産後鬱になっちゃった ~記者が当事者になって気づいたこと①
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人の身に起こるトラブルはニュースのタネですから、記者は、どんな問題がどこに発生しそうかと常にアンテナを張っています。何しろ仕事なので、時間や体力を情報探しに集中させられます。
しかし、一人の生活する妊婦、つまりトラブルに襲われるかもしれない当事者になってみると、やらなければいけないことは他にも山ほどあって、まだ起きてもいないトラブルを未然に防ぐような情報を探すことの優先順位は、とても低くなります。
結果として、記者として偉そうなことを書いておきながら、様々なトラブルに見舞われてしまったわけです。
ふと、以前にも同じような体験をしたことがあったな、と思い出しました。
目の前で手一杯
私は大学卒業直後、福祉新聞社という福祉業界専門紙の記者をしていました。
霞が関や永田町に常に出入りして、福祉や介護に関する政策の動向の最前線を見ていました。当時、特に介護については、介護職がどこまで医療行為に関わってもよいかとか、資格の内容など、頻繁に制度が変わっていました。その全体像を、ほぼ把握していると思っていました。
その後、現場を知りたいと思い、社会福祉士やヘルパーの資格を取ってコムスンに転職しました。
すると、制度がどうなっているか、全く分からなくなりました。正確に書くと、目の前の仕事に手一杯で、情報を得ようという気が起こらなくなったのです。制度の変化についての情報は、休憩所にファイリングされて置かれていましたけれど、短い休憩時間は少しでも休みたくて、見る気がしませんでした。他のスタッフも、ほとんど手に取っていませんでした。
記者時代は、自分の記事を読んでもらえば現場の人たちも情報を得られるぐらいに思っていましたけれど、全然違う、メディア側の思い上がりだったと知ったわけです。
問題を考えない
ある情報が有用かどうか、受け手側の状況によって変わると思います。
特に、トラブルを未然に防ぐのに役立つ情報は、トラブルが起きてから初めて価値に気づくのではないでしょうか。
そもそも自分にどんなトラブルが起きるかなんて分かりようがありません。医療に限らず、日常生活にはありとあらゆるトラブルのタネが潜んでおり、いちいち気にしていたら生活そのものが成り立たなくなります。
ということで、トラブルを防ぐ情報があったとしても、信頼できる誰かがそれを教えてくれなければ、その情報は存在しないのと一緒になってしまいます。
そして、トラブルが発生してから慌てて調べたりすることになり、「誰か早く教えてよ」と憤ることになるのだと思います。