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中医協って知ってる?


どんな人が参加しているの?

 病院が検査や手術をして受け取る「診療報酬」は2年に1度のペースで改正されます。厚生労働大臣の諮問に対して答申するという形を取るので、中医協は「厚生労働大臣の諮問機関」とも言われます。
 中医協の審議は、診療報酬改定のサイクルに合わせて議題をこなしていきます。診療報酬改定は4月に実施されますので、その前年の夏から審議が本格化します。4月を過ぎると、改定の目玉となった項目の中から、医療機関や患者に対してどのような影響を与えたのか、失敗ではなかったのかどうかなどを調査したり、次の改定に向けた準備を進めます。前回の診療報酬改定は08年4月に実施されましたので、次の改定は10年に行われます。
 話し合いは、机をコの字型に囲み、傍聴席からみて左側に診療側委員、右側に支払い側委員が座り、相対立します。中央奥に、国民を代表する立場の公益委員が座ります。「労使交渉」を公益委員が裁くような、まるで裁判のような構図になっています。
 中医協のメンバーは、診療側委員7人、支払い側委員7人、公益委員6人です。そのほかに専門的な立場から意見を述べる委員として、日本看護協会や製薬企業などの代表10人が専門委員になっています。
 しかし、中医協が発足する前はそうではありませんでした。ここで、中医協の歴史をさかのぼってみましょう。1927年に健康保険法が施行された当時、診療報酬は支払い側と診療側との契約によって決められていました。これが43年、現在の日本医師会、健康保険組合連合会、国民健康保険組合など、関係者の意見を聴いて厚生大臣が決定する仕組みに変わりました。
 翌44年に、この話し合いが組織化されて「社会保険診療報酬算定協議会」が設けられ、学識経験者の意見も聴くように改められました。48年に、保険診療の指導や監督をする「社会保険診療協議会」が設置され、これら「社会保険診療報酬算定協議会」と「社会保険診療協議会」が50年に統合されて、「中央社会保険医療協議会」になったのです。
 しかし、診療報酬を決める明確な算定ルールがあったわけではなく、中医協はいわば「労使交渉」のような診療側と支払い側との対立の場で、開業医を中心とする日本医師会が強い発言権を持っていたと言われます。
 1950年代の後半には、病院を代表する日本病院協会(当時)から推薦された診療側委員の任命をめぐって、日本医師会と日本病院協会が対立するなど、中医協の混乱期がありました。その間、日本医師会は中医協で大きな力を持っており、旧厚生省と対立しました。
 ところが、04年に中医協を舞台にした贈収賄事件(コラム参照)が起こり、これを契機に中医協の在り方が見直されました(中医協改革)。それまでは、診療側8人、支払い側8人、公益4人の「8・8・4」の20人でした。診療側委員のうち医師の委員5人が日本医師会の委員で占められていましたので、病院側の意見が反映されにくい仕組みになっていましたが、中医協改革後は「7・7・6」に変わり、病院代表の委員と公益委員が増員されました。

中医協汚職事件  2004年4月、日本歯科医師会の常務理事らが、通常の初診料より割高な「かかりつけ歯科医初診料」の算定要件緩和など歯科医側に有利な発言をしてもらうため、中医協の委員だった健保連の代表(元社会保険庁長官)に現金などを贈ったとして、贈収賄で逮捕された事件。これを契機に「中医協の在り方に関する有識者会議」が設置され、▽診療報酬の改定率は内閣が決定する▽診療報酬改定の基本方針は社会保障審議会の医療保険部会と医療部会で決定する▽中医協は個別の診療報酬点数を審議する―など中医協の権限が大幅に縮小され、委員の団体推薦制も廃止されました。

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