーズを満たすことでした。
医師会は准看制度を作り、疾病ケアを重視しました。
こうして看護師の階級制度が確立し、モデル学校出身以外の看護協会会長が生まれるのは、1999年の南裕子庫県立看護大学学長まで待つ必要がありましたし、初めての男性役員は2005年です。
ついに戦後は終わったのですが、看護教育の迷走に見られるように看護とは何かが再び問われています。

近森正昭様

大変、勉強になります。ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。

>新井様

>看護基礎教育と臨床現場とのギャップ(乖離)
一言でまとめてしまえばまさにその通りなのですが、これこそ抽象論の極みですよね。抽象的・概論的な議論ばかりではなく、どこにどのようなギャップが存在するのかという具体化・詳細な検討なくして改善策は見えないはずです。
看護の偉い方は理想論や抽象的なお話がとてもお好きなようで、身内の老舗看護大卒看護師も大学時代の講義を「まるで宗教みたいだった」と振り返っています。理想の世界に住む青い小鳥を追いかけるばかりでなく、現実に基づいた看護を実践するための教育体制が築かれることを切に願います。患者はすべて現実世界に生きる人々であり、理想の世界からやってきた患者なんて一人もいないのですから。

看護師の質の問題にしても、日本看護協会の言い分だと
「看護の専門性が足りない⇒4年制で高度な基礎教育を」
とでも言いたげですが、実際の医療現場ではバイタルサインの評価や患者の訴えの傾聴、病状の観察といったgeneralな部分での「質」の確保がなされていない現状のほうが問題です。そういった部分はBed sideでのみ学べるものであり、大学の抽象的な講義を1年長く受けたからといって習得できるものではありません。今まで病棟での勉強会などでノウハウが伝承されていたのですが、残業時間削減・新人離職防止(強制的な勉強会参加は新人の負担でありストレスや離職の原因となるとのことです)という大義名分で病棟勉強会が禁止された病院をいくつも知っています。その結果、本当に何もわからないままの新人看護師がそのまま病棟業務についていてときどき恐ろしい思いもします。看護師の数さえ揃っていればスキルはどうでもいいという短絡的な視点の病院経営者の責任も重いです。

このように「人」か「専門家」という議論が提起されること自体が看護教育のレベルの低さを如実に表している。そもそも、専門教育において、教員養成を行っているのは看護の世界だけであって、看護の自立度の低さを物語っている。

基本的な質問で申し訳ないのですが、看護大学の臨床系教員は、医学部の臨床系教員と同じように、臨床勤務をしながら、教育や研究も行っているのでしょうか。

>臨床勤務をしながら、教育や研究も行っている
おそらく人によるんじゃないでしょうか。看護系大学の多くは自前で病院を持っていないので、制度として臨床勤務のやりようがないように思います。

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