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生死や生活の質に直結 訪問歯科で幸せ支える


 細谷さんの家を後にし、車で約10分。4階建てアパートに着きました。めざす部屋は、風通しのためか、ドアが開放されていました。
 8畳ほどの1Kの部屋で、65歳の男性がベッドに座ってテレビを見ていました。男性は生活保護を受けていて、6月にケアマネジャーからの紹介で阿部医師が訪問するようになりました。脳梗塞の後遺症で麻痺があり、細かく歯を磨けません。
 この日は約20分の口腔ケアを行い、6月に歯石の大きな塊を除去した部分に抗生剤を塗布します。
 車に戻り、使い終わった器材を積み込みます。「最初は綺麗なんですが、一軒終わるごとに整理しないと大変なんです」

最期まで支える

3.JPG 18時過ぎになりました。訪問先近くのコインパーキングに駐車。エレベーターでマンションの3階に上がり、チャイムを押します。患者の坂田康子さん(仮名、85)を介護している姪が出迎えます。

阿部 こんにちは。歯医者です。
 こんにちは。よろしくお願いします。
坂田 はい、こんにちは。
阿部 こんにちは。どうですか、痛いですか。
 どこが痛いか、伝えてね。 

 康子さんはお腹を触って伝えようとします。

 違う違う(笑)。歯医者さんだから、お腹じゃないよ。

 康子さんは末期の腎臓がんで、月末に近隣の病院で手術を受ける予定です。アルツハイマー型認知症もあって意思疎通の難しい時があり、腰椎の圧迫骨折による寝たきりで要介護4です。同居する姪が、働きながら5年以上介護を続けています。
 康子さんは元々阿部歯科に通っていましたが、自力で通院できなくなったため、入れ歯の作成をきっかけに2年前から訪問診療を受けています。現在は康子さんの左上の歯が歯根膜炎という炎症を起こしているため、痛みを取ってほしいとの要望があります。

坂田 ここ。
阿部 あ、ここちょっと赤いね。これは痛いね。歯茎に入れ歯が当たってるわ。そこの所が赤くなってるから、ここを治そう。きつく当たってるところ、緩めるね。
 よろしくお願いします。

 電動歯ブラシと消毒液を使って、念入りに20分ほど清掃を行った後で、入れ歯の調整です。削りかすが飛んで部屋を汚さないよう、ビニールのケースの中で歯茎に当たる部分を削ります。

阿部 じゃあ入れてみるね。大丈夫かな。痛くない? どうかな。
 どう? 痛くない?
坂田 大丈夫。
阿部 いつも『大丈夫』言わはるからね(笑)。本当に大丈夫かな、痛かったら言うてね。
 本当に?
坂田 大丈夫。
阿部 当たってた所が、当たらないようには、なってるからね。でもあまり緩めたら今度は外れやすくなるから。ちょっと様子見てみてください。
 はい。

 約1時間の訪問を終え、外に出ると暗くなりかけていました。帰りの車の中で、阿部医師はこう話しました。
「坂田さんの場合、痛みを取り除きたかったら痛みの元の歯を抜くという選択肢もあるんです。でも末期がんで、歯を抜くことで全身状態に影響するかもしれませんよね。トータルでご本人や家族の状態を見て、どうなのかと考えないといけないと思うんです。医療は治すことが目的ですが、在宅介護は患者さんの生活そのものです。その方がどのような状態になっても最期まで支えるので、その間、本人にとって何が幸せかということを第一に見ていくことだと思います。そこを支える覚悟を、我々医療者も持っていなければいけないと思います。特に終末期は一層気をつけていかないと」
 阿部医師はケアマネジャーの資格も取り、日本糖尿病協会の登録医でもあります。患者と家族の生活を総合的に支えていくという考えからです。
 以前、訪問していた女性患者が亡くなった時、入れ歯を入れて口元を美しく整えてから見送れるよう手伝ったことがあったと話します。
「患者さんが亡くなったら歯医者なんて用事はありません。しかし患者さんが人間としての尊厳を保ち続けられるように医療者として支え、お送りすることができるかどうか。そこが在宅診療大事な部分ではないかと思っています」

玉石混交の訪問歯科

 ここまで読んできて、なんて素晴らしいんだ、ウチもお願いしてみようと思った方も多いかもしれません。
 ただ、各方面に話を聞いてみると、同じ訪問歯科診療であっても、担当する歯科医によって診療の質が天と地ほど違うようです。
 歯医者数はコンビニエンスストアより多く、ただでさえ過当競争なのに、診療報酬が経営困難になるほど低いことは誰もが指摘するところです。よほど繁盛している歯科医以外は、自費診療を主体にするか訪問診療に活路を見出すかしかないようで、訪問診療に新規参入する歯科医が多くいます。
 しかし歯科医の教育で、在宅医療や高齢者介護の知識はあまり教えられませんので、卒後に努めて勉強するような人でないと、例えば認知症など意思疎通できない患者を相手に、ニーズをくみ取れないことも出てきます。その状況を逆手にとって、患者の数だけ増やして本来の必要なこととはかけ離れた治療やケアを行って回るという誠意のない歯科医もいるとのこと。訪問歯科医選びは、慎重にした方がよさそうです。
 阿部医師も「訪問歯科診療はボランティア精神がないとやっていけません。儲かるような仕事ではそもそもないし、儲けようとも思っていませんが、高齢社会になって在宅患者は確実に増えていきます。その中で、通院できずに困っている人は誰でも、ごく普通に訪問診療してもらえる社会になればいいと思います」と話しています。

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