指定病院そして補助金
診療報酬でなく補助が使われる理由
医療の課題は地域によって千差万別です。それなのに指定要件は厚労省通知で全国一律に示されます。補助を受けないと潰れてしまう病院としては、地域の課題との違いを感じたとしても厚労省の意向に従うしかありません。指定を数多く引き受けるような地域の中核病院が、地域の医療ニーズからどんどん離れていく危険性をはらんでいます。
そして指定要件は、有資格者の数や設備などで示されることが多く、その整備や維持にもお金がかかります。厚労省の天下り団体の監査を受けることが条件だったりもします。つまり補助を受けようとすると高コスト体質になっていき、それなのにもし地域のニーズから離れて診療報酬収入が減ったなら、さらに補助金への依存度を高めざるを得ないという無間地獄なのです。しかも近年の診療報酬抑制政策により、この無間地獄から逃れることが、どんどん難しくなっています。
そんなマイナス面がある上に、さらに指定そのものすら「看板に偽りあり」となる危険性を残しています。
まず指定する自治体側には、地域に「看板」が足りないとメディアや政治家に叩かれるので、ゲタを履かせてでも早期に指定してしまおうという心理が働きます。身内の自治体病院が手を挙げたりしていたら尚更です。逆に、いったん指定機関が一定数に達すると、補助金の総額を抑制するため、後から手を上げた方が指定機関にふさわしくても、追加指定を滅多にしません。
指定を受ける側としては、要件をきちんと満たせるか自信がなくとも、とにかく見切りで早く手を上げてしまえということになります。
医師をはじめとする有資格者が全国的どこでも足りない状態で、医療機関が早く手を上げよう、要件をいくつも満たそう、とすると何が起きるか。実際にそれだけの人を雇えるとは限らないけれど、とりあえず1人の人をあっちでもこっちでもカウントし、形だけ整えて手を挙げるという現象です。
指定を受けた後に人を増やせばまだしも、現実問題として、人を増やしたら差し引きマイナスになる程度の補助金額しかないことも少なくありません。たとえば東京都がNICU(09年6月号参照)について、補助金があっても1床745万円の赤字と公表したのは、以前にもご紹介しました。人を増やさぬまま、指定だけ受けてしまったら、あっちとこっちにダブルカウントされた医療者が、カウントされた分だけ何人分も働かないといけなくなります。
このようなことが全国的に行われているので、愛育病院に労働基準監督署が指導に入ったのですし、指導されるならセンター指定を返上すると愛育病院は表明したわけです。分娩取扱いは医療機関が値決めできる上に、セレブ病院のブランドが確立していたから腹をくくって厚労省に楯突くことも可能でしたが、公定価格の他の分野から矛盾を指摘する声が上がることは期待できません。
医療者の過剰な労働、そしてそれに引き続く医療崩壊に、指定と補助の関係が大きく影響を与えています。
しかし厚労省は、診療報酬を増やそうとしません。忌避する理由のうち、患者負担が増えることに関しては、一定額を超えた患者負担が戻ってくる「高額療養費制度」のさらなる充実など、私たち費用負担側の考え方次第で改善可能です。
よって、厚労省がイヤがる本当の理屈は、診療報酬を増やすと税金からの支出が増えるからということになります。でも現実には、補助金も税金から出ています。
違いは何かと言えば、要は、使い道を誰が決めるかに尽きます。診療報酬は患者と医師に決定権があります。補助金は厚労省と自治体の官僚に決定権があります。
補助金には、半分は国が出すけれど、もう半分は自治体で出す必要ありというようなものも多く、貧乏な地域ほど使いづらい欠点もあります。全国一律と報じられたために、本当はもらえなかったのに周囲から受け取ったと見られる悪夢のようなことも実際にあります。
同じ税金を使うなら、診療報酬と補助金と、どちらに振り向けるのがいいのか、一度考えてみていただけると幸いです。