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ニュース〜医療の今がわかる

ビジョン会議1

どうせ厚労省の検討会だろ? と
ハッキリ言って期待していませんでしたが
予想に反して、なかなか充実した議論だったと思います。


テレビカメラがズラっと並んでいたので
ほんのさわりだけは各メディアでも報じられることでしょう。
ただし、いみじくも会議中に
西川京子副大臣がメディアへの苦言を呈したように
マスメディアの性質上
いったい会議で何が話し合われたのかきちんと伝えるのはムリ。


こんな時こそニッチな我々の出番ですから


どうせ厚生労働省の検討会 と思っていたのは
私の目が曇っていた。


見る所さえ見ていれば
いつものとは違うと分かって然るべきだった。
さて、どこが違ったでしょうか?


答えは、出席者。
厚生労働省から出席したのは
大臣、副大臣、政務官(と局長以下の医政局幹部)の3人。
外部から呼ばれた有識者も3人。


省側の顔ぶれも違うけれど、それ以上に人数が少ない。
発言できるのは、たった6人。
内田樹さんの会議論を拝借するならば
大人数の会議は「聞いてないとは言わせないぞ」のお達し。
小人数なら「ソリューションを考えよう」という本物の会議。
ということになるわけだ。


前置きはこれ位にして
会議の趣旨を説明した舛添厚生労働大臣挨拶から
順に発言要旨などを淡々と再現していきたい。


舛添
「昨年8月に私が就任してすぐに、奈良でいわゆる妊婦たらい回しが起きて、産婦人科医の確保が緊急課題だということになった。短期的には昨年5月から緊急整備を、政府与党の方でしっかりやってきているが、長期的なビジョンがなかった。医師を育てるにしても10年計画。医師が余っている余っていると言いながら片や産婦人科医不足というのでは、どうもうまくない。そこで、国民に安心を与える、希望を与える長期的なビジョンを作りたい。

この会議には色々なゲストを呼び、歴史的に見て江戸時代の医療はどうだったとか、他国ではどうなっているとか、尋問社会科学的な視点で検討してみたい。また机上の空論にならないために現場を歩いてみたい。まったくフリーに自由闊達にご議論いただき、安心と希望の医療を作るため、4月をメドにビジョンを掲げて、国民が安心できるようにしたい。

医療は年金と並び、命を大切にするということに、政府に対する信頼感を問われている。国民に信頼される行政にして参りたい。そのためにもビジョンを国民の議論の叩き台としてお示ししたい」


大臣自身が力を入れて設定した会議だったことが分かる。
事務局の医政課長が
「議論のインスピレーションのきっかけに」と
若干の資料説明をし
外部有識者3人に「ご自由に発言を」と下駄が預けられた。
ちなみに有識者3人とは、資料の順に従って書くと
辻本好子・COML理事長
野中博・野中医院院長
矢崎義雄・国立病院機構理事長 である。
患者代表、地域・慢性期医療機関代表、急性期医療機関代表
ということらしい。


しばらく互いに顔を見合わせた後、野中院長から口を開いた。
「大学病院で働いた後、浅草で開業した。日本の医療は『治す』に関しては世界と遜色ないと思うが、支えるという部分が欠けているのでないか。治す視点で医療を選ぶのは当り前だが、たとえ治らないとしても支えるという意味で医療が適切だったかは考えないといけない。その視点が医師にとっても足らなかった。私は在宅医療をやっている。以前は高齢というだけの人ばかりだったが、最近は加えてがんの人も在宅へ来ている。支える視点が大切だ。それが一番欠けていたんじゃないか。

もう一つ、医師1人の能力が語られすぎている。病院と診療所の連携がうまくいけば、もっと患者さんの生活を支えることができる。これも問題と捉えている。今日も診療していたら、患者さんとの会話で『おばが病院を追い出されてお見舞に行って来た』という話になった。なぜ『追い出された』と言われてしまうのか。そういう感覚を持たれないような配慮が必要。

急性期で頑張る医療者ももっと支援してほしい。それと同時に支える部分にも人が必要だ。そこでは医師1人ではなく、他職種との連携が必要。その意味では、昨年のある事件以来、ヘルパーの希望者が減っているという。それも問題と捉えている』


矢崎
「今まで課題が生じると厚生労働省が審議会・検討会を開いて検討してきた。しかし医療が非常に複雑なものなので、それら検討会の結果が必ずしも医療側にも患者側にも十分理解が得られていないことがあると思う。この会議もメディアの注目度は高いようなので、少なくとも十分に真意が伝わるよう、事務局には進行をお願いしたい。課題に対して過敏に反応しすぎている面があると思う。

私は病院で働いてきた。今は病院全体を見る立場にある。病院の在り方、抱えている課題が明確になり解決策が見つかればありがたいと思う。

医師不足と言われるが、特に産科や救急、がんの手術をする外科など高度の病院機能が低下している。高齢化が進めば入院医療の需要は増えていく。機能低下が大変心配だ。在宅医療を推進するにしても、病院機能も絶対に必要で、その対策をどうするのか。

それから医療人の養成をどう進めるのか。病院というのは国家資格の異なる、医師、看護師、薬剤師などメディカルスタッフがタテ割で横には診療科と分断された組織だ。チーム医療とは言うけれどコミュニケーションがうまくない。医療事故の大部分はコミュニケーション不足に由来している。そこをどうするか。医療も装置も近代化しているのに、病院という組織の運営は明治時代のまま。どうやって生産性を高めるかといったら人の育成しかない。専門性を高めると同時に総合性も高めないと。医師不足の一つの原因は行き過ぎた専門化で1人の患者を何人もの医者が診ているから。これでは医師が何人いても足りない。今後の大きな課題だろう」


辻本
「17年前から電話相談で42000人の訴えに耳を傾けてきた。当初はこんなことお医者さんに訊いても良いのだろうかという相談ばかりだったのが、最近はこちらがタジタジになる位情報を集めてハッキリ意思表示する人も多い。医療に対するニーズ、要求の高まりを実感している。日本の医療は17年で本当に変わった。17年前のお医者さんのありようと現在のお医者さんのありようは本当に違う。それなのに、患者の私たちが履き違えしてしまっていたのでないか、権利と義務とを履き違えてしまったのでないかと思う。

患者がもっと成熟しなければいけない。自立して、医療の限界や不確実性をどの程度の覚悟を持って引き受けていくかが問われている。

国民皆保険の与えられる医療、施される医療から、協働する医療、お互いにこの人に会えて良かったという人間関係を築くことのできるものへ。いかに情報を共有するか、いかに向き合うか、共に参加することで安心と希望の医療を構築したい。患者の在り方を構築したい。

善き医療人育成の話が出たが、私達も、大学生や研修医を1週間ではあるけれどお預かりして電話相談を受けてもらうということで、育成にかかわっている。2年目の研修医ですら疲弊しきって患者さんに脅えた状態でやってくるが、電話相談で彼らの切々とした訴えに耳をかたむけ、あるいは平均40分、長いものでは1時間半にもなる相談をじっと受けているスタッフの姿を見て、向き合うって大事ですねというところから、どんなに忙しくても、もう一言だけでも添えれば、もっとよい関係を築けるんですねということに気づく。向き合ってみたら患者さんの顔まで違って見えた、敵対ではなく一緒に築いていけるんですね、と後から連絡をもらってスタッフ一同で喜んだことがある。

ただ、卒業後2年目ですら、こんな風に疲弊しきって患者に脅えている現状を患者側がしっかり捉えて、医療者の育成にもかかわっていける患者になりたいと思う」


西川
「野中先生のお話は、厚労省の方向性として在宅医療を推進しようと計画を立てており、一致している。圧倒的な人材不足をどうするのか考えなければいけない点も共有していること。

矢崎先生の言われる、コミュニケーション不足の点に関しては、私は肝炎の問題でも座長をしているが、常に感じる。本当なお互いに信頼関係があれば裁判にならない。

辻本さんの考え方、患者の態度への指摘は「なるほど」と思った。地元でも医者が患者に対してナーバスになって誇りを持てないと聞いている。批難しあう文化では、本当によいものは出てこない。その意味では、本日も多くの方が見えているところで、あえて苦言を呈するが、マスコミの方々の報道の仕方に問題がある。現実に起きていること全てを伝えるのでなく、お互い不毛の争いの部分のみに焦点が当たって報道されるのは不幸なことだ。お互いに信頼関係を築けるよう方向性を見出すことが将来につながる。辻本さんは患者さんの権利について話をされると思っていたが、患者自身の成熟についてお話をいただき感謝したい。

厚労省は、現場の医療者の奮闘に甘えている部分があると思うので、しっかりやって参りたい。今のように批難しあい指摘しあうばかりでは、互いの理解を育てることに欠ける。これは日本の将来にとって本当によくないので、ぜひとも前向きな方向性を見出したい」


松浪
「就任してから関係20団体ほどを回って意見交換させていただいた。共通して聞こえてきたのは、先が見えない現状だった。打開するには患者の意識も大きく変わらないといけない。鎌田實先生が書いていらしたように『名医より良医』。なんでもかんでも総合病院に行くのでなく、地域のかかりつけの医師との信頼関係を築いてもらって、本当に必要な時だけ総合病院へ行くような行動変容の必要性を強く感じる。

一方でこれが終末期になると、患者に選択権がない。これは尊厳死の問題とも絡んで議論がタブー視されているが、私の祖父、非常に気丈な人だったけれど、その最期などを見ているとquolity of deathがないじゃないかと思う。

世界に例を見ない、猛スピードでの少子高齢化を迎えており、国家として対応する必要がある。国家戦略として対応するには、現場のタブーに切り込んでいかなければ未来は見えないのでないか。皆様には特に言いにくいことを、ぜひ言っていただきたい」


舛添
「資料を見ると米国の人口あたり医師数も日本とそんなに変わるわけではない。でも、日本の医師ほど大変だという話は聞かない。何が違うかというと、医師を支えるスタッフがいるという。メディカルクラークとかアシスタントとか。カルテ整理の時間だけでもなくなれば、その分どれだけ患者さんを診れるかという。医師とアシスタントとどういうチームでやるのがいいのか、ぜひ長期ビジョンでやりたい。だから医師数の各国比較だけでなく、チームの中身がどうなっているか事務局に調べてもらいたい。

私など、この世界との関わりは医療ではなく介護から入ったので、いかに支えるかというのを実感している。思うのは、昔なら当たり前だった自宅で生まれ自宅で死ぬということが、今まったく行われていない。私なども産婆さんに来てもらって自宅で生まれて、こうして問題なく生きている。それをクリニックでしかやらないのはなぜなんだろうと思う。それから畳の上で死ぬなんてのもほとんどない。ここで教育の問題を持ち出すのもどうかとは思うが、おじいちゃん、おばあちゃんがこと切れる、弟や妹が生まれるといった、生と死に関する決定的な瞬間を子供と共有することがなくなったのは問題でないかと思っている。それはさておき、いかに支えるかということは、長期的には医療と介護の線引きをどうするかという話になるだろう。場合によっては垣根を取り払うことがあってもよいのでないか。


事故調査の話だが、真相究明が一番でその後に原状回復のような願いが出てくるという、真実が知りたいという思いが強いようだ。この点について、どういう形で情報共有したらよいのかという問題がある。ほとんどの医療情報はインターネットで取れる。インターネット時代における情報共有の在り方についても問題提起しておきたい。どこまで正しい情報なのかという問題がある一方で現場よりも進んだ情報が出ていることもある。患者さんの方が最新情報を知っていて、ホームドクターが知らないということで、それがトラブルの元になったりすることもあるのでないか。この辺りが、とりあえず感じた問題意識だ」


辻本
「かつては情報がなかった。今では逆に電話相談しても情報の海で溺れそうになっている。成熟に至るプロセスの中で、情報を吟味するために第三者機関が必要でないか。集めたはいいけれど私はどうしたらいいのと電話してくる人が多くて、そんな時わたしたちは、あなたはどうしたいんですかと問うたりして、その人が自分でも言語化していなかったような本当の思いを引き出したりしている。情報は、間につなぐ人やシーンがあって初めて役立つものになる。

医療現場でも医師だけに負荷をかけるのでなく、すき間というと失礼かもしれないが、それぞれの役割分担としてそこの部分は私たちがというプロフェッショナルが出てきて、いわば裏方の人が主役になる構図がつくれないだろうか。私達の電話相談も、自分が渦中にある時にその存在を知っていたらどんなに良かったかと言われることが多くて、自分たちのPR不足を感じると共に、そういうつなぐ存在を考えていくことが必要でないかと思う」


矢崎
「ネットに情報が流れるのは患者さんのニーズとしてやむを得ないと思う。問題は医療側のセカンドオピニオンで、普及してはきたが、私の親類でさえ躊躇するという。医療側がもっとフランクに対応することが医療を信頼おけるものと捉えてもらうポイントだと思う。主治医の判断にケチをつけるためにいくのではなく、確証を得たいからいくんだと、重要性を認識していただいて患者側も利用していただきたい。

医師と患者の間に摩擦が生じているという件だが、不幸にして事故が起きた時に対応するシステムがないのが背景にあって、最終的には裁判にいくしかなくなる。裁判は灰色がなくて白黒を争うものなので本当に公平なものなのかという問題がある。こんど医療安全調査委員会ができるという。これについて医療者がむしろ過敏になっている。司法も医療も分かった人が話をしないと、お互いに相手の分野については素人どうしで話し合ってもムダな議論になる。現在の医療事故は、裁判とマスコミがどう報じるかで決まってしまうので、専門家を交えてそういう所で真相究明するということを十分理解していただくことが必要だろう。十分に理解を得るためのプロセスがなく、それが不十分なまま実施されますと、かえって両者の関係が悪くなる可能性もある。それには時間をかけて凝縮した議論をすること、凝縮していればそれほど時間は必要ないだろうし、その点についてご配慮をお願いしたい」


野中
「認知症への対応に後れているのが医療の問題。治せないことをどう理解するのか。どんどん治せる病気が増えるのは喜ばしいことだが、片一方で治せない病気も厳然としてあり、治せない患者さんをどうやって支えていくかの視点がなかった。

私の母も認知症だった。はじめは戸惑ったが何を分かればよいか。本人の不安を理解してあげれば良いのだと気づいた時に、これで地域の医者として働けると思った。私のところは透析もやっている。40年も続けている人の姿を見ると本当に頭が下がる。このように自分の意思と関係なくやむなく病をえられた人に私たちは向かいあうことで、初めて社会保証制度の中で存在理由が分かる。

医師会活動など見ても、別に医師会に限らないけれど、自分たちが何の目的のためにこの仕事を選んだのか、それを忘れてはいないだろうか。急性期の命を守る病院には人材をもっと入れるべきだ。それと同時に地域の現場にも人材が要る。患者の不安と苦悩を受け止めれば、意外と患者は苦情を言わなくなる。それこそ患者に一緒に参加してもらう医療のためにも、EBMはもちろん大事だが、これからはNBM、ナラティブ・ベイスト・メディスンを大事に感じていくことが必要でないか。連携と言い易いが、どうやって連携するのか。最終的には、患者さんと僕らが何を共有するかということだと思う」


辻本
「言いにくいことを言ってください、とのことだったので、議題の中にも『医療サービス』という言葉が出てくるのだけれど、『サービス』という言葉を使っていいのだろうかと疑問がある。厚生白書で『医療サービス』という言葉が使われるようになってから、どうも患者医師の関係がぎくしゃくしてきたような気がしている。それは『患者様』という呼称の問題とも通じるのだが、サービスだったら良くて当たり前、要求して当たり前となっていないか。ぜひ議論を深めてもらいたい。

歴史的、文化的にも検討するという話だったので、その意味でぜひ議論したいのがインフォームドコンセントについて。文化の違うところで育ったものが、輸入されて歪んだのでないか。米国とは医療の前提が違うのだから、日本には日本なりのものがあって然るべきでないかということが医療の現場でも問われていると思う。インフォームドコンセントの思想は、この10年でしっかり根付いた。次の10年で日本型インフォームドコンセントとはどういうことか、ビジョンを考えてみたい」


舛添
「医療はサービスか否かの問題提起があった。じゃあ医療は産業・ビジネスとしてどう位置づけるのか、ペイするのかしないかという議論がある。日本の競争力というものを考えた時に、特に薬メーカーの競争力は国際的に見てどうなのかという問題意識がある。いやそういうものではないのだ公的に賄うのだ、というのなら財源論になってしまうが、その費用をどう賄うのか。消費税を15%にしますよということになれば、それこそ国民的議論が必要になる。そういうことを考えると、私は医療にはサービスの面もある程度必要だろうと考える。しかし一方で、そういう二元的な捉え方を超える哲学も必要なんだと思う。それに関しても問題として意識してみたい」

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