医師が育つまで
専任教官がいない 驚くべき事実
免許取り立ての医師が「経験不足」になるのは、大学教育と卒後教育との接続が悪いためという説明をしました。今回、卒後の部分が変更されるわけですが、卒前にも改善の余地はないのでしょうか。
結論から言うと、余地は大ありだけど、改善するには人もお金も足りません。
医師はお金持ち、医学生はお金持ちの子弟というイメージを持つ方も多いと思います。勤務医の給料が世間で考えられているほど高くなくて、お金持ちと限らないのは既に何度も書いてきました。一方で、医学生の方の「お金持ち」は、間違いとも言い切れません。
医学部定員のうち約3割は私立大学に割り当てられています。私学のうち政策的理由によって学費が安く抑えられている自治医大・産業医大を除いた27大学を平均すると、6年間の学納金は何と3420万円。国立大学の10倍近いのです。これ以外に生活費などもかかるわけで、庶民に払える金額ではありません。
こんなに高いのは、国の私学助成が少ないからです。現状では医師の卵を選抜する段階で、医師としての適性以外の要素が大きく反映されることになります。大学としても、それだけの学納金を取っている以上、難問奇問の多い国家試験に合格させることが最優先になり、臨床教育は二の次にならざるを得ません。
では学納金の少ない国公立大学の医学生に対しては税金がつぎ込まれているのかと思いきや、それも大いなる勘違い(コラム参照)。働く人の給料を極限まで絞っている分、学費が安くなっているに過ぎません。
大学病院では医師の肩書が「教授」とか「准教授」とか「講師」とか「助教」になっています。診療に当たっている医師たちの身分が、実は教員だということです。教職の方が医師職より大学の払う給料は安くて済みます。
でも、どう見ても医師が本職で学生を教える方は片手間。専任の教員が皆無に近いのです。しかも国立大学が04年度に独立行政法人化され、毎年少しずつ交付金を減らされるため、病院で赤字を出すと、大学そのものがつぶれるようになりました。教員に医師として稼がせようとする傾向はどんどん強くなっています。
それでなくても大学病院は医師以外の医療職のスタッフや事務職員が少なくて、雑用が医師に回ってきます。そのうえ薄給でアルバイトなしに生活できませんから、たとえば実習の時に学生1人1人に臨床経験を積ませて、その分の責任を全部取るなんてしてる余裕はありません。
だから医学生の臨床経験が不足するのです。しかも実は、その同じ医師たちが研修医の指導にも当たっているわけで、「ちゃんと教えてもらえないから市中病院で研修を受けたい」と研修医が大学病院を敬遠するのも無理ありません。負担に耐えかねた中堅層の医師たちがどんどん大学を去り、指導者が減るからまた学生が経験を積めなくなるという悪循環になっています。
卒後を変にいじくるより、大学で十分に経験を積めるように設計し直した方が理にかなっているような気もします。そうできない理由が、国家試験の内容とか大学の資金不足に起因しているのだとしたら、卒後2年の研修にばかりお金をかけるのは、何か間違ってないでしょうか。
医師1人育てるのに1億円? 医師1人を育てるのに1億円かかるという俗説があります。しかしこの数字の根拠は、どんぶり勘定の時代に病院の赤字や研究費まで合算して、その金額を医学生の頭数で割ったに過ぎません。医学部だけの会計が出てくるようになって、それを見ると多くとも5千万円を超えることはなさそうです。