ロハス・メディカルvol.119(2015年8月号)

患者と医療従事者の自律をサポートする月刊情報誌『ロハス・メディカル』の2015年8月号です。


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高齢者にとって、どれだけの意味があるのでしょうか。 というのも、地域包括ケアの主な提供対象は、団塊の世代です。一世代前(今の90歳前後の方)と比較すると、地域コミュニティよりも、学生時代の仲間や職場のコミュニティ、あるいは趣味コミュニティへの愛着の方が強いはずです。私の両親や親戚を見渡しても、近所の人と喫茶店でお茶を飲んでいるというような光景を見たことがありません。交通手段やネットなど色々なツールが発達した社会で、物理的な「距離」とか「地域」という意味はどんどんなくなっているのです。 ちなみに、私の場合、隣家の方の「名前」は知っていますが(表札があるので)、その家族構成や仕事内容は知りません。悪い人では決してないのですが、近所づきあいの中で何かの拍子でこちらの生活環境が周りに知られて、一定の「留守時間がバレ」て、た88人のうち、「地域包括ケア」という言葉を知っていたのは2人だけで、しかもその2人とは医師と看護師だった、そうです。 どうやら国民側はよく知らないというのが実態のようです。もしそうだとすると、これだけ大きな転換を、国や自治体、医療・介護・福祉関係者だけでやってしまってよいものか、よく考えないと大きな禍根を残す、と思うようになりました。 「地域包括ケア」を所与の条件として捉えるのではなく、なぜそんな仕組みが必要なのかと考えてみると、そもそもこれは誰の利益になるのだ?という疑問が出てきます。 「住み慣れた地域で最期まで」という言葉は実に美しく、高齢者の方にとっては当然嬉しいだろうと思いがちです。でも本当でしょうか。地理的な範囲としての「地域」は、その時間を狙って空き巣にでも入られたらどうしようもありません。現在、日本年金機構の情報漏れが話題ですが、私からすれば、自分の「生活環境」や「生活リズム」を知られることの方が、はるかに「気持ち悪い」です。この感覚は、私が子どもの頃から、団塊の世代である両親から叩き込まれたものです。 また、「住み慣れた地域」という言葉から、散歩を楽しむような生活をイメージするかもしれませんが、介護される高齢者の多くは、時間の経過と共にやがては自力で家の外へ出られなくなります。必然的に、高齢者の家の中に医療や介護の提供者が入り込むことになります。 同じコミュニティに属していた人がケアしてくれるならともかく、近所に職場があるというだけの初対面のヘルパーなり訪問看護師が来ることが、そんなに嬉しく感じるものでしょうか? ケアを提供される時になって初めて会うのだったら、病院や施設に入って、その職員と出会うのと何が違うのでしょうか。 自宅へ来てくれるから嬉しいという説も、机上の空論に感じます。都市部に住んでいて、近所の人を家へ上げる習慣があるという方、どの程度いらっしゃるでしょう? 私だったら心理的に抵抗があります。介護される高齢者がいたら、その家庭のプライバシーはなくなっても構わないのでしょうか。「地域包括」だからこそ、「守秘義務」を徹底してもらわないと、と私は非常に気になります。 このように考えてくると、高齢者の利益になるとは限らない、とご理解いただけると思います。 家族にとっても、病院や施設に入ってくれた方が肉体的・精神的に楽、ということは間違いなくあり、そのような施設を減らしていく地域包括ケアの流れが利益になる、嬉しいとは限らないLOHASMEDICALVIEW7LOHASMEDICAL


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