梅村聡が斬る④ 秘書の膵臓がん闘病を傍で見て感じたこと
今年も一年、読者の皆様には大変お世話になりました。感謝を申し上げます。私にとって国会議員から一度退くという大きな転機の年になりましたが、もう一つ、忘れられない大きな出来事がありました。私の政策秘書の鈴木明美さんががんで亡くなったことです。
参院選の2日後、私の政策秘書の鈴木明美さんが、膵臓がんで亡くなりました。
私の国会議員への道は、元参院議員の故山本孝史さんからお声をかけていただいたことから始まりました(2012年4月号参照)。そして今回、落選とともに鈴木さんが亡くなりました。がんに始まりがんに終わったような議員生活。因縁めいたものを感じずにはいられません。
鈴木さんとの出会いは、私が初当選した2007年に遡ります。知人から紹介を受け、面接して採用。それこそ議員会館の机やコピー機をどうするかなどという、事務所立ち上げから支えてくれた秘書でした。
異変が起こったのは、約5年前。彼女がしきりにみぞおちの痛みを訴え、病院で調べてもらったところ、MRIで膵臓に1・2センチの影が見つかりました。みぞおちの痛みは、恐らく腫瘍の近くで起こった軽い膵炎だったのでしょう。告知を受けた彼女は、当時まだ43歳で、相当なショックを受けていました。
それでも私は、早い時期に見つかり幸運だと思いました。膵臓がんは、発見時に治療が難しい状態にまで進行していることも多いのです。彼女の場合は、外科手術で取り除くことが可能でした。
手術できたが再発
私自身は三つの異なる立場を同時に経験することになり、複雑でした。私にとって彼女は、部下であり、家族のようであり、医師として意見を求められる時には患者でした。仕事柄、よく周囲から病院の紹介を頼まれたり、体のことを訊かれたりしますが、そういう時には情緒的な部分を割り切ってお答えします。しかし彼女に対しては、どうしても情が入ってしまい、そうはいきませんでした。
2009年3月、私は手術前の説明に同席。一通り説明を聞いた後、手術後に抗がん剤を使ったらどうかと主治医に尋ねました。ジェムザールという膵臓がんの治療に使う抗がん剤が再発を防ぐのではないかと直感的に思ったのです。しかし、当時まだ一般的な方法ではなく、「そんなエビデンスはないですよ」と言われました。食い下がるのもどうかと思ってそのままにしましたが、あの時もっと強く頼めばよかったのかもしれないと、悔やまれてなりません。
手術後2年半は再発しませんでした。私は「早く見つかったら、うまくいくこともあるんだな」と楽観的に考えていました。
しかしその後、腫瘍マーカーの数値が上がり始めました。CTやMRIを撮ると、腹膜や肺に砂が散らばったような5ミリぐらいの大きさのがん(転移巣)が見えました。
抗がん剤治療が始まりました。彼女はかなり強く副作用が出るタイプで、一度治療すると3、4日は動けなくなりました。私は、つらい時には休むよう言っていましたが、彼女は厚労省のがん対策協議会の傍聴にだけは必ず出かけていました。元々がんの分野に詳しい秘書で、よく勉強していました。自分のため、仲間のため、という気持ちだったのでしょう。
2012年秋、抗がん剤治療の甲斐なく、病巣は肺、腹膜、肝臓、直腸とあちこちで大きくなっていました。積極的な治療ではなく、苦痛をなるべく取り除き、したいことをしながら残りの人生を生きるよう考える時期に来たと思いました。
彼女の希望は「北海道で犬と暮らしたい」というものでした。そして積極的な治療を中止し、北海道に移住していきました。
忘れられない思い出があります。2012年2月、彼女は私の誕生日パーティーで仮装をして本物のアンジェラ・アキさんのようにピアノを弾いて歌ってくれました。鈴木さんは歌手のアンジェラ・アキさんによく似ているのです。会場中が本物のアンジェラ・アキさんが来たと思い込んで湧き上がり、別の会場からも人がやって来たほどでした。最後に司会がタネ明かしすると、とても盛り上がりました。相当つらい時期だったはずですが、それは彼女の思いやりであり、また自分の姿を皆の思い出に残してもらいたいという気持ちだったのではないかと思います。
参院選の投開票日は2013年7月21日(日)。その2日後の23日(火)の朝、鈴木さんはあの世へと旅立ちました。
いくつかの気づき
彼女の闘病を通じて、日本のがん医療について考えさせられることがたくさんありました。
彼女はよくインターネットで病気について調べていました。ネット上には真偽の不明確な情報が多くあります。彼女もそういった情報を見ては不安になっていました。参議院議員在職時の私は、患者さんには正確な情報に触れてもらいたいと、がん診療連携拠点病院に、患者さんやご家族の相談窓口を整備するような政策を積極的に進めました。
医師・患者関係でも感じることがありました。クレーム等が増えている現在では、仕方がないことでもあるのですが、医療側は治療のメリットに比べて副作用などのデメリットをかなり強調して伝えていると思います。それが患者さんの不安に拍車をかけています。せめて「こういう大変なことはあるけど、一緒に頑張ろう」と言ってもらえたら、どれだけ心が楽になることでしょう。
また終末期を在宅で過ごされる方も多くおられますが、病院・ホスピス以外に、気軽に利用できる病床兼施設のようなものがあればとても助かるのにと感じました。がんの病状には波がありますので、数日間だけでもレスキューされると精神的にも肉体的にも非常に楽になります。
また私自身、がん治療についてそれなりの知識を持っていたはずですが、感情が入ったために、しばしば判断に迷いました。医師や国会議員という立場だけでは感じる機会が少なかった、患者さんやご家族の「不安」や「恐怖」の感情を改めて認識しました。
彼女の冥福を祈りながら、教えてもらったことを無にしないため、政界に復帰するべく今後も全力を尽くしたいと思います。