機器も身の内⑤
愛知県岡崎市の杉山禮代さんは日本舞踊・内田流の師範。毎日多忙に過ごす姿からは想像もつかないことですが、この10年に2度大きな心臓発作を起こし、そして運よく生還を果たしています。
杉山さんが内田流の門を叩いたのは、50歳で定年退職してからのことです。
小学生時代に少し踊りを習わせてもらったことはありましたが、戦争があり、軍属でビルマ(現ミャンマー)に赴任していたお父さんが抑留されて7年間消息不明となったため、それどころでなくなったのです。お母さんが女手一つで子供3人を育てることとなり、家計を助けるために高等小学校を卒業後、すぐ銀行へ就職したといいます。国鉄マンの勇さん(現在81歳)と結婚して退職した後も、銀行の紹介で市内の建設会社へ入り、娘さんと息子さん1人ずつの子育てをしながら、定年まで経理を担当しました。
子育ても仕事も終わり、ふっと幼少のころを思い出した時、たまたま近所にあったのが内田流の教室。適当に済ませるのが大嫌いな性分もあって、皆が目を見張るほど身を入れて稽古に打ち込み、7年で『翠禮会』の主宰を許されました。それから今年でちょうど20年になります。
最盛期には70人くらい生徒がおり、今も下は小3から上は83歳までの30人ほどを教えています。火曜日、水曜日、土曜日は生徒に教える日で、月、水、木は自分がお師匠さんから教わる日。隔週の火曜と木曜には、老人福祉施設へ慰問ボランティア。実に多忙です。
そんな杉山さんが初めて倒れたのは、99年元日お昼前。名古屋にある内田流家元の家へ年賀の挨拶に訪れた時のことでした。祝杯の後、急に胸が痛くなって意識を失いました。心室細動でした。
倒れるのを見ていたお師匠さんは、亡くなったものと思いこみ葬儀の準備を始めていたそうです。それほどの状態から生還できたのには幸運が重なりました。元日ですから医療体制はいつもより貧弱。でも、すぐに救急車が到着し、その救急車に当時まだ珍しかった救急救命士が乗っていました。それから、運ばれた名古屋市立大学病院の当直医も、たまたま循環器専門の医師でした。午後10時に意識を取り戻した時、『本当に運が良かったですよ』と言われたそうです。
娘さんとその旦那さん、大事な2人に先立たれ
1カ月後に退院・転院し、心臓の治療を受けました。しかし完治には至らず、このままだと再発する恐れがある、とICD(植え込み型除細動器)の使用を勧められました。ICDとは、細動が起きた時に電気ショックを与えて心拍を整えてくれる器械です。AEDを体の中に埋め込んだと思ってもらうとイメージが湧くでしょうか。ペースメーカーと同じようにリード線を心臓内に入れて、本体は鎖骨下に埋めます。
当初、「高い器械でしょう。若い人ならともかく、私なんかに入れても勿体ないでねえ」としばらく悩みましたが、「でも娘に言われたし、婿の知り合いのお医者さんや看護師さんにも目をかけて励ましてもらって」手術を受けることを決意しました。実は前年夏、開業医だった娘婿さんが、ゴルフ中に同じ心室細動で亡くなっていたのです。
植え込み手術を4月に行い、5月にはもう踊りの稽古を再開していました。家事一切を引き受けてくれた勇さんに支えられて、社会への恩返しとボランティアに精を出す日々。そのまま何事もなく過ぎ、06年には電池を入れ替えました。
ところが昨年4月、励ましてくれる立場だった娘さんが、がんであっという間に亡くなってしまいました。
ショックを引きずったままの8月、一般市民を前に踊る年の一度の『浴衣会』の舞台上で倒れたのです。
その日は、朝から異常に汗をかいたそうです。たしかに外は暑いけれど、ホールの中は冷房が効いているというのに、一体どうしたことだろうと思いながら、お弟子さんたちの踊りを見届け、最後に自分の番になり、踊り始めて2、3分経った時。ドーンと胸の中で雷の鳴ったような衝撃を感じたと言います。ウーン、思わず呻きました。会場のお客さんたちは、それを演出と受け取ってくれたようですが、勇さんとお孫さんたちはすぐに異変と察知して舞台袖へ飛んで来てくれました。そのまま2分ほど踊り続け、なんとか舞台袖に辿り着いたところで2度目の衝撃を感じ、そして意識を失いました。衝撃は、ICDが細動を感知して作動したものでした。
気づいたら救急車の中。ホールの近所の岡崎市民病院へ搬送され、点滴してもらっているうちに気分も良くなったので、入院を勧められましたけれど、安静にしていると約束して帰宅。それから2週間、また踊りの稽古を再開しました。
「ICDが作動したらどうなるんだろうと不安でしたけど、こういう感じかと分かりました」
今年11月には翠禮会20周年の記念公演をすることになっています。正直、また倒れたらとの不安がないわけではありません。けれど、師匠からは『大丈夫、大丈夫。もし倒れちゃったら追善でやってあげるから』と厳しくも温かく励まされているそうで、「まだ引っこんでられんもんねえ」。嬉しそうに笑いました。