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ストップ!!萎縮医療
私たちは、いつでもどこでも医療を受けられて当たり前と考えがちです。社会の高齢化が進めば病人も増えます。一方で政府は、アクセスを悪くすることで医療費を抑えようと、病床数と医師育成を制限してきました。
板挟みでしわ寄せを食らったのが、現場の医療者たちで、労働環境は悪化する一方でした。さらに、国民の医療不信も高まって、訴訟は急増し、医療者にとって信じられない判決も出るようになりました。
いま医療者は、リスクの高い患者が集まるけれど勤務条件は悪いという地域の基幹病院から、次々と逃げ出し始めています。既に医療者の絶対数が不足して必死に持ちこたえている状態なのに、さらに医療者の「萎縮」まで起これば、もはや医療崩壊は止めようがなく、「受けたいのに医療が提供されない」という圧倒的供給不足が起こってくるでしょう。
近年は医療を消費財と見なして、医療者をサービス提供者、患者をサービス消費者と捉える方のが優勢でした。しかし、供給が足りなくなってしまったら、3指標がどうのこうのという騒ぎではなく、皆で大切に守り分け合う公共財として捉え直さないと大変なことになります。
どうしたら流れを変えられるでしょう。
一義的には、医療者が安心して全力を尽くせるような風土に戻せればよいことです。とはいっても、昔の「由らしむべし 知らしむべからず」に戻るのもトンデモないこと。
前項で述べたように、この流れの根底には、医療の現実と社会の要求とのギャップがあります。両者のギャップを埋めてつなぐ、そんなシステムが必要です。
不幸な結果が出た際に、医療者は理不尽に責められず、患者側は十分な慰謝を受けることができる、こんな仕組みは考えられないでしょうか。
医療側の過失の有無にかかわらず不幸な結果は補償されるという「無過失補償制度」と、当事者どうしが納得いくまで話し合い自ら解決策を導き出すことのできる「裁判外紛争処理」(ADR)とが、セットでできあがると随分状況が変わりそうです。当事者が納得するならば、必ずしも公的なものである必要はありません。実際、ADRについては、いくつかの取り組みが始まっています。
とは言ってみたものの、既に「萎縮」と「供給減少」の悪循環は始まっており、仕組みが整うまで待っていると、どんどん状況が悪化します。少なくとも医療体制が立ち直るまでの間、医療を公共財と捉え直し、3指標悪化を受け入れる必要がありそうです。
3指標悪化のうち、影響が最も軽そうなのはアクセスでしょうか。とはいえ重病人に我慢しろなどとはとても言えないこと。まずは程度の軽い疾患の患者が、コンビニエンスストアの感覚で夜間・休日に受診するのをやめることから始めては、いかがでしょうか。
萎縮する医療者を責めるのは簡単です。しかし、その原因が自分たちにもあると気づかないままなら、その言葉や行動は、やがてブーメランのように返ってきて、私たちの首を絞めることでしょう。
萎縮医療を止めるため、私たちにもできることがあります。