ロハス・メディカルvol.110(2014年11月号)

『ロハス・メディカル』2014年11月号。寝たきり予防にフレイル予防、呼吸同期照射、交代勤務と睡眠、脂質を摂り過ぎると酸化、がんと慢性炎症の関係、即席ラーメンで女性はメタボ危機、アドバンス・ケア・プランニングほか


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佐藤健次氏山田聰氏野田耕司氏LOHASMEDICALVIEWLOHASMEDICALVIEWる呼吸同期照射法(当初医療サイドは装置が安定に稼働することを信じていなかったから「物理屋の遊びには反対!」であったので、コッソリ試作したが、今では此の照射法なしには治療しないという程信頼されている。)(後略)(アルス文庫『阪大理学部↓東大原子核研究所の思い出』より) オヤ? という疑問が、いくつも湧いてくる記述です。その一つ「コッソリ試作」が何を指すのか定かではないものの、早くから放医研の医師たちは知らないであろう場所で関連の研究が行われていたという証言があります。「90年頃から核研で練習させてもらっていて、HIMAC完成後は実機で実験していたので、技術自体は臨床研究が始まった94年6月より前に完成していたんです」と、呼吸同期照射を実現した野田耕司・現放医研物理工学部長は、話します。 一体どういうことでしょうか。 平尾氏、佐藤氏、山田氏が移籍前に在籍していた核研には当時、TARN2というシンクロトロンがありました。核研時代の佐藤氏が建設に携わった加速器でした。TARNは「ニューマトロン計画のためのテストリング」(TESTACCUMULATIONRINGFORTHENUMATRONPROJECT)の頭文字で、番号からも分かるように2代目です。ニューマトロン計画実現のために必要な技術を実証実験するための器械でした。 平尾氏たちが去った後、核研に残った人たちが、このTARN2を使って、素早くビームのオンオフをできる技術の開発に取り組んでおり、その研究に野田氏も参加していたのだと言います。そして、その成果を持ち帰ってHIMACでも実験していたというわけです。実験していたということは、装置の改造も済んでいたことになります。だから、皆が驚く早さで実現したのです。 ともあれ、この呼吸同期照射が実現したことによって、重粒子線照射の可能性が一気に広がりました。 重粒子治療センター治療診断部長だった辻井博彦氏(後の重粒子医科学センター長)は、放医研の所内報にこんな文章を書いています。︱︱海外のほとんどの粒子線治療施設で照射対象部位が動きの少ない眼球、頭頚部、前立腺などに限られるのに対して、HIMACでは呼吸同期法の開発によって粒子線治療の特徴を活かしながら、治療対象を肺がんや肝がんに広げることが可能となった。(『放医研ニュース』NO.14より) その後の良好な治療成績は、過去の連載で説明した通りです。 そして実は、胴体内の腫瘍を精密に狙い撃つ仕組みは、さらに進化を遂げようとしています。別の機会に改めて紹介します。8LOHASMEDICAL


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