機器も身の内④
東京都中野区の伊東絢子さんと良一さんの夫妻は、昨夏、重大な選択を迫られました。絢子さんの持病、パーキンソン病の薬が効かなくなってきたのです。黙っていても状況は悪くなるばかり。2人は、手術を決断しました。
絢子さんの左脚が震えるようになったのは2000年秋。それまでも足の指先が痛くて、どんな靴に変えても直らないことが続いていました。慌てて近所の内科や整形外科、神経内科を受診しましたが、MRIを撮っても特に異常が見つからず、でも症状は悪くなる一方です。
絢子さんは、1942年に中国・天津で生まれました。3歳の時、終戦で引き揚げてきます。青梅、新宿と移り住み、10歳で中野に落ち着きました。高卒後、大手生命保険会社に就職して6年働き、同い年の良一さんと結婚して寿退社しました。その後、夫妻はいくつかの事業を手がけ、現在は自宅でビルメンテナンスの会社を営んでいます。息子さん2人も一緒に働いており、内勤が絢子さんの担当です。
このように自営で時間の融通が利くこともあり、絢子さんの症状が出てから、良一さんが献身的に支えるとともに、2人して、一体何が起きているのか、治療してくれる医師はいないのか、調べ、探し回りました。
最終的にパーキンソン病と診断がつき、本格的な治療が始まったのは翌年、本で知った順天堂大学附属順天堂医院の脳神経内科を訪れてからでした。
パーキンソン病は、手足が震える、筋肉が固くなる、動きが鈍くなる、体のバランスが悪く歩きにくくなる、といった症状の出る病気です。ドーパミンという、脳内の神経が細胞から細胞へと情報を伝える際に使われる物質が不足して起きます。ドーパミンを作っている細胞が、何らかの原因で減ってしまうのです。
治療しないまま放っておくと、やがて身動きできなくなります。
まだその原因が十分に分かっていないため根治させるのは難しく、治療は、症状を改善してQOL(生活の質)の維持・向上をめざす目的、身動きできなくなるまでの時間を延ばす目的で行われます。まず行われるのは薬物療法で、減ってしまったドーパミンの作用を補うよう、その代用となる「ドーパミンアゴニスト」という薬、あるいは脳内でドーパミンに変わる「Lドーパ」という薬を用います。また、それらの働きを助けるような補助的な薬を使うこともあります。
ただし厄介なことに、薬を3~5年ほど飲み続けると、手足が意図せず動いたり、逆に足指などが曲がったまま戻らなくなるなどの運動症状が出てきます。また、同じ薬は、だんだん効かなくなって量が増え、さらに一日の中でも急激に症状が良くなったり悪くなったりするようになります。幻覚や妄想の出てくる場合も多いのです。
絢子さんも薬を飲み始め、気づけば1日3回13錠ずつという大変な量になっていました。毎晩幻覚にうなされて、良一さんと2人して眠れぬ日々。昨年になり、そろそろ薬の変え時かと、最後の切り札的なLドーパ薬の処方を受けて飲んだところ、何とショック症状が出てしまいました。
使えなくなった薬をもう一度
これ以上薬を増やせないし、替えることもできない。黙って身動きできなくなるのを待つしかないのか。途方にくれかけた時、主治医の服部信孝・現教授から、脳深部刺激療法(DBS)という手もありますよ、するもしないも本人次第ですよ、と聞かされたのです。
DBSとは、脳に深くリード線を埋め込み、脳を直接電気刺激することで、脳神経の情報伝達を整える治療法です。薬の作用を肩代わりする効果があります。ペースメーカーのように鎖骨下に電気信号発生器を埋め込み、リード線とつなぎます。脳にリード線を試しに入れるところまでは部分麻酔で行い、効果があるとなって信号発生器を埋め込む時には全身麻酔の手術となります。約5年ごとにバッテリー交換の手術が必要です。
服部教授は、こう言います。「もちろん手術に伴う合併症のリスクはありますが、DBSを行うと薬の量がリセットされ、使えなくなった薬をもう一回少量から使えるようになるので、患者さんの生活時間を延ばすことになります。これまでのところ患者さんたちは、非常に喜んでいます」
そうは言われても、全身麻酔の手術で、しかも脳に電極を刺すわけですから、絢子さんは「迷いましたよ」。ところが良一さんは、話を聞いた瞬間に即決し、絢子さんを説き伏せます。「着替えも十分にできない、幻覚で全然眠れない、そんな状態を見ているのが、私自身にもつらかったんです。放っておいても展望は開けないのですから、賭けるべきだと思いました」
そして、9月28日に手術。
今、絢子さんが飲んでいる薬は1回2錠。夜、ぐっすり眠れるようになりました。「声が大きく高くなったって、お友達がビックリしてるのよ」。JRの一駅先のスーパーまで歩いて買い物をしに行き、良一さんを仰天させたりしています。