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研修医が見た米国医療6

専門分化が進み過ぎ、弊害もあります

反田篤志 そりた・あつし●医師。07年、東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院での初期研修を終え、09年7月から米国ニューヨークの病院で内科研修。

 米国の医療というと、専門性の高い最先端の医療というイメージをお持ちではないでしょうか。もちろんお金を払って有名な病院に行けば、日本では受けられない先進医療が受けられるかもしれません。しかし一般の人が日常的に受ける医療の水準は、日米でそれほど大きな差はありません。一方で、米国では専門分化が行き過ぎていて、様々な弊害も生じています。
その一つは、不必要な専門医への相談(コンサルト)が多くなることです。日本では入院すると、主治医グループが治療方針のほとんどを決定します。専門性が高くて判断に困る時のみ、専門医にコンサルトします。専門医への敷居は高すぎても、必要な時に専門的な意見が得られず問題ですが、米国の場合は低すぎて、それを多用してしまうのです。
 例えば、糖尿病と狭心症、肺気腫の既往のある男性が肺炎で入院してきたとします。日本では呼吸器の病棟に入院し、余程のことがなければ、主治医グループだけで治療をします。しかし米国では、少しでも治療が教科書の範囲を外れると、肺気腫の治療で呼吸器内科、肺炎の治療で感染症内科、糖尿病で内分泌内科、狭心症で循環器内科と、コンサルトが多数の専門科に及ぶことが決して珍しくありません。
 この背景には、専門医が充実しているという理由以外に、医師が専門外の判断を行わないことで訴訟リスクを回避するという理由もあります。また、専門医はコンサルトを受けることで患者さんに診察代金を請求できます。そのため、お互いにお金を儲けるために、仲の良い医師同士で必要以上にコンサルトをし合う現状もあります。この談合のようなコンサルトは、患者さんの側から断ることはできないですし、病院に不利益は発生しないのでシステム上抑止力がかからず、結構タチが悪いです。
 また、コンサルトが多数の専門科に及ぶ場合、往々にして誰が全体的な治療の流れを決定するのか分からなくなります。主治医は自分の考えと異なっても専門医の意見に従うのが一般的であり、治療方針の主導権を専門医が握る傾向にあるためです。すると、主治医が主体性を失い、その結果治療の方向性が掴めなくなることや、木を見て森を見ずといった方向に進むことがあります。主治医と各専門医の橋渡しをするのは研修医の役目ですが、意見が異なる場合は板挟みにあい、それぞれに何度も電話をする羽目になります。
 専門医への敷居が低いと、様々な視点から専門性の高い意見が得られますので、特に重症で複雑な症例において、診療における見落としが少なくなるという利点もあります。どの専門科にコンサルトしても翌日には患者さんを診てくれますし、小さな疑問も電話で簡単に相談することができるので助かります。しかし、内科診療においては、患者さんの個性や生活背景も含め、主治医が総合的な判断をしなければなりません。専門性が高いだけでは、質の高い医療にはつながらないと実感します。

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