がんの分子標的① 分子標的とは一体何なのか
大きく分けて6パターン
「標的としてまず挙げられるのが、がん細胞のシグナル伝達系でしょう」と高橋部長。シグナル伝達とは、細胞と細胞との、あるいは細胞内における情報交換です。がん細胞に限らず、細胞内外の情報交換は、外から情報を運ぶ伝達物質と細胞膜上にある受容体が結び付いて起こります。そこから細胞内部でも次々に反応が連なり、ドミノ倒しのように情報が広がっていきます。
例えば、この情報伝達を担うものに、キナーゼと呼ばれる数百種類の酵素(タンパク質)があります。細胞膜上の受容体もキナーゼで、細胞増殖のスイッチの役割を果たしています。そこに異常が起きて無秩序に活性化し、常にスイッチがオンの状態になれば、細胞が無秩序に増殖し、がん化します。逆に言えば、異常が起きているキナーゼを何とかすれば、がんの増殖は抑えられる。つまりこのキナーゼが標的分子、というわけです。
シグナル伝達系における分子標的としては、がん細胞の細胞膜上での情報のやり取りを妨げるアプローチ(①)と、がん細胞内部で次々起きる情報伝達を妨げるアプローチが考えられます(②)。①あるいは②を実行するべく開発された薬は、「シグナル伝達阻害剤」と呼ばれます。
一方、「細胞内でもさらに、核内の異常な転写因子も標的となり得ます」(③)。転写因子とは、DNAの特定の領域に特異的に結合して、遺伝情報のRNAへの転写を制御するタンパク質です。そこに異常が生じているために、異常な細胞であるがんが作られ、増え続けている場合があるのです。だったらその異常な転写因子が活性化するのをどうにか阻止してがんの増殖を抑えよう、という薬も出ています(転写因子活性阻害剤)。
がん細胞外にも標的
「以上の三つは、がん細胞そのものに標的となる分子があるパターンでした。次の三つは、がんを取り巻く体内環境の中に狙うべき標的分子が存在するパターンです」と、高橋部長は続けます。
「まず、近年がんの薬として出てきているのは、ほとんどが血管新生阻害剤です」。血管新生とは、ケガの後などに新たに血管が作られる生理現象です。がん細胞はこれを利用して自分の所へ新たに血管を作り、効率よく栄養を取り入れることが知られています。そこで、血管新生に関与するタンパク質を阻害して血管新生を妨げ、がん増殖を兵糧攻めにするアプローチが出てきたのです(④)。
さらに、「転移に関わる分子」も標的となります(⑤)。例えば、がん細胞が転移の際に血管の方へ動くにあたり、周囲のコラーゲンなどを分解するタンパク質を出すことが分かっています。このような転移に関わる因子としてこれまで様々な種類が知られており、それを阻害する薬の研究開発は、「なかなか日の目は見られていないものの、かなり進んでいる」と言います。
最後は、「免疫標的薬」です(⑥)。がんを最終的にやっつけるのは免疫細胞ですが、「その働きを強めることができる抗体医薬が開発されてきています」。がん細胞に特異的なタンパク質に取り付く抗体を、遺伝子工学の技術を使って作るのが抗体医薬ですが、抗体の分子レベルの違いによって、がんに取り付くだけでなく、免疫細胞を呼び寄せたり、強めたりする働きのあるものもあることが分かってきています。
今後、隔月で①~⑥までを一つひとつ取り上げていきます。これまでに分かっているメカニズムや、その異常が起きている部位や臓器、具体的な薬(分子標的薬と適応可能性)について、日本未発売の薬や研究段階のものも含めてご紹介していく予定です。