120号(2015年9月号)

患者と医療従事者の自律をサポートする月刊情報誌『ロハス・メディカル』の2015年9月号です。


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提供:ロッテ噛むこと研究室だろうな、ということです。認知症は、そうした世界観を含んでいるんだと、知識じゃなくて体験として知りました。町永 訳が分からない、じゃなくて、若い頃の時間を生きているということに、医療も気づき始めたところだと思います。認知症医療は、どのように変わってきていますか。木之下 今まで認知症の人は、家族に連れられて診察に来ていました。最近は、独りで来て、家族に言わないでほしいという人がいます。相当の勇気を振り絞って来ているんでしょう。検査すると本当に認知症だったりして、本人に告知しないといけなくなります。そこで、世間の認知症のイメージは悪過ぎる、人間が壊れるとか、何も分からなくなるとか言われているけれど、全部ウソだからね、とガンガン言います。認知症の人の寄合に集まってくる方々を見ていると、決して絶望ではないんることがあります。できなくなることもありますけれど、人がそれで何か欠けるわけではありません。町永 人であると捉えれば、そこで初めて自分の事としても考えられるようになります。城戸 自分自身、今だってできないことはたくさんありますから、他人事とは全く思えません。人間は歳をとると弱って面倒をみてもらわないと生きられないと、義母が身を削って見せてくれている気がして感謝していますし、自分もそうなる時に備えておこうと心づもりもしています。町永 我々はこれまで、生産性と効率性の高い世代だけがお役に立っていて、子どもは未熟、年寄は衰退するだけだと社会から排除してしまってきました。弱く生まれて、成長して、やがて喪失していって亡くなる、その全部を受け止めることができるのか、が問われています。です。様々な艱難辛苦はあったと思いますけれど、それを乗り越え、皆希望を持って生きています。そのことを伝えてから、やっと告知します。町永 これまでは、診断が絶望への宣告になってしまっていたのを、いかに生きる力を支え伴走するかに変わって来たということですよね。木之下 一緒に考えようという風に変わりつつあると思います。町永 そんな寄り添う医療は、実は歯科医の皆さんが、80歳で20本の歯を残そうという8020運動として、20年も前から取り組んできました。大久保 私は歯科医師会の会長として、僕たちの仕事は虫歯や歯周病を治すことだけれど、それは手段に過ぎないんで、噛める、食べられる、会話できるという口の機能をきちんとして、その人の人生を最期まで支えることこそ我々の目的だ、と言ってきました。町永 口腔ケアしたら、寝たきりだった方が起きたという例もあるそうですね。大久保 歯科医療が奇跡を起こしているわけでも何でもなくて、そういう報告は、いくらでもあります。歯がグラグラしていて咀嚼できなかったから低栄養だったのを、きちんと口腔ケアして義歯を入れたら噛めるようになったというような、ものすごく単純な話なんです。そんなこともあって、最近では仮に歯が20本なくても、きちんと義歯を入れて噛めるならば、それもまた8020なんですよ、と言うようにしています。町永 認知症が進行する中で本人の生きる力、自分らしさをどう見出していくかは難しいことと思います。木之下 認知症があろうがなかろうが、人であることに変わりはないという視点が絶対に必要です。現実には、認知症の人を異形の人扱いしてい


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