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特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。

EBMを知ってますか?

万能ですか?どう付き合うべきですか?

 理屈はいいから、EBMは患者にとって良いことか悪いことか、要はどうすれば良いのか教えてほしい、と思っている方も多いことでしょう。
 そもそも患者側の願いは、根拠に基づこうが基づくまいが、治れば良い、効果が上がれば良い、ですよね。ということで、賢い付き合い方を最後に考えます。
 結論から申し上げると、診療の場面でエビデンスを用いるかどうかはあくまでも指針であり、使う人次第。「最善」の結果が無条件に保証されるような魔法ではなく、真価を発揮するには患者の主体的関与も欠かせません。
 まず、エビデンスの意味を正しく理解しましょう。
 あらゆる治療法、あるいはあらゆる治療法の組み合わせについて臨床試験を行うことは不可能。エビデンスの質の良し悪しと、治療法の良し悪しとは全く別次元の話です。エビデンスがなかったり質が悪かったりするからといって、その治療法をはじめから排除する必要はありません。その分、慎重な検討が必要になるだけのことです。極端な例を挙げれば、新たに開発された治療法にはエビデンスがありません(コラム参照)。
 また臨床試験で効果を検討できるのは、一つの指標についてのみ。多くの試験が、「平均的な生存期間の延長」を指標にしています。けれど何を「効果」や「悪影響」と見るかは、実は患者一人ひとりの置かれた状況や価値観によって異なるはずです。
 だから、医師が拠り所にすべきエビデンスを間違えないよう、「自分は一体どうしたいのか」を確実に伝える必要があります。そして、それに応えてくれる医師を選ばなければなりません。EBMを実践することは、誰でも同じ治療を選ぶということではなく、患者の価値観や医療者の腕や経験・知識、聴く耳によって大きく変わり得るのです。
 こんなことを書くのは、良質のエビデンスに裏づけられた治療を選びさえすれば、それがEBMだと誤解されている面もあるからです。この考え方では、ほぼ全員が同じ治療になってしまいます。
 このため近年、EBMのうち患者視点をより強調したものとして、「NBM」(ナラティブ・ベイスト・メディスン=物語に基づく医療)という概念が注目されるようになってきました。患者一人ひとりの人生に着目して、その人生の物語に医療がどのように関与するのが「最善」であるか考えようというものです。
また、治療の結果だけでなく過程をエビデンス化しようとの流れも始まっています。
 いずれにしても、患者側が自分のめざすものを医療者に伝える必要があります。
 ということで、医療界が医師の個人的な経験や権威より、人対象の研究結果であるエビデンスを重視する方向へ動いていることが何となくお分かりいただけたことと思います。そして、それを上手に使いこなすには患者の方でも医療者とよくコミュニケーションを取る必要があるという、毎度おなじみの教訓で今回も閉めさせていただきます。

エビデンスを使うのかエビデンスを作るのか。  「エビデンス」は自然発生したものではなく、医療者と患者の協力によって生み出されてきたものです。新しい薬や治療法が認められるには、「エビデンス」を作る必要があります。 医療行為の有効性を検討する際、既存の治療法があればそれと、なければ偽薬と比較するのが一般的です。その際、双方の群で症状の重さや年齢・性別・人種などに違いがあると、出てきた結果が果たして治療法の差なのか、それとも背景事情の差なのか分かりづらくなります。 このため、当該医療行為以外の背景事情を極力そろえることが推奨されています。これが「無作為化」。「ランダム化」とも言われます。どちらの群に振り分けられるかは、やってみるまで分かりません。  患者の立場から見ると、実験的治療に参加する際、医療者側が質の良いエビデンスを取ろうとすると、必然的に希望の治療法から外れる恐れもあることになります。もちろん、比較する二者の間であまりにも差が大きいとき(偽薬を使う場合など)は、無作為化して比較実験をすることは倫理的に許されません。
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