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養老孟司×中川恵一の現代ニッポン人論

中川 僕らは患者さんと毎日話すんですが、いま、みなさんが心の問題に戻ってきているような感じがするんです。"諸行無常"の感覚は、日本人の集団的無意識には残っているんでしょうか。

養老 僕は当然あると思いますよ。早い話、「バカの壁」が売れたのも、あれの基礎にあるのが仏教ですからね。仏教思想は日本人に強い影響を与えたんですけども、日本人って面白くてね、それを本当に自分のものにしちゃうと、逆に仏教思想だとは思わないんですよ。

中川 なるほど、そうですね。

養老 平和と民主主義とか、個人とか、そういうものは要するに建前として置いておく。諸行無常は、日本人にとって実は当然のものなんです。日本人がよく「自分は無宗教です」って言うけれど、あれは典型的な「無の思想」ですよ。般若心経の二百何十字の中に、「無」って言う字がいくつあるか以前数えたことあるんですが、21ありました。一割が「無」ですよ(笑)。自分が「無宗教です」って言っているときに、実は仏教思想を根本においているって言うことに気づいてない。

中川 無宗教ではなく、無思想。

養老 そう。たとえば、イスラム教徒は豚を意識的に食わないでしょう。日本人は蛇を出されると、人間の食うものじゃないって言う。宗旨として蛇を食わないことにしているから、っていう風には言わないんですよ。だって、食おうと思ったら食えるんですから。そこが有思想と無思想の大きな違いで、それが理解されないのは私は当然だなという気がする。なぜなら、世界の大部分は有思想なんですから。

中川 もうひとつ、患者さんと接していて思うんですが、いまの日本人は「自分は死なない」と本当に考えていますね。でも、意識から死を排除している患者さんに対してがんの治療をするのは、実は非常に難しいんです。がんの場合、初回の治療がかなり大きなウエートを占めていて、おそらく95%以上がそこで決まります。でも、根治、非根治っていうのはしょせん相対的なものでしかないんですよね。

養老 人間の死亡率は100%なわけだから。

中川 そうなんです。ところが、そのことになかなか患者さんも医師も思い至らないので、亡くなる直前まで根治を目指すという不幸なことが行われているんですね。その根底には、やはり死生観というか、"そもそも俺は死ぬんだ"って思うことが欠けている気がするんです。特にゲーム世代なんかは、画面の中でしか死を見たことがないですよね。

養老 リセットだもんね。

中川 いま、人は病院でしか死にませんでしょ? そうすると、若い子は病院に来たがらない。場合によっては、自分が死ぬまで死体を見る機会が一度もないっていうことだって。

養老 病院は死ぬ人が行くところだっていうことになってしまう。そこに極めて新しい差別が生まれていると、僕は思っています。

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