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患者自ら立つ19

tatu19ikeda.JPG潰瘍性大腸炎 池田愛さん(34歳)

*このコーナーでは、日本慢性疾患セルフマネジメント協会が行っているワークショップ(WS)を受講した患者さんたちの体験談をご紹介しています。同協会の連絡先は、03-5449-2317

就職直後に難病を発症した池田愛さんは、自分が社会や周囲の人に迷惑をかけていると、何年間もひけめを感じていました。今は違います。

 自営業を営む両親の長女として生まれた池田愛さんは、大学卒業までずっと京都市に住んでいました。大学時代は探検部に入って、日本アルプスの縦走をしたり、四万十川や吉野川、保津川の川下りをしたり、活動費を稼ぐため三重県鳥羽市のテーマパーク『パルケエスパーニャ』でアルバイトをしたり、たくましく過ごしてきたのでした。
 そんな元気な池田さんを異変が襲ったのは、上京してシステムエンジニアとして就職した1年目の冬のことです。粘液に鮮血の混じった便が頻繁に出るようになっていました。痛みはあまりありませんでしたが、便意を感じると我慢できず、電車を途中で降りてトイレに行ったり、出社と同時にトイレに行ったりという生活でした。
 しかし、池田さんは、「痔だろう」と思い込もうとして、仕事を控えたりしませんでした。そのころ知人の紹介で、後に結婚することになる剛さん(41)と知り合いましたので、深刻に考えず得した面もありました。
 半年ほど経っても治らず、近所の開業医を受診しました。バリウム造影検査では病名不明、「もう少し様子を見ましょう」で終わりでした。
 それから1年経ち、やはり症状が変わらないので、今度は肛門専門のクリニックをインターネットで調べて受診しました。そこで大腸内視鏡検査を受けて、『潰瘍性大腸炎(IBD)』の病名を告げられたのです。大腸粘膜に激しい炎症が継続的に起きるこの病気は、国内に10万人ほど患者がおり、原因が分かっておらず根治不能です。薬などで症状をコントロールできない場合には、大腸を切除してしまうという手術が行われることもあります。

結婚式の直前まで入院

 病名を聞かされても、池田さんには難病の実感がありませんでした。医師もほとんど経験がないようで、文献を参考にしながら手探りでの治療になりました。最初に炎症抑制薬を服用したところ咳が止まらなくなり、1カ月ほど後のレントゲン写真で肺が真っ白になっていました。以降、薬はステロイドのみ、仕事もできるだけ頑張るという期間が2年ほど続きました。
 03年2月、38度ほどの熱がずっと続いて会社に行ける状況でなくなり、ついに3週間入院しました。ステロイド量を大幅に増やし、いったん症状は落ち着きましたが、1年かけて少しずつステロイド量を減らし間もなく離脱というところで再燃、再入院となりました。この時はもっと大用量のステロイド投与が行われ、髪が抜けたり、ステロイドを再び減らしていく過程で情緒不安定になったりもしました。
 翌05年5月に結婚。同時に退職したのですが、その時もステロイドの離脱がうまくいかず、結婚式の10日前まで入院していました。精神的に治療に耐えられず、飲んでも飲まなくても再燃するなら、もう飲まないと医師に言って薬をやめました。
 義理の両親が心配して、東京都済生会中央病院を受診するよう勧めてくれました。そこで初めてIBDを専門とする医師に出会ったのでした。再度ステロイドを飲むように言われ再開しました。それから2年、春先になると症状が悪化して入院するという生活を繰り返しました。
 08年、サイトメガロウイルスによる感染症を発症。その治療も兼ねて慶応大学病院に紹介されました。その頃は、もう死んだ方がマシじゃないかと思うような状態だったと言います。1日に20回も30回もトイレに行き、毎回下血しました。痛み止めを点滴してもらっているのに、ひたすらお腹が痛いのです。慶応へと言われた時も、何をされるのか分からず不安に感じ、もうこのまま死んだ方が楽かもと思ったのでした。
 慶応大学病院で、抗ウイルス治療をした後、当時まだ保険適応外の治療薬だったシクロスポリンという免疫抑制剤を頸部から3週間持続注入しました。うまくいかなかったら大腸切除手術を行うという話になっていました。医師たちの事前のカンファレンスでは、発症から8年も経過しているので薬物療法を試さずに最初から大腸切除した方がQOLはよいのでないか、という意見が多かったそうです。主治医はそれを説明したうえで池田さんにどうしたいか尋ね、池田さんがシクロスポリンを希望したのでした。この時に自分の意思を尊重してくれたことがありがたく、この先も信頼していこうと思えたと言います。
 幸いシクロスポリンは効きました。08年5月に退院後、1年くらいで状態は落ち着き、ステロイドも完全に抜けました。以後、再入院することもなく月1~2回の通院のみで済んでいます。

期待は大きく、でも拍子抜け

 症状が落ち着いてくると、そろそろ何かしないといけないなと思うようになりました。ただ、いきなり働くのはハードルが高すぎます。そんなある日、病院でセルフマネジメントプログラムのワークショップ(WS)のチラシを見つけたのです。医師とのコミュニケーションがうまくいくとか、自分で病気をコントロールできる、といったキャッチフレーズが書いてありました。
 そんなことが本当にできるなるなら受けてみたいと思う一方、変な団体だったらどうしようと警戒心も抱きました。そこで、傍から冷静に見ていてほしいと、剛さんにも一緒に行ってもらうことにしました。
 そして09年3月にWSを受けてみて、正直拍子抜けとしたと言います。受ければ魔法のように病気をコントロールできるようになる、と期待していましたが、そんなことはありませんでした。自分なりに一つ一つやっていくうちに、そのうちそういう風になるのかなあという程度の感想でした。
 でも、受講仲間とWS終了後も3カ月おきに会っているうちに、自分も他の人たちも考え方が徐々に変化していることに気づきました。最初は自分の病気がいかに大変かというのを言い合っていたのが、病気の経験を生かす方法について話し合うようになっていたのです。池田さんも、他の患者会に参加したり勉強会にも行ったりするようになって、そこでは自分の経験が他の患者さんの役に立つということに嬉しい驚きを感じていました。
 それまで、病気は苦痛でしかなく、社会の迷惑になっていると自分のことを否定していました。
「でも、だからこそ役に立つこともあるんだと分かって、本当にそれが嬉しかったんです。やっとたどり着けた感じでした」
 今年2月には、今度は1人でWSを再受講しました。続けてリーダー研修も受けるつもりです。

気持ちを言えるように

 主治医には、WSを受けたことを特に伝えてはいません。でも確実にコミュニケーションが上手になったと感じます。WSを受ける前は、もし主治医に聴き入れてもらえなかったらパニックになりそうで、怖くて希望を伝えることができませんでした。でも、「今は無理でも、この先できる時にという入れ物があることを知ったから、こういう不安を持っているとか、こういうことをしてみたいと普通に言えるんです」。そろそろ妊娠したいという希望を伝え、1年以内をめどに免疫抑制剤を止める予定です。
 打ちこんできた探検には、トイレの不便があるので行けなくなりました。学生時代の仲間たちから飲み会などに誘ってもらっても、食事制限があって他の人の好きな店に行けないのが申し訳ないと、足が遠のいていました。でも、今年もお花見に誘われ、思い切って、自分が足手まといになっているんじゃないかと申し訳なく思う、こう伝えたら、「探検部の仲間やし、会いたくて誘ってるんだから、そんなに気兼ねすることないよ」と言ってもらえ、長年の胸のつかえが取れました。

ワンポイントアドバイス(近藤房恵・米サミュエルメリット大学准教授)ワークショップは、参加すればすべてが解決する「魔法の薬」ではありません。多くの自己管理の技術を学びますが、人によって役に立つものは違います。自分にできることから一つずつ試して、自分に合う技術を見つけられたら素晴らしいです。 また、ワークショップでは、知識や技術を学ぶ以外に「お互いに助け合う」体験をします。問題解決のアイデアを出し合ったり、お互いの話を聞いたり、人の役に立つことができます。慢性の病気があると、いつも人に迷惑をかけていると思いがちですが、それは違います。どんな人でも他者を助けることができ、その実感が自信につながっていきます。
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