ロハス・メディカルvol.127(2016年4月号)

患者と医療従事者の自律をサポートする月刊情報誌『ロハス・メディカル』の2016年4月号です。


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70歳以上の市民は誰でも市営地下鉄と市営バスに無料で乗れるパスをもらえました。そのため年81億5千万円もの予算が組まれていました。これをおおさか維新の会代表だった橋下徹前市長が、パスを持つのに年3000円、1回の利用につき50円を徴収するように変更しました。それによって2015年に必要な額は48億円で済むなど財源が生まれたため、そのお金で学校の教室にエアコンを設置したり、低所得家庭の中学生が塾へ通う費用を助成したりしました。 こういう改革をしているのだと知らないと、弱者に厳しいように中央のマスコミでは報じられているおおさか維新の会が、なぜ大阪で人気なのか分からないと思います。 おおさか維新の会は、大学までの教育無償化も掲げています。私も大いに賛同します。 今の日本は、親の経済格差え方だったと言えます。 おおさか維新の会は、単なる高齢者優遇をやめようとも主張しています。 勘違いされがちなのですが、高齢者を蔑ないがしろにしようとか、高齢者対若年者という世代間闘争にしようというのではありません。 社会保障が未発達で右肩上がりの時代なら、稼ぐ手段のない高齢者を一律に弱者扱いして、その負担を現役世代に求める合理性はありましたが、現在では、悠々自適の高齢者がいる一方で、貧困にあえぐ現役世代が大勢いることは周知の事実です。高齢者イコール弱者というレッテル貼りはやめて、本当に困っている人と、そうでない人を分けて考えましょう、という至極当たり前の話なのです。 実例として分かりやすいのが、大阪市の高齢者パスの取り扱いです。2012年までが、子どもの学力格差となって、そのまま経済格差へと引き継がれるようになってしまっています。 以前の日本は、たとえ家が貧しくても勉強する道は用意されており、一生懸命勉強したら這い上がることも可能でした。それが経済的に苦しい国民にも希望を与え、社会の安全装置として機能していたと思います。 その仕組みが壊れているのを放ったらかしておいた結果、貧困から抜け出すことを最初からあきらめてしまう人たちが確実に増えています。少子化にも拍車がかかります。 結果として高齢者の票がどんどん重くなり、高齢者が優遇される、それで当然だというような報道もあります。しかし、安全装置の壊れてしまった社会で、自分たち世代だけが優遇されるなんてことを心から望んでいる高齢者は、果たしてそんなに多いものでしょうか。 むしろ、自分たちが社会に抱くことのできた希望を、子や孫の世代にも持たせてあげたいと願うのが普通のように思います。 安全装置を取り戻すには、豊かな高齢者の場合は年金が少し減るかもしれません。ですが、高齢者が自分で新しく事業を興して雇用を創り社会に希望を与えるというのは現実的ではないと思いますので、せめて政府が税を使う部分では若年貧困層に希望を与えるべきでないかと考えます。 このようにおおさか維新の会の主張に賛同する所が大きかったわけです。そして、私の得意分野である社会保障の問題を彼らも重要だと考えていて、それなりに専門家もいるけれど手薄なので、ぜひ一緒にやりたいと言ってもらい、おおさか維新の会の予定候補者となりました。 その社会保障についての考え方と、なぜ全国区なのかは、次回ご説明いたします。高齢者優遇をやめる安全装置を取り戻すLOHASMEDICALVIEW19


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