【九州版】九州にある最先端治療 九州大学先端医療イノベーションセンター③
疾患の異常細胞だけに薬効 画期的なスマートDDS
この記事は、九州メディカル3号に掲載されたものです) 皆さんがお住まいの九州には、日本の最先端、世界の最先端を行く医療施設がゴロゴロあります。ご存じだったでしょうか? 今回も昨年7月に開所した九州大学先端医療イノベーションセンターをご紹介しましょう。
『九州大学先端医療イノベーションセンター』は、研究開発部門から臨床試験用病床まですべてを日本で初めて一つの建物に備えた医薬品・医療機器研究開発拠点です。同センターのプロジェクトを紹介する3回目は、「スマートDDS」を紹介します。「DDS」とは「ドラッグデリバリーシステム」の略で、病気の治療薬などを患部に正確に届ける技術のことです。その技術をさらに「スマート」に(賢く)したものと考えてください。
副作用を回避せよ
そもそも薬は、患部に必要な濃度で達した時に治療効果を期待できます。目や皮膚など体表に患部があれば直接働きかけられますが、体内の臓器では難しく、飲んだり注射したりで体に入れる通常の薬は、一部だけが患部に届きます。だから時に目的としない正常組織・細胞にも影響を与え、「副作用」が出ます。抗がん剤で脱毛や嘔吐などが起こるのは、よく知られた例です。
目的とする患部(細胞)に薬剤を集中させることができれば、効果を高く、副作用は軽くできるのでないかというのがDDSの考え方。薬剤などを入れた微粒子(DDS粒子と呼びます)を、いかに患部に集中させるか、がカギというわけです。
これまで主に、DDS粒子の大きさや化学的特性などに頼って患部への集積を図る方法と、病気の細胞表面に表れる特徴的な目印にくっ付く分子を薬に組み込んで患部への集約性を高める方法とが研究されてきました。
前者で例えば、がんは、細胞の増殖に必要な栄養を大量に運ぶため血管を急ピッチで作ります(血管新生と言います)。できた血管は正常な血管に比べて細胞の隙間が大きいため、正常な血管の隙間は通れないけれど、新生血管の隙間は通る、そんなサイズの粒子は新生血管の周辺にだけ集積するので、がんへの薬効を期待できます。
既にDDSの技術を使った治療薬として、肝細胞がんの「SMANCS(スマンクス)」、エイズ関連カポジ肉腫の「ドキシル」他が実用化されています。ただ、従来の抗がん剤などに比べ副作用は軽減されているものの、技術的な限界から副作用ゼロにはできていません。より精密な技術が求められているのです。
発想の大転換
九州大学大学院工学研究院の片山佳樹教授は、「粒子を患部に集めるより、患部でだけ薬理活性を発揮させる方がより安全でないか」と、発想を大転換しました(図参照)。
着目したのが、細胞内での情報伝達を担っている様々なタンパク質(酵素)でした。細胞に入った何らかの刺激が、ある酵素を活性化させ、それによりある遺伝子にスイッチが入って次の酵素が活性化し、次の遺伝子にスイッチが入って別の酵素が活性化し......と、ドミノ倒しのように次々と酵素活性が変化し、最終的には体の機能が応答します。この流れが通常と変わった時、病気として現れると考えられています。つまり、疾患の異常細胞内では、正常細胞ではあまり活性化しないような酵素が活性化しています。
片山教授は、酵素活性が異常な細胞でだけ反応する「細胞内シグナル応答型DDS」という手法を開発、マウスで、粒子に閉じ込めた薬効部を異常細胞だけで放出することに世界で初めて成功しました。
ちなみに片山教授の用いた「薬効部」は、主に遺伝子そのものや遺伝子の機能をコントロールする物質です。これら「遺伝子医薬品」を使って病気を治すのは「遺伝子治療」と呼ばれ、これも最先端です。ただし遺伝子医薬品は極めて効果が強いため、実用化には、正常細胞では働かず標的の細胞のみで働く仕組みも必要で、シグナル応答型DDSと相性がよいのです。
がん幹細胞にも効く
片山教授の開発した手法を少し詳しく説明します。
まず、元々マイナスの電気を帯びている薬効部の遺伝子が変な所で働かないよう、プラスの電気を帯びたペプチド(タンパク質の切れ端)を付け、安定させてDDS粒子とします。ペプチドは、めざす異常酵素とだけ反応するよう分子設計されたものです。細胞内に入った粒子が、活性化した異常酵素と出合うと、ペプチドの性質が変化、切り離された遺伝子が、めざす効果を発揮します。
例えばがんでも、親玉とされるがん幹細胞(九州メディカル2号参照)やがん増殖細胞ほど酵素の活性が強く、粒子のペプチドも反応するそうです。「この方法を使えば、急いで撃退しないといけない親玉の細胞からやっつけます。弱いがん細胞をたくさん殺すけれど、親玉を退治し損ねることもある抗がん剤に比べると画期的です」と片山教授。
片山教授のグループはこれまでマウスを使い、がんの他にも、炎症を起こした細胞だけに遺伝子薬を出す実験、HIVなどのウイルスに感染した細胞を殺す実験などに成功しています。
ただし現段階では、臓器の表面に出ているがんの近くにDDS粒子を打ったり吹き付けたりする局所投与に留まっており、注射などで行える血中投与までは進んでいません。血中投与できれば、例えば肝臓の中に散在するがん細胞もやっつけられます。現在は、血中投与でも薬効が均一に出るような安定した粒子づくりに取り組んでいます。
薬剤の代わりに光る遺伝子、あるいは光る物質をくっ付ければ、悪い細胞で光ります=写真。患部の位置が細胞レベルで掴めるので治療の成果を確かめられ、診断の精度が上がります。片山教授のグループは、最終的には治療薬と光るものを混ぜて入れ、治療しながら効果を見ることができるものをめざしています。
幻の薬が次々復活
この技術の可能性には壮大なものがあります。
これまで製薬メーカーが開発し薬効を認められながら、副作用のため製品化されなかった薬や遺伝子薬はたくさんあります。標的とする細胞でしか薬剤が作用しないという技術が実用化されれば、副作用は基本的に起きませんので、全部復活できます。製薬コストも大きく下がることでしょう。
また、「細胞内の酵素活性の変化に狂いが生じた」病気なら、基本的にはどんなものでも異常細胞を探り当てて治療できることになります。その先には、個別医療(オーダーメード医療)の可能性も広がります。
しかし、この技術が患者さんに使われるまでには大きなハードルがあります。人での臨床試験(治験)です。このDDSの治験ガイドラインはまだできていません。先端医療イノベーションセンターには、治験専門の医師がいて病床も備わっています。片山教授は「理想を言えばここ数年で治験を始めたいですね」と意欲を見せています。