文字の大きさ

過去記事検索

情報はすべてロハス・メディカル本誌発行時点のものを掲載しております。
特に監修者の肩書などは、変わっている可能性があります。

治療が消える 治療を守る④

医療機器や医療材料の供給に関する構造的課題を探っていくコーナーです。

胸郭不全から命を守る

 前回、医療機器類の審査を行う医薬品医療機器総合機構(PMDA)の中に、承認後に何か悪いことが起きた際の責任追及を恐れる姿勢が強く、それがデバイスラグ、デバイスギャップの一つの原因となっていることを指摘しました。
 「けしからん」と拳を振り上げても、寓話『北風と太陽』の北風になってしまいます。審査官も人の子ですから、判断を迷うような場面では、大丈夫だよ、と社会で背中を押してあげる必要があります。
 実は、患者と医師の声が集まって政治家を動かすことにより、道は開けるという象徴的な具体例があります。

希少ゆえ治験不可能

 背骨の一部が生まれつき変形している『先天性脊柱側わん症』。著しいものは、肺の成長が妨げられる胸郭不全症候群となり、放置しておくと体の成長に伴って呼吸不全を招き命にかかわるようになります。そのように著しい状態になるのは国内で年間10例あるかないかという希少疾患です。
 命にかかわる状態を治療する唯一の方法は、『VEPTR(ベプター)』という金具を背骨や肋骨に固定して胸郭を矯正すること。ベプターは、03年にEU、次いで04年に米国で承認され、日本でも導入しようと04年から関係者が動き出しました。
 しかし、ご多分にもれず暗礁に乗り上げます。ベプターを使う手術を日本でただ1人手掛けている名城病院(名古屋市)整形外科の川上紀明部長は、こう振り返ります。
 「厚生労働省の担当者からは、希少疾病用医療機器として指定できるんじゃないかと言われました。でもPMDAに行ったら、症例数が少ないなりに治験をしてくれと言われました。そんな費用を輸入会社は負担できないということで止まってしまったのです」
 米国の場合、希少疾病用の医療機器は、安全性が確認されれば薬事承認なしに使えるHDE制度(Humanitarian Device Exemption) というものがあり、希少疾病に苦しむ患者さんに医療機器を届けやすくなっています。しかし日本では指定を受けたからと言って必ず承認されるとは限りませんし、承認審査のためのデータが少なくて済むということもありません。
 08年12月の承認後にベプターについた保険償還価格は約150万円です。年に数件使われるかどうかのものに、億単位のお金がかかる可能性もある治験を行うのは現実的でありません。たとえ実施したとしても、必要な症例数にいつ達するかも分からず、さらに必ず承認されるとも限りません。命にかかわる疾患の、唯一の治療法なのに、事実上道が閉ざされてしまったのでした。
 その結果、それ以外に選択肢のない患者家族たちは、川上医師が個人輸入したベプターを自費負担で埋め込んでもらうしかありませんでした。自費負担は数百万円になりました。
 状況が変わり始めたのは06年10月。ラグやギャップの縮小をめざして、厚労省が『医療ニーズの高い医療機器等の早期導入に関する検討会』を設けたのでした。川上医師によると、ある母親がベプターについて大臣宛に手紙を書き、それが担当者の目に留まったようです。厚労省の担当者が名城病院まで来て、どうすれば承認できるか相談したこともあったと言います。
 その際に厚労省側から示されたのは、不適切な使い方まで考慮に入れると厳しく審査せざるを得なくなるので、適正に使うことを医療界自ら担保してほしい、ということでした。具体的には学会から、使う医師の要件や教育方法などの基準をきちんと文章で出してほしい、というのです。
 ちょうどその時期、川上医師が日本整形外科学会の下部組織にあたる日本側彎症学会の会長を務めていたこともあり、若干の紆余曲折はあったものの、スンナリまとまったと言います。翌07年6月には、検討会で扱った機器類のトップを切って「承認が妥当」との判断が出ました。この検討会で当初扱った13品目のうち、国内治験に着手してもいなかったのはベプターだけでした。

トドメの署名

 話は、これで終わりません。
 検討会の結果を持って再度PMDAへ行ったのですが、なお細かい質問を繰り返され、申請書類を出させてもらえないのです。
 途方にくれかけた08年3月、しびれを切らした患者の家族たちが立ち上がり、『側わん症・VEPTRの会』をつくって早期承認を求める署名活動を始めました。
 代表の成松恭子さんは、その前年、手術を受けるために大阪から名古屋へ引っ越し、全額自費負担で長女にベプター埋め込みを受けさせるという経験をしていました。
 「特別なことをした覚えはありません。社会の温かさに支えられました」と言いますが、最初はブログと口コミで始めた活動が新聞やテレビにも採り上げられ、あれよあれよと広がって、署名は2カ月で約6万4000人分、承認までに14万人分を数えました。全国に拠点を持つ大手企業が全
 事業所に署名簿を配ってくれるということもあったそうです。さらに、手伝ってくれる政治記者もいて、5月には舛添要一・厚生労働大臣に直接面会して6万4000人分の署名を渡すこともできました。これがトドメとなって、ようやく申請書類を出すことができたのでした。
 医療界が責任を持って「必要だ。適正に使う」と表明すること、患者がまとまって声を挙げて政治家に届けることにより、PMDAの審査官を動かすことのできたという事例をご紹介しました。ただ、こんなことをしなければ動かないのか、という点で釈然としないものは残ります。

審査官の責任  PMDA発足の一つのきっかけにもなった薬害エイズ事件で、厚生省の元課長に業務上過失致死の有罪判決が下されたことから、審査官たちは、薬害が起きたら個人として刑事で処罰されるかもしれないと、恐怖感を抱いているようです。前回ご紹介した薬害肝炎検証委員会でのアンケートからもそのような状況が汲んで取れます。 ▽しかし世界的に見ると、医薬品や医療機器の審査に関わった審査官個人に対して、刑事責任が問われることは極めて特異です。通常の業務としての審査に関する責任などは、審査官個人ではなく、最終的に判断を行ったFDAなどの組織が負うことになっています。
  • MRICメールマガジンby医療ガバナンス学会
掲載号別アーカイブ