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ニュース〜医療の今がわかる

(2010年5月号掲載)

EBMの誤解

 EBM(エビデンスに基づく医療)という言葉が、すっかり市民権を得たようです。
 でも実は大きな誤解があります。日本で多くの医師が用いている「EBM」は、統計学的に二つの治療法を集団間の差を比較してどちらの治療法がいいのかを選ぶものです。これは「コンセンサスに基づく医療」と呼ばれる一昔前のもので、真のEBMからは遅れています。
 世界の先進国では、「この薬、この治療法は目の前の患者さんに本当にベストなのか」ということを根拠に基づいて考えるようになってきているのです。

万人に効く、はない

 統計的比較の何がいけないのでしょうか。
56order.JPG 図をご覧ください。今の医療では、人はみな同質であるという仮定に立って薬剤の評価が行われています。例えば、ある病気に対して薬剤Xの有効率が20%あったとします。同じ病気に薬剤Yを使ったら30%有効という結果が出て統計的に優位な差だった場合、「薬剤Yの方が薬剤Xより優れている」という結論になります。
 しかし考えてみてください。もし患者側に差異があったなら、Xの有効な20%の人とYの有効な30%の人とは異なる可能性があるのです。つまりXが有効だったAとBの2人は、本来であれば有効な薬があったのに、その治療の選択肢に辿り着くのが遅れてしまいます。
 もし差異があったならと書きましたが、この連載では過去4回にわたって、人はそれぞれ違うという話を遺伝子レベルで説明してきました。明らかに差異があるのです。
 現実問題として、症状や病名が同じでも、その原因がどこにあるかによって、またその人の体質がどうかによって、合う治療法、合わない治療法というものが存在することはよく知られていることです。
 分かりやすい例として糖尿病を考えてみますと、インスリンを体内で作れない人にインスリンを分泌させる薬を使っても絶対に効きません。逆にインスリンを作れる人に最初からインスリンを与えるという治療もよくありません。
 このような治療が合う・合わないという考え方の最も重要な疾病が、「がん」の治療です。患者さんが100人いたら、がん細胞の性質も100通りです。だから、ある治療法で、がんが明らかに小さくなる人もいるし、全然反応のない人もいます。
 
例えば乳がん

 20世紀、我々は全員に対して安全で有効な薬を作りたいと努力してきました。しかし、病気の性質、患者さんの体質がそれぞれ異なる以上、これは不可能なことでした。
 幸いその努力の蓄積によって薬のバリエーションが増えています。これからは、この薬はこの病気のこういうタイプの人には使えるということを、遺伝子を使って識別したり、あるいはタンパク質のデータを活用したプロテオミクスという手法を使って識別したりという時代になります。
 例えば、乳がんの術後化学療法に使う「タモキシフェン」という抗ホルモン薬があります。飲んだ時点では非常に弱い効果しか持ちませんが、体の中でいくつかの酵素によって2段階の代謝を受けて薬効成分になります。
 なかでも特に重要な酵素をつくる遺伝子には、複数の多型が知られています。多型の中には、酵素の活性が低下するタイプや消えてしまうタイプがあります。
 多型ゆえに酵素の活性が低い人は、タモキシフェンを薬効成分に変えられないわけですから、飲んでも仕方ありません。また、別のある遺伝子に関して、薬効成分の血中濃度が大変低くにしかならないという多型タイプもあります。この場合も、飲む意味は低いでしょう。
 我々がタモキシフェンを投与された患者さんを追跡した研究では、2つの遺伝子がともに薬効を阻害しないタイプだった人は、5年後の再発率がゼロでしたが、逆に2つとも薬効阻害型だった場合は半分の方が再発しました。
 日本人の場合、5人に1人が後者です。こうした患者さんたちは意味もなく何年もの間、薬を飲み続けたということになってしまいます。
 医療費の面から言っても、タモキシフェンは日本で年間50億円から100億円使われています。5人に1人は飲んでも意味がないわけですから、単純に考えれば、10億から20億円分は、全く無駄な医療費となってしまいます。
 別の薬に換えて再発を減らすことができれば、間違いなく患者さんのQOLはよくなりますし、全体の医療費も減るはずです。効かない薬を飲み続けて再発する患者さんの苦痛を考えれば、投与前に遺伝子を調べた方がよいと、誰もが思うのではないでしょうか。
 タモキシフェンが良い例ですが、飲んでも全然意味がない人に投与し続けるというのは、医療行為として考え直す時期にきています。もっと別の治療法を選択すれば、その人は再発しないかもしれないのです。本当のEBMとは、このような医療を指します。
 要するに、オーダーメイド医療とは、今ある薬のうちで、この薬はこういう人たちにいいのではないか、と根拠を持って判断する医療のことで、これこそはEBMと呼ぶにふさわしいものです。

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