知らぬを知る
私は評論家ではないので
あまり物事を論評しないように心掛けているのだが
先週金曜日の大野病院事件公判を傍聴して
現代日本の医療を取り巻く不幸な環境として
改めて認識したことがあるので書き留めておく。
公判で証言した池ノ上克・宮崎大教授のような一握りの人を除き
医療者も患者もメディアも司法も
「非医療者が何を知らないか」ということを知らないのである。
構造的に見ると
知らない側が
いきなり「これこれを自分は知らない」と認識するのは難しい。
知っている側が
「あなたはこれこれを知らないのではありませんか」
と、尋ねて教えてあげないといけない。
しかし
知らない側が、知っている側を信用していないと
この問いかけが成立しない。
現代の医療不信は、この意味で不幸である。
まして
知らない側が「自分に知らないものはない」と思っていたら
絶望的である。
よく言われるところでは
勉強すればするほど
自分の知らないことの多さに気づくらしい。
メディア人が不勉強であることの最大の罪は
「自分は知らない」という謙虚さを忘れることかもしれない。
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