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ます。「秋が深まって(1993年)11月頃だったかな、シンクロトロンでビームが初めて1周したと聞きました。当時、核研(東大原子核研究所)から大勢手伝いに来ていたから、その人たちとの茶飲み話に訊いてみたら、ビームが1周してから加速されてビームがきちんと出るには1年かかるはずとのことでね。なら余裕があるなと思っていたら1週間かそこらで加速に成功したと言われて、さあ治療を始めるぞという話になったから、すごく慌てましたね」の連載の6回目(9月号参照、ロハス・メディカルのWEBサイトで読めます)に、HIMACの照射システム開発チームが、極めて時間の余裕なく治療開始を迎えたことを紹介しました。 そこまで余裕がなくなってしまったのは、実はシンクロトロン(円形加速器)で予想外のことが起きていたからでした。 照射システム開発担当の医用重粒子線研究部第3研究室員だった金井達明・現群馬大学重粒子線医学研究センター特任教授は、こう振り返りその優れた治療成績で世界をリードする放射線医学総合研究所(放医研)のHIMACには、密かに世界で最初の機構が使われていました。当時はそれが本当にベストなのか誰にも判断つかなかったのですが、正しかったことを裏付ける理論が約20年後の2009年になって発表されました。開発を強行した新電源20年後にベストと判明世界をリードするHIMACの重粒子線治療こ 核研は、この連載にも出てきたTARN2を始めとする複数のシンクロトロンをその時までに建設していました。その経験からは考えられないほど、ビームが最初から安定していたのです。 「考えられないことが起きた最大の理由は、独自の電磁石電源を私が考案して入れたからだと思っていますよ」と、シンクロトロン建設を仕切った佐藤健次・同部第2研究室長(当時、現在は大阪大学名誉教授)ノイズが100分の1にLOHASMEDICALVIEW6LOHASMEDICAL