正しいのだから報じろ では通用しない
医療とメディアについて少し話をすることになって
そのレジメみたいなのを作らないといけないので
つらつら考えている。
たぶん、表題に書いたことがキモなんだと思う。
医療者は基本的に科学の世界の常識でものを考えるから
「正しい」と証明しさえすれば世の中の人が従うと思っているだろうけれど
それとこれとは別だ、ということ。
だったらどうすりゃいいのか。
受け手側の受容体に合おうが合うまいが正しいことを報じろ
それがメディアの使命だろうという物言いがあります。
でも、これは無理です。
なぜか。
マスメディアが報じているものこそニュースだという時代は終わったのです。
メディアの側にも選別淘汰の圧力がかかっています。
ナンボ正しくても受け入れてもらえないものばかり出し続けていては
メディアとして存在し続けられません。
取るべき道は2つ。
正しくて受け入れてもらえるものを出す。
何はともあれ受け入れてもらえるものを出す。
受け手の側がかなり意識的に取捨選択しない限り
どちらが高コストかは言うまでもありません。
自然に任せていたら、後者ばかりのメディアになるのが当然なのです。
(追記)
メディアの中の人間にとってのモチベーションは
多くの人にとって、待遇よりも、たぶんやり甲斐・達成感だと思う。
やり甲斐は「書いて載ってナンボ」。
取材だけしてやり甲斐を感じるというのでは
取材相手も会社も迷惑。
例に出して申し訳ないけれど
CB熊田記者は、今回の記事にやり甲斐・達成感を強く感じたと思う。
でも社内で評価されなければ
今後は、書く場がもらえない、載せてもらえない。
さて、評価の基準は何でしょう。
これが最も基本的な骨格の構造。
「社内」を「社会」と読み替え
「書く場をもらう載せてもらう」を「媒体が存続する」と読み替えると
より普遍的な話になります。
皆様に多くのご意見を頂戴しておりますメディア論のようなもの
(ありがとうございます)
早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成講座 集中公開講座in名古屋大学で
お話をさせていただきます。
頂戴したご意見によって
お蔭様で最初に考えていたよりも幅の広い問題提起をできそうです。
- 前の記事後期研修班会議5
- 次の記事周産期・救急懇談会4