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ストップ!! 医療崩壊2
供給を増やすことばかり議論してきましたが、現在の医療体制を人体にたとえ、医療者を血液にたとえるなら、実は輸血の前に止血が必要なのかもしれません。
昨日まで受けられた医療を受けられない所が出てきたのは、そこにいた医師、医療従事者がいなくなったからです。その原因が「集約化」なら、人の移動だけで地域全体の陣容が減るわけではないのですが、もう一つ「立ち去り」と呼ばれる深刻な現象があります。
過重な負担に耐えかねた医療者(特に医師)が職場・医局を離れ、開業したり診療科を変更したり、ひどい場合には転職したりすることで、こちらは実際に陣容が減り、残った人の負担をさらに重くします。06年の医学書ベストセラーとなった『医療崩壊』(朝日新聞社)で、虎の門病院の小松秀樹泌尿器科部長が、この現象を指摘し広く知られるようになりました。
この「出血」を放置していたら、現在の医療体制は崩壊せざるを得ません。ということで「止血」、つまり「過重な負担」を取り除く方法を考えましょう。
「過重」には、・勤務時間・責任の二つの面があります。うち勤務時間に関しては、前項でも述べたように、若干医療費は増えるかもしれませんが、シフト制を敷いてさらに埋もれた人員を呼び戻すこと、職種ごと業務の整理をすることによってかなり改善できるはずです。
残る責任の方は、結構難題です。医療者たちは、自分たちが負えない類の責任まで問われるようになったと感じています。最たるものが、結果に対する刑事責任です。
そもそも医療というのは、リスクを冒して利益を得ようと働きかける行為で、どんなに気をつけても悪い結果が起こり得るものです(06年11月号「医療安全特集」参照)。明らかなミスがあったなどの過程でなく、結果だけで責任を問われるようになると、医療者は立つ瀬がありません。
医療によって被害を受けた人は救済されるべきであるという話と、被害が出たからには医療者の責任を問うべきであるという話が一緒くたにされることが多いのですが、まずそこを分けるべきです。誰も悪くなくても被害が生じうるのが医療だからです。
現在のところ、被害者側が補償を受けるには医療者の責任による損害への賠償請求という形を取るしかありません。医療者に民事責任を負わせるのが仕方ないとしても、犯罪者にまでする必要があるでしょうか。
医療者は、自分たちのしていることが、世のため人のためになっていると信じているからこそ、過酷な勤務に耐えられるという面があります。善意で取り組んだことが犯罪と認定されるようでは、心が折れてしまいます。しかも多くの場合、医師や看護師などの個人だけが責任を問われ、背景にあるシステムは手付かずのまま残されるのです(コラム参照)。
福島県立大野病院事件 稀な胎盤状態の妊婦さんが、福島県立大野病院での帝王切開出産後に大量出血して亡くなり、手術した産婦人科医が、業務上過失致死と医師法21条違反で逮捕・起訴されました。被告側は全面無罪を主張して、福島地裁で公判が続いています。 同病院が産婦人科医1人しかいない「一人医長」の施設だったことから、これをきっかけに全国の一人医長施設で産科閉鎖が相次ぎました。結果として、家の近所にお産する施設が見つからない「お産難民」も急増しています。