ロハス・メディカルvol.113(2015年2月号)

患者と医療従事者の自律をサポートする月刊情報誌『ロハス・メディカル』の2015年2月号です。


>> P.23

ら動き、報道もされるということで、大きく目立ちますが、実際には取り沙汰されること自体が滅多になかったのです。 ただし滅多にないことでも、警察の捜査や報道は、現場の医療従事者を委縮させるのに十分です。そのために、かえって本人や家族の望む穏やかな最期をサポートしづらくなっているという現場の声から、「尊厳死法案」が出てきました。超党派の議員連盟がつくったこの法案は、これ以上治療をしても回復できない終末期患者に着けた生命維持装置を患者本人の同意書があれば取り外しても、その医師の刑法上の責任を問わないという免責が一つのポイントです。 ただ、この法だけでは不十分だと私は思うのです。遂行するには手続きを厳しくせざるを得ず、手続き外の死は尊厳死として認められないというような「許可型」つまり「官療を中止したり、控えたりしていました。 朝日新聞社と日本老年医学会が2012年に行った共同調査でも、高齢者医療を担う医師の2人に1人が、過去1年間に胃ろうなどの人工栄養法を途中で中止したり、最初から差し控えたりしていたことが明らかにされています。 こうした中、富山県の射水市民病院事件(2000年から05年にかけて医師が50∼90代の末期患者6人の人工呼吸器を外した。家族の了承はあったが、医師は書類送検され不起訴になった)や神奈川県の川崎協同病院事件(1998年、植物状態となった気管支喘息重積発作の患者に、家族同意の下で医師が気管チューブを抜き、筋弛緩剤を注射した)のように大きく報道されるものが出てきました。 これらの事案が公になったのは、内部告発がきっかけです。告発されたら警察は捜査しないわけにはいきませんか僚型」の制度が敷かれる可能性が多分にあります。また医師の免責に重点があるため、患者の権利がおざなりにされている印象も強いです。 さらに、この法を適応できるのは、医療機関の中だけだと考えられます。時代は在宅医療を中心とする地域包括ケアの時代です。 在宅医療は第三者の目が入りにくいため、どのような医療が行われているか分かりづらいです。様々な職種が入れ替わり出入りするため、「言った、言わない」など情報伝達の漏れや抜けも起こりがちです。こういう状態では、本人が穏やかな最期を望んだとしても、医療者が逮捕を恐れて、不必要な医療を余計に行ってしまうこともあると思います。一方で、適切な医療が行われずに放置されているかもしれません。何かあれば、警察が捜査に動く可能性は常にあります。 医療者が委縮して患者の望む医療を行いづらい現状を考えると、新しい法律が必要だと思います。必要な医療を適切に受けることも、穏やかな最期を迎えるために不必要な医療は拒否することも、同等に患者の権利であると謳う法律です。私の考えでは、医療者の責務は国民の望む医療を実現することであると明記すれば、免責に重点を置く必要はなくなります。 超党派の議連で立法を進めてもいいと思いますし、現在議論中の医療基本法案の中に患者の自己決定権に関する記述がありますから、そこで触れてもいいと思います。 終末期医療や延命医療について話すのはタブーなどと言っていると、いざという時に後悔することになりかねません。今年に制度が変わる相続税の話がきっかけでもいいと思います。まずは身近にいる家族や、大切な人たちと話し合うことから、始めていただきたいと思います。時代が求める新しい法LOHASMEDICALVIEWLOHASMEDICAL


<< | < | > | >>