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機器も身の内⑪

kiki011.jpg畑中俊子さん
埼玉県・69歳、05年に両室ペースメーカー

畑中俊子さんは、8年前に難しい心臓病に見舞われました。積極的な治療法がなく、悪くなるのを待つだけだったある日、新しい治療法の登場で光が差しました。

 畑中さんは、お見会い結婚した旦那さん、息子さんと共に、埼玉県和光市で農業を営んでいます。作っているのは、ねぎ、里芋、白菜、大根、さつまいも、といった近郊野菜。
 そのお宅は、夜になるとラジオが鳴ったり消えたりします。プロ野球中継で、同点か西武ライオンズが勝っている間は黙って聴いているのですが、ライオンズがリードを許すと畑中さんはスイッチを切ってしまうのです。10分ほど経つと戦況確認のために付け、それでもリードされていたら、また消します。何しろライオンズが西武の名になって以来のファンクラブ会員。病気が見つかるまでは、年に何度も所沢球場まで出かけて観戦していました。
 畑中さんが体に異変を感じたのは、2000年の年末のことでした。咳が止まらず、休日診療所で風邪と診断され薬を飲みましたが、治りません。正月明けにも診療所2カ所へ行き、2カ所目で心電図を取ったところ、「素人でも分かる異常」が出ていたといいます。1月10日に国立(当時)埼玉病院へ紹介されて行き、そのまま入院しました。
 診断は、急性の「特発性拡張型心筋症」。病院まで付き添って行った旦那さんは、医師から「あとどれぐらい生きられるか分からないし、生きられたとしても寝たきりになる」と言われたそうです。
 この病気は、心室の筋肉の収縮が悪くなって、心臓が肥大してしまうものです。原因はよく分かっておらず、心臓移植以外に本質的治療がありません。心臓の働きが悪くなるため、不整脈や心不全が起きます。また血栓もできやすく、それが血管に詰まれば脳梗塞などになります。畑中さんの場合、心臓の右側と左側との連携が悪く、別々のタイミングで収縮していたため、全身へきちんと血液を送り出せていませんでした。それを何とかしようと頑張ったために心臓が大きくなっていたと思われます。
 40日間ほど病院にはいたものの、積極的な治療法はないと言われ、心臓の負担を軽くするため血液が固まりにくくなる薬を飲んで様子を見ることになりました。でも、当然のことながら、体のつらさは改善されません。ちょっと外出して歩いては、「もうダメ」と帰ってきて、そのまま寝込むという状態。畑仕事もできなくなりました。
 そして、2年近く経過した02年10月、今度は突然のめまいと高血圧に襲われ、救急車で埼玉病院に搬送されました。恐れていた通り、血栓ができて、それが右の頸動脈に詰まって血管の大部分を塞ぎ、かろうじて少しだけの血が流れている状態でした。診断はついたものの、この血栓についても手の施しようがないと言われ、毎年1回か2回、2週間ほど埼玉病院に入院して検査を行うだけ、看護師たちとは顔なじみになったけれど、何も治療できないままの日が05年まで続いたのです。

大学なら何とかなる そう言われて

 転機は、埼玉病院へ慶應大学から派遣されてきていた医師の一言でした。カテーテルを使って血栓を取り除き、血管のその部分に幅を広げたままの状態にしておく金属製の網筒(ステントと言います)を入れ、その後で「両心室ペースメーカー」を入れたらどうか、突然死の危険がぐっと減る、慶應大学病院なら手術可能だというのです。
 両心室ペースメーカーとは、リードを通じて、左右の心室に同時に電気刺激を加え収縮のタイミングをそろえてくれる機械です。従来のペースメーカーよりは少し大きめですが、本体を入れる場所や手術の方法など基本的なところは変わりません。従来型は、心臓の右心房や右心室しか刺激してくれないため、畑中さんのように左右の連携が取れていない心臓では役に立ちません。その問題を解決してくれる両心室ペースメーカーが、ちょうど前年に保険適用になったばかりだったのです。
 何もせずに悪くなるのを待つよりはと、すぐに畑中さんは手術を決意します。ステントの手術は6月、次いでペースメーカーの手術は9月に行われました。共に全身麻酔で行い、特にステントの方は取り除いた血栓が脳に詰まらないよう細心の注意を払うものだったため予想外に長引いて約10時間かかりました。また、ペースメーカーの方も手術翌日にリードが外れてしまって入れ直すというアクシデントはありました。が、どちらも手術は無事成功しました。
 退院してみると、歩いても寝込まなくなりましたし、時折は畑へも出られるようになりました。
 今は3~4カ月に一度、慶應大学病院まで点検に通っています。今年になって医師から「心臓が小さくなってきています」と言われました。志木市に住んでいる娘さん方の2人のお孫さんが毎週のように遊びに来るので、それが楽しみです。つい先日は久しぶりに球場へも足を踏み入れました。この調子なら、ひ孫の顔も見られるかな、そんなことを考えるようになりました。

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