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ストップ!! 医療崩壊1
大学医局側の理屈はお分かりいただけたと思います。また、厚生労働省も現状を追認する形で、産科や小児科に関して集約化・重点化を図っています。この流れは大きな所では変わりそうもありません。
では患者の立場から見て、この集約化・重点化は良いことが多いのか悪いことが多いのか、考えてみましょう。
一般的に考えられる良いことはイザという時の安心感が増すことで、悪いことは近所に医療機関がなくなって不便になることです。安心感と不便さを天秤にかけることになります。
ただしこの比較が成り立つのは、集約化前には、都道府県を何分割かした一定地域(二次医療圏と言います)の中で、医療需要を満たすだけの医療供給があったというのが大前提になります。少なくともお産に関する限り、現実に「お産難民」が各地で発生していますので、この大前提が成り立つか怪しく、医療崩壊が始まっていると言わざるを得ません。
なぜなら集約化した場合、供給の質は向上する代わりに、量はむしろ減るからです。話を理解しやすくするために、スーパーのレジや銀行の窓口をイメージしてみてください。
供給量が足りないということは、列が長くなっていることに例えられます。現在の保険制度では、列に並ぶのを制限することはできません。列をさばくには、混んでいるところに担当者を追加して作業を分担させるか、窓口を増やして列を分けるかが一般的な手法です。
しかし集約化は、列を分けずまとめて長くすることを意味します。そうする理由は、サービス向上のためと同時に、過酷すぎる担当者の勤務を緩和するためです。
この時、窓口あたりの担当者数は増えますので、対応が丁寧になって処理速度も上がるでしょうが、窓口に3人いるからといって3倍のスピードでさばけるわけではありません(医療は医師だけで成り立っているのではないから=コラム参照)。結果として、サービス供給の総量は減ることになります。
もともと足りない供給量が、さらに減ったらどうなるか。別の地域や医療機関に「難民」が押し寄せることになり、今度はそちらの担当者から悲鳴が上がることになります。現在各地で起きているのは、まさにそういうことです。
集約化が、医療の供給不足に対しては必ずしも有効な解法とは言えないことがお分かりいただけると思います。
では、どうしたらよいのでしょう。他人事ではありません。我々患者も、医療体制維持のための費用を健康保険料や税金で負担しています。また、納税者・有権者として医療分野への税金追加投入も要求できる立場にいます。ぜひ一緒に考えてみませんか。
次号へ続きます。キーワードは「分担」です。
ボトルネックと言います。 全体の業務処理量が、ある部門の処理能力によって規定されてしまい、他部門をどんなに増強してもまったく処理量は上がらないということが現場ではよく起きます。このように全体の能力を規定する部分を「ボトルネック」や「律速」などと表現します(=右図参照)。 どれだけの患者を引き受けられるかは、医師の数だけでなく、看護師の数、ベッドの数など様々な要因で決まります。看護師も全国的に不足していますので、たとえ医師がボトルネックだったとしても、ある程度増やした段階で他の要因が取って替わります。