福島県立大野病院事件第十二回公判
本日、私は別の取材があって福島へ参れませんでした。
周産期医療の崩壊をくいとめる会のM先生より
速報がありましたので、掲載いたします。
遺族の方の意見陳述があったようです。
早口だったのでメモに抜けが多いかもしれない、とのことです。
旦那さん
「被害者の夫です。このたびは、私のために貴重なお時間をさいていただいてありがとうございます。私の立場で心境について述べるのはありがたいことです。
妻の出産について、天国から地獄、そのとおりのことがあてはまる状況でした。
以前帝王切開で前置胎盤であるということで、早めの入院を勧められて入院しました。帝王切開について先生より説明があり、出血が多いと子宮をとること、輸血は1000ccと充分準備すること、何かあれば厚生病院の先生を呼ぶと万全の体制でのぞみますと説明を受け、私どもは、そこまでしていただけるの
か、なんて力強い、と思い、全てを先生に託しました。
手術の当日は安心して、子供の誕生を待ち、生まれたことがわかると、家族全員喜びました。しかし、いつまでたっても、妻が戻ってきません。病院の人にたずねてもあいまいな答えしか返ってきませんでした。
しばらくして、先生から説明があるとのことで、部屋に入ると、いきなり、申し訳ありません、亡くなりました、ただ今蘇生しています、と話されました。手術経過の説明をされましたが、とても納得できる内容ではありませんでした。
私は今、父親として、責任をもって二人の子を育てています。親として当然であります。今回、私がお話したいのは、責任についてです。手術を受ける患者は、手術中、自分の力ではどうしようもありません。信頼する先生に命を預けるのです。当然、先生には責任があると思います。加藤先生には、いいわけや責任転嫁をせず、何が欠けていたのか、正面から向き合ってほしいです。
加藤先生の手術の内容は、弁護側の先生からは誰でもする、特に問題がなかった、と言われました。何も問題がなければ、なぜ、妻は死んでしまったのか、とても疑問です。
人はそれぞれ異なります。それを、医学的に同一と言われ扱っても良いものでしょうか。
病院は、必要な安全のためのものが整っているところです。医師の機転や処置のとりかた、手術に間違いがなければ、なぜ妻は死んでしまったのでしょうか。
関係者は、来る日も来る日もつらい悲しい思いです。あの日以来、平安がなくなりました。こんな苦しさを一生になっていくのかと思うと真っ暗になります。
私もそうですが、誰でも自分がかわいい。しかし、自分のとった行動、言動には責任をもつことが、大人として当然だと思います。いいわけをせず、大人として責任をとっていただきたいです。子供と妻のために、責任を追及し、責任をとってもらいます。私も父親の責任として、子供を育てていきます。
私は社会生活は、あらゆる分野があつまって成り立っていると思います。医療は、これまで一般の人、素人が立ち入ることができない聖域だと考えられていました。今回、司法に介入され、閉鎖的であった医療が、国民の関心をよび、社会的にひらかれたと思っています。
真実はひとつだと思います。この裁判が、医療の実態の探究につながります。そして、妻の死の原因の解明につながり、私のような家族を再び生まないことにつながると思います。全国の女性の安心しておこなえる出産につながります。未熟なものなので、誤解があるかもしれない部分はお許しください」
お父さん
「今回の事件の被害者の父として心境を述べます。
娘から、今回の手術について、リスクが高いとは聞いていませんでした。2004年12月17日、当日仕事を終えてから病院に向かいました。娘に何と言おうかと思いながら、運転しました。18時前に病院につきました。病室について家内に娘の様子を尋ねると、まだ、と言いました。
私はナースステーションに行って尋ねましたが、ちょっとお待ち下さいという返答でした。私は連絡がすぐくると思っていました。私がステーションに行くと、ナースは足早に奥の方に入っていき、私が少し離れたところで振り返ると、ナース達は私の目線をさける。ナースステーションで、ナースが逃げ隠れするのを目の当たりにして、異様な雰囲気でしたが、そういう時間が30分続きました。私は娘がまさに命を落とす状況になっているとは知りませんでした。
ナースが私たちに、執刀医の説明があると、18時45分に案内されました。先生からは、突然、なくなりました、と、淡々と説明されました。直後からナースステーションは悲鳴の中にありました。21時前に、再度説明がありました。私は先生が淡々と話す姿に疑問がありました。
娘が私たちが来るのを待っていたかのような記録、くやしさの痕跡が残っていて、親として、これは何かがおかしいと感じ、事故の真相を解明したいと感じ、その場で、娘に最善をつくしたのか、ときき、カルテのコピーももらいました。
病院の裏玄関で、娘のなきがらを引き取る際、先生から病理解剖をしますか、ときかれて、しない、と即答しました。先生は、子宮はあずかっていると言われました。 この悔しさを記憶しながら、病院を出ました。
加藤先生の説明では、超音波検査で一週間に一回、みさせていただき、胎盤は子宮の後ろ側にあり、胎盤が子宮につきすぎ、剥がすと出血した。それほどひどい癒着ではないと思ったが、ひどい癒着だった。剥離も、はさみで切らないといけないほどの癒着だった。出血がとても多かった。剥離にかかった時間は15分で、15分の間に、5000mlも血を失ってしまって、血圧がさがってしまった。60、50と血圧が下がり、ショックをかえられなかった。子宮をおさえこんで、待機となった。いざすすめると、前置胎盤、癒着胎盤、予想もしない出血にみまわれた。その状態が長く続いた。2004年12月26日の病院の説明でした。
加藤先生の法廷での説明は、当時私のきいた説明をかなりちがうので、何故変わったのか不思議な気持ちです。
翌日から病院に相談しようか、警察はとりあげないだろう、自問自答し、家族の苦悩はつづきました。娘の死以来、眠れない日が肉親に続きました。家内は、先生を信じていたのにと落胆して口をとじてしまっています。
娘がなくなってから半年過ぎると、早くも示談の話が病院からきました。私は何故事故がおきたのか、納得できず、研究報告書等を入手していたことから、示談は時期尚早と考えて、質問を病院に送ったところ、中断したままです。
何一つ、真実がひきだせず、苦悩がつづいていました。ただ時間が経過していました。
病院関係者から、娘の死にあたっては、他の病院、十分設備も整った他の病院であれば良かった、安全対策をしなかったという内容がわかりました。肉親にとっては、大学病院の調査報告と報道と同じ内容でした。大野病院でなければ、娘を亡くさずにすんだと、強く感じました。これで何故事故が起きたのか、真相を究明できると感謝しました。
1年がすぎ、加藤医師が逮捕されました。癒着胎盤が極めて稀で、1万分の1、とか、2万分 の1とか、難易度が高いとか、大出血は稀だとか、亡くなったのは娘のせいだとか、言われました。これらは、娘に対する人権侵害、誹謗であり、遺族は逆境の中にいます。医学の真実を集めていない書き込みや、誤解のないようにしてくださることをお願いします。
事前に、術前に、病院内外に色々意見があったのに、私たちにインフォームドコンセントや、セカンドオピニオンがなかったのは、何故なの、と、先生にしつこく訊いたであろう、娘の言葉の代弁です。長男はクリスマスに、お母さん、起きて、と泣きました。やさしいお母さんを返して、というのが、長男の言葉、今回生まれた孫の代弁です。
肉親は、術前診断から癒着胎盤の疑いがあったにもかかわらず、関係者からのアドバイスを無視し、暴走し、手術中の数々の警鐘にかかわらず、命を奪った、加藤先生の行為が許せません。経験のない先生とわかっていたら、娘を預けませんでした。
事故がなぜおきたのかの原因、病院の安全を強化して、二度と娘におこったような悲劇がおこらないように、してほしいです。
医師不足と今回の事件とは、別の問題です。患者に安心安全を与える医療のために、邁進していただきたいと思います。これで肉親の心境を終わります」
お弟さん
「今回の被害者の弟として、心境を述べます。
女の子だったら、一緒にお料理したりかわいい服をいっぱい着せたい、と生前言っていた姉の夢を思い出します。姉は明るく元気で社交的でした。近くでイベントがあれば、家族を誘い、楽しく過ごしました。姉が亡くなり、3年たった今も、元気だった姉がどこかで生きている気がして現実をうけとめられません。
2004年12月17日の、赤ちゃん誕生の喜びを祝いあうはずだったのに、一瞬にして、悪夢のはじまりとなりました。
手術当日、生まれた赤ちゃんに、姉の夢がかなったね、と胸がいっぱいになりました。保育器の赤ちゃんをみながら、長い時間、姉を待っていました。しかし、待てども待てども出てくる気配がありません。看護師から、病室で待つように指示され、待機していました。看護師の行動が、家族との接点を拒んでいるようで、あきらかにおかしい状態でした。父が来て、看護師らに問いかけした様子でした。その後しばらくして、ナースステーションの奥に移動して、重い空気が流れました。
時間がたって、父が戻って、親戚を前につぶやきました。ダメだった、娘がダメだった、亡くなった。親戚は、泣き叫ぶ声、悲鳴、怒鳴り声、地獄と化しました。
2004年12月17日、長時間、手術で最善をつくしていたのか、もしつくしていてくれたなら、待機していた家族に、一報をいれる配慮があったはずです。病院に緊急の体制があれば、納得のいく対応があったはずです。
医師から、亡くなりました、と言われ、納得がいくわけもなく、本当に最善をつくしたのか、不信感を持つのは当然です。姉が息をひきとる前、わずかな間、赤ちゃんと対面し、ちっちゃい手だね、と言ったことを聞いて、喜ぶ姉の顔が浮かびました。それなのにどうしてこうなったのか。私も、一生懸命に生きた姉が、無念な思いでこの世を去った姉が、不憫で悔しくて、許せません。
事実をうけとめながら、明るく元気な姉、お母さんである姉に会いたいと思っています。
2004年12月17日から、肉親家族の中で、くやしさにくれる日々の中、残された二人の孫をひきとり、両親は二人の子を不幸にしたくない思いで育ててきました。病気に勝てず二人の子は入院もしましたが、高齢をおして徹夜で看病した両親によって、大きく成長した子供に、真実をつたえるため、姉の分も両親に
は長生きして欲しいと思います。
病院から、姉がなぜ死ななければならなかったのか、説明がなく、真実が解明できず、苦悩していた両親に、光をさしのべてくれた、警察、検察に、感謝しています。
姉は1ヶ月前から病院に長期入院していたのにもかかわらず、このような事故がおきて残念です。何故おきたのか検討し、再び事故のおきない体制にするため、監視を強化し、二度と事故がおきないことを祈っています。これを天国の姉の代弁とします」