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患者自ら立つ12

tatu12.JPG高安動脈炎 茂呂貴栄さん(30歳)

*このコーナーでは、日本慢性疾患セルフマネジメント協会が行っているワークショップ(WS)を受講した患者さんたちの体験談をご紹介しています。同協会の連絡先は、03-5449-2317

難病を抱える茂呂さんは、自分の病と向き合う方法を捜し求めていた時、偶然にセルフマネジメントプログラムと出会いました。

 茂呂さんは、高校卒業まで「順風満帆で悩みなく」過ごしたと振り返ります。小学生から高校生まで水泳教室に通い、中学校では器械体操部に所属するなど、健康で活発でした。
 友人の父親が働いていた関係で、JICA(国際協力機構)の仕事に漠然とあこがれていました。まずは英語力をつけようと、高卒後すぐ米カリフォルニア州へ留学しました。ディズニーランドのあるアナハイムから車で20分ほどの所に住んでいる敬虔なクリスチャンの家庭にホームステイしながら、4年制大学への編入をめざしてコミュニティカレッジに通っていました。
 毎日が充実し楽しくて仕方なかった一方で、渡米直後の6月に全身麻酔をかけて親知らずを上下4本一気に抜いてから、急に病弱になりました。夏にキャンプに行って熱中症、秋に日本から友達が遊びに来た時には肺炎になりました。そして渡米から9ヵ月、クリスマス休暇で一時帰国しようという時になって、明らかな異変が起きました。
 寝汗と咳とが止まらず、体がダルくて仕方ありません。大晦日に空港に着いた茂呂さんが余りに痩せこけていたため、迎えに来た祖父も気づかなかったくらいでした。いくつかの診療所で風邪と診断されましたが、そんなはずはないと頼み込んで近所の病院に入院させてもらいました。すると、血圧が低すぎて脈を取れず、心臓に異常が見つかった、と翌日には大学病院へ転院となりました。本人は、ようやく原因が分かった、助かったという気持ちでしたが、家族は大学病院の医師から「心臓移植しないと助からないかもしれない」と告げられていました。
 病理検査の結果、幸いそこまで病状は進んでいないと分かり、半年弱の間、ステロイド剤や利尿剤などの投薬治療を受けた後に退院しました。心臓弁膜症で継続治療が必要と告げられていましたが、今にして思えば薬の副作用で常に高揚感があり、何を言われても大して衝撃に感じませんでした。むしろ「治った」とすら思っていました。3年ぐらい静養をと言われたのに自転車で走り回り、薬で感染に弱くなっているという自覚もなく映画館など人込みに平気で行っていました。
 途中で打ち切られた留学のことは、割とスンナリあきらめがつきました。ただ22歳になった時、友人たちが就職していくのに自分だけ置いていかれるような気がして、病気のことを黙って百貨店に勤め出しました。あまり動きの激しくない女性服の販売員だったことと、平日に休みがあって休暇を取らなくても通院できる点が好都合でした。1年後にはボランティア団体の臨時事務所へと転職しました。たった1年の百貨店勤務でしたが、その間に会社の英会話教室で今の旦那さんと出会いました。
 新しい仕事は、ホームステイの受け入れや派遣などで、英語も使えるので非常にやりがいを感じました。時々は東京・上野の本部まで手伝いに行っていました。友人の結婚式が米国で行なわれたので渡米し、久々にホストファミリーと再会しました。臨時事務所が閉鎖されるという5年前に結婚、式にはホストファミリー4人全員が来てくれました。自分では元気なつもりでした。

初めて聞く病名 本当の怖さを知る

 結婚から1年経った4年前、血圧に左右差があったことから、高安動脈炎という難病を発症していたことに主治医が気づいてくれました。初めて聞く病名でした。
 高安動脈炎は、大きな動脈の炎症から、血管が狭くなったり詰まったりして、脳、心臓、腎臓など重要な臓器に障害が出たり、手足が疲れやすくなったりする原因不明の病気です。全国に約5千人の患者がいますが、非常に珍しいため発見されていない潜在患者も同じ位いると見られています。
 同じころ、いずれ心臓弁膜症の手術が必要になる、と告げられていました。子供を産みたいと思い、自分の飲んでいる薬について調べたのも、その頃でした。初めて副作用のことをきちんと自覚し、怖いと思いました。妊娠に備えて薬を減らし始めました。ところが薬を減らしてみると、自分でも驚くほどに体力がなく、しかも2年前に高安動脈炎が再燃してしまいました。
 薬を増やして小康状態に戻すまでかなりの時間がかかり、薬の副作用で、あざができやすくなったりムーンフェイスになったりしました。気持ちも沈み込みます。
 病院に行けば大勢の患者がいます。自分と同じように体調の悪い人も大勢いるはず。その人たちは日々どうやって生活しているんだろうと疑問に感じて、ソーシャルワーカーや市役所などに相談してみましたが、これといった答えは得られませんでした。
 そんな時、ネット上をさまよっていて、偶然にセルフマネジメント協会のサイトに行き当たりました。発症以来、薬の副作用すら把握せず何もかもを医師任せで来た自分のあり方を反省する気持ちもあり、「自己管理」という言葉を見た瞬間に、これだ! と思いました。そして昨年8月のWSを申し込みました。
 元々は人と会って話をするのが大好きな性格だったのに、それすら億劫になっている自分がいました。会場は隣の県の県庁所在地で、若干距離がありました。そこは「お出掛け」と考えることにしました。

話せる相手がいる だから頑張れる

 参加してみると、患者どうしでアイデアを出し合ったり、様々な年代の様々な疾患の人たちと話をするのがとにかく楽しくて、毎回時間が足りないと思いました。自分は珍しい病気だから大変なんだと思っていましたが、大変なのは自分だけじゃないこと、皆同じ悩みを抱えているということ、また病気を抱えながらも頑張っている人がいることを知って、大きく勇気づけられました。
 茂呂さんの場合は、旦那さんをはじめとする家族に恵まれて、闘病に専念していられる環境でした。しかし、働けなくなったこともあって、周りに迷惑を掛けていると後ろめたさを感じていました。WSを経て少し体調がよくなり、今は家事をすることで家族の役に立っていることを嬉しく感じます。また、そういった自分を、できる範囲で頑張っていると褒められるようになりました。
 医師とのコミュニケーションの取り方も変わりました。見つけにくい難病を見つけてくれたことを心の奥では感謝していながら、体調の悪さを受け入れられず八つ当たりするようなこともあったと言います。また、伝えたいことをリストに書いてきても、何が大事そうか自分で考えて取捨選択してしまっていました。今はリストそのものを渡してしまって、その軽重の判断は医師を信頼して任せるようにしました。その結果、例えば原因のハッキリしない痛みのように、「言っても仕方ない」と思っていたことにきちんと対応してもらえて安心することが増えました。
 WSでは、週に1回必ず誰かに電話するように言われ、参加者どうしでパートナーを組まされました。それがきっかけで仲の良い友達ができ、今でも電話や手紙やメールで痛みの対処法などの情報交換をしたり、一緒に頑張ろうと励まし合ったりしてます。
 また、高安動脈炎の患者たちは、外見が元気なために周りに理解してもらえないことが多いそうで、しかしそこをどうせ分かってくれないとあきらめるのではなく、病気について詳しく友人や周りに説明するようになりました。勇気は必要ですが、でも話してみれば思った以上に理解してもらえると分かり、この先また体調が悪くなっても何とかやっていけるかな、という自信につながっていると言います。
 ことしの夏から、近所の美術館で、展示コーナーに座っているというボランティアを始めました。美術館の人にも、ちゃんと自分の病気のことを伝えてあります。

ワンポイントアドバイス(近藤房恵・米サミュエルメリット大学准教授) ワークショップでは、受診の仕方を学びます。1番目には、自分の病気の経過を記録しておくことです。病気の経過を一番良く知っているのは患者ですから、前の受診から今回の受診までの病状や服薬状況などについて記録し、報告します。2番目は、気になることや質問を書き出しておき、医師に見せて相談することです。3番目は、病気の診断名や検査結果、治療の方針などについて医師に尋ねることです。医師が出す指示に従えない時には、その問題を話して相談することもできますし、指示を紙に書いてくれるよう頼むこともできます。4番目には、医師と話し合ったことを自分の言葉で復唱し、医師と確認します。最後に、医師と一緒に決めたことを実行していくことです。
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