認知症を知る15 共に暮らせる社会をめざして
自分や大切な人がなるかも だから社会を変えよう
社会に蔓延する認知症への誤解や偏見が、本人と家族を苦しめていることを紹介しました。
さて、読者の皆さんの中で、自分には関係のない話だと断言できる方はいらっしゃるでしょうか?
現在のところ、ほとんどの認知症の原因は不明で、確実に防ぐ方法もありません。誰がなってもおかしくないのです。つまり、あなたや家族の身にいつ何時降りかかってくるか分かりません。
そして残念ながら、現段階ではほとんどの認知症を治す(元の元気な状態に戻す)ことができません。症状と折り合いを付け抱えながら生きていくことが求められているのです。
その立場になった時、自分や大切な家族が偏見や差別にさらされたらイヤですよね? イヤだったら、どうすればよいのか。
医療従事者や介護従事者に、もっと頑張れと要求するだけでは、ほとんど解決にならないこと、お気づきと思います。そんな感じで他人任せにしていると、イザ自分がなった時に他人事として扱われても文句は言えません。
そう、自分が認知症になったとしたら、何を望むのか考え、たとえ認知症があっても自分らしく最期まで暮らせるよう、社会のありかた自体を変えるのが、道は険しいかもしれませんが早道なのです。
誰もが嬉しい
今、様々な障害について、「疾患」として医療のみでどうにかしようというのではなく、その人自身に焦点を当て、その人の社会との関わりも含めて支えようという考えが主流となっています(医学的モデルから生物心理社会的モデルへの転換)
社会というと大きな話になってしまいますが、結局は個人個人の集合体ですから、1人ひとりが「自分がそういう立場になった時に困らないよう、自分にできることを変えていこう」と考え、行動を積み重ねていけば、自然と社会も変わります。
「かわいそうな人とレッテルを貼るのでなく、加齢に伴って障害を持つようになった部分も含めて1人の尊厳ある人と捉え、その困難になった部分を支えながらも、その人と共に生きていくという接し方が重要なのだと思います。それは認知症でなくとも、加齢に伴って何らかの支援を必要とするようになる高齢者全体に共通します」と河野特任助教は言います。
つまり、何かできないことがあっても、その部分を含めて1人の人間として包み込んでいく。そんな社会になっていけば、障害者も高齢者も将来の高齢者である現役世代もみんな嬉しいはずです。他の疾患で、同様の差別や偏見に苦しんでいる人たちだって救われることでしょう。
NPOが発足します
妙に力んだ記事になってしまったのには、理由があります。
認知症について正しく啓発し社会の変革をめざそうとするNPO法人ができたのです。「ハート・リング運動」と名付けられた団体は、今回の記事に名前の出てきた木之下医師、河野特任助教が共に活動に携わり、前号までの記事を監修してくださった小阪憲司医師が代表理事の1人です(弊誌の熊田梨恵論説委員も理事になっています)。
7月26日には発足記念シンポジウムを東京都港区で開くことになっています。その模様は次号でお伝えします。
皆さんも、社会をもっと暮らしやすく変えるよう、自分にできることしてみませんか?