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ニュース〜医療の今がわかる

福島県立大野病院事件 論告求刑公判

こんなに長くやるなら午前からやってくれればいいのに
という長時間の早口朗読。
周産期医療の崩壊をくいとめる会M先生の記録にて。


検事
「被告人は産婦人科専門医であり、被害者は健康な29歳の女性であった。被告は癒着胎盤をクーパーを用いないと剥離できないほど癒着していたにもかかわらず、無理に剥離した。この過失は、専門医の基本的な知識に反し、過失は重大である。被告は癒着胎盤を十分に予見しながら、剥離を中止する注意義務に違反し大量出血させた。前回帝王切開の既往がある全前置胎盤では、24%の確率で癒着胎盤が生じることは基本的な医学書に記載されている。胎盤が前回切開創に付着している危険性は予見できた。手術の腹壁切開時に子宮前壁の表面に静脈の怒張がみられており、術前の超音波診断でも胎盤が前回帝王切開創にかかっていることは診断可能であった。

被告人は臍帯を持ち上げた時点で胎盤が剥離せず子宮が内反した時点で胎盤が癒着していることを認識し、無理な胎盤剥離により大量出血によるショックを生じることを認識し、止血操作をはかるとともに直ちに子宮摘出すべきところ、これを怠った。

これは教科書や学会の冊子などに書かれている基本的な知見である。本件手術前に医局の先輩からも、同様の症例で大量出血が生じた症例があることを被告人は聞かされている。被告人は本件手術前や手術中の検査からも被害者の生命の危険が予見可能にもかかわらず、クーパーを使用したら剥離できる、出血しないこともありうるだろうと、安易かつ短絡的な判断により、10分間の長時間にわたって胎盤を剥離し、出血を生じさせた。無理な剥離により、剥離面から次々に湧き出る出血となり、剥離開始15分後には5000 ml、16時10分には10285 ml、最終的には20445 mlもの大量出血を生じさせ、血圧を50弱/30弱まで低下させ、出血性ショックから失血死にまで至らしめた。これは基礎的な注意義務違反であり、その過失は重大である。

被害者は29歳であり、夫と三歳の第一子と暮らし、第二子の誕生を待ちわびていた。家族と共に充実した生活をおくっていた。ほんの短時間、生まれてきた女児と対面し、「ちっちゃな手だね」と述べたその後で、予想もせずその命を奪われ、家族は言葉をかけられないまま、二度と会えないこととなってしまった。子供を残して、何ものにも代え難い命を奪われてしまったのである。予期せぬうち、突然生を断たれた心情は察するにあまりある。それにも関わらず、被告からは遺族に対し示談や慰謝も講じられていない。さらに、公判で自分のとった処置が適切であったと被告が言っている事実からは、期待もできない。被告に対する遺族感情は厳しい。遺族は4時間経過した後で蘇生中であることを知らされ、被害者が失血死した事実を突然突きつけられ、悲痛な生活を送っており厳しい感情を抱いている。被告の発言に衝撃を受けた。亡くなって悲しい気持ちや長男が言葉で母親が死んでしまったことを理解するかと、心痛は察するにあまりある。幼い子を遺して死なざるを得ない母親の気持ちを思い子供を見ると不憫でこの思いは一生続くのであり、被告に重罰をと述べている。また、当時の心境として天国から地獄が当てはまる、来る日もつらい思いと言っている。言い訳をしても一人の人間の命が消えたことは事実であり眠れない日が被害者の家族に続いている。亡くなった命は元に戻らない。長男は「お母さん起きて、サンタさんが来ないよ」、と泣け叫んだと言う。被告は院内外の忠告を無視した、命を奪った被告が許されないと綴っている。遺族の思いは当然である。

被告は自己の責任回避で信用できない供述を行ったことに反省を示していない。過失の重要な事実について、血圧低下の認識、出血量の認識、胎盤の剥離困難、クーパーの使用目的など、捜査時に供述や遺族に対する説明とも変えて、信用できない供述をしているので信用できない。自己の責任を回避するため真摯な反省や謝罪が見られない。医師と患者の信頼関係の確保が強く要請されているのに、我が国の患者の医師への信頼を失わせる、事実を曲げる被告の態度は許し難い。

医師法21条違反について、被告は自身の過失により死なせたという異状死の認識がありながら、届け出を怠った。医師法21条は主旨から、医師が警察に協力すべきである。警察が本件を知ったのが3ヶ月も経った3月31日であり、事故調査が公表され、ミスが新聞で公表されたからである。24時間以内に捜査を開始できず、関係者の記憶の散逸、胎盤などが破棄されており証拠の散逸が起こってしまったが、これは届け出義務の不履行によって生じたことだ。

よって被告には厳正な処罰が必要である。医療は侵襲を伴い生命に影響を与える。産科医療は母児の危険を内包する。よって産科医は高度な注意義務を負う。医師は社会的な信頼、患者の安全を全面的にゆだねられ、重い責任が課されている。被告は安易な判断で医師に対する社会的な信頼をも失わせた。不十分なインフォームド・コンセントしかおこなっておらず、家族は帝王切開の内容を殆ど理解できず、死後の説明も不十分で遅れた。最悪の知らせ方が遺族の悲しみを増した。被告は大量出血も家族に報告できないと言いながら一方で、応援要請に対して応援を依頼する必要はないとしており不可解である。重い医師としての責任認識が甚だ乏しいとしか言いようがない。被告は地域の社会的な重責を担ってきたとしても、過失は重大である。

よって、求刑は、禁固一年、罰金10万円 とする。 」


27の傍聴席に171の希望者。
久々に高い倍率となった。
開廷を待っている時に論告が160枚あると聞かされゲンナリする。


私は福岡で用事があったので途中で休憩が入った時に中座したのだが
結局13時30分から18時22分までかかったらしい。
しかも延々朗読するだけである。
途中で枝番号がいくつも入るので
文書を持っていない身には追うのがツライ。
インタラクティブにならないのであるから
文書を提出して公開するのと実質的に違いはない。
つくづくセレモニーだなあと思う。


ただ分かることは、延々と同じことを繰り返していたこと。
それは
加藤医師も含め、起訴段階の供述が信用性が高いのであって
公判での供述は信用できないというもの。
とりも直さず、公判では検察にほとんどいいところがなかったということだ。


それから論告の中で加藤医師のことを極悪人のようにこき下ろしていながら
求刑がずいぶん「安い」ことにも驚く。
この中途半端さは一体何なんだろう。


全体の趣旨は論告の冒頭に述べられた、こういうことである。
検事
「公訴事実は、ア)福島県立大野病院に専門医として勤務していた被告は、平成16年12月17日、被害者の帝王切開手術において、児娩出後、子宮内壁に癒着した癒着胎盤を、クーパーを使うなどして無理に剥離し、大量出血により被害者を失血死させた業務上過失致死にあたる。
イ)被告人は医師法21条に定められた届け出を怠った医師法違反である。
しかるに、被告人弁護側は
ア)被害者の癒着胎盤は局所的であり、程度は子宮壁の5分の1の嵌入胎盤にすぎなかった。
イ)癒着胎盤の予見可能性はなかった。
ウ)剥離中止義務なく、クーパー使用も相当な医学的処置であった。
エ)死因は特定されておらず、癒着胎盤剥離との因果関係は不明である。
オ)被害者は異状死にあたらない。
カ)被告人には医師法違反の故意はなかった
キ)医師法21条は憲法違反である
から、被告人は無罪であると主張している。
しかし以下に述べるように、被告人の主張には理由がなく、業務上過失致死と医師法違反に該当することは証明十分である」。


「杉野医師の鑑定では、子宮後壁から前壁にかけての嵌入胎盤であり、程度は深く、広い範囲に及んでいた。杉野医師の鑑定力は十分で23年にわたり子宮胎盤含め病理診断をしてきた。杉野医師は可能なかぎり詳細に見て医大にあった10例の癒着胎盤症例の標本も観察し実際に鑑定書は適切かつ合理的である。弁護人は杉野医師の鑑定書は楔入(せつにゅう)とすべきところ(けつにゅう)と読み仮名をふったことから不適切と言うが、標本一つの写真の左右を取り違えたのと同様の単なる誤記である。弁護側は杉野医師の鑑定能力を否定するが、十分な鑑定力を有しているのは明らかであり、その信用性を否定するのはあまりに安易。杉野鑑定書は十分信用できる。

杉野鑑定によれば子宮後面と前面に癒着を認め胎盤剥離は困難であった。被告の検察官供述では、『用手剥離を開始したが、指が3本入らなくなり、2本、1本も入らなくなり、胎盤剥離を試みたが指が入らないのでクーパーを使用した』との供述によると、通常の胎盤剥離には1,2分で済むところ10分かかっている。岡村医師は被告が止血操作にとまどったと考えているが、その事実はない。剥離困難のためかかった時間といえる。広い範囲に癒着し深いことを示す。被告の検察官供述は信用できる。被告しか知り得ない事実を自発的に述べており臨場感がある。被告は検察官には確信的に胎盤の用手剥離が困難でクーパーを使ったと述べている。

麻酔記録は出血に関しては正確でない。胎盤剥離と同時に出血が増えたと見るのが相当。麻酔記録を根拠にクーパー剥離中には出血が少なかったとの弁護側の主張は不合理である。

関係者の供述でも剥離中に出血が増えている。H医師(麻酔医)の『湧き出るように出血していた』との供述は十分に信用できる。当時の記憶に基づいて証言したものと評価できる。医学界医療界からの心理的圧迫を受ける状況にはなく、また自らも被疑者として黙秘権の告知を受けて供述しており、わざわざ被告人に不利な証言をする必然性がない。一方で公判での供述は、内容自体が非常に曖昧であり信用性に乏しい。記憶の減退を主な理由に挙げているが、公判証言によって医学関係者から強い反響を受けることは明らかであり、強い心理的抑制が効いていたのは明らかだ。多くの医学医療関係者が注目していること、2回にわたって弁護側から事前に面談を求められ会っていること、うち1回は県立医大産婦人科教室の助教授が同席していたことなどから、被告人にとって不利益な証言が難しい。公判での証言の方が気が楽だと述べたが、そのこと自体、いかにも不自然であり、信用性が乏しい。

しかもミスと言えるようなものがなかったと証言しているが、H医師は本来専門外のことについて証言する立場になく、むしろ自己の供述により被告人を有利に導きたいとの意図があったことは内容・対応より明らか」


なかなか考察を加えられないでいるうちに
周産期医療の崩壊を食い止める会の方に、休憩後の論告の模様が紹介されましたので、M先生の報告をとりあえず引用させていただきます。

検事
「胎盤剥離継続の際に子宮癒着の認識をしており剥離を継続すれば大量出血をきたし生命の危険が生じることは予見可能であり、子宮摘出に移行する義務があったが、被告は剥離を中止せずクーパーを使用し漫然と剥離を継続した。
弁護側は剥離中止の義務はなく相当な処置であると主張するが、
1)子宮摘出を行えば大量出血は回避できた。
ア)剥離中止し子宮摘出への移行は可能である。術前検査で全前置胎盤と認識しており子宮摘出の可能性を認識していた。子宮摘出に移行できるよう体位を砕石位とし輸血を準備していた。看護師、麻酔医にも子宮摘出の可能性を説明してあった。
イ)術前より子宮摘出を認識していた。12月14日に被告は夫妻に不十分ながら帝王切開の危険性を説明し子宮摘出の同意を得ていた。胎盤の剥離困難となった時点で被害者は意識があり近くには夫も待機していたのであるから、子宮摘出の同意を再確認して摘出を行うことは容易であった。午後2時40分の時点で血圧100/50、脈拍110で麻酔記録では出血量が羊水込みで2000mlであるから、全身状態は悪化しておらず子宮摘出は可能であった。弁護側は子宮摘出術の実行は困難であったと言うが、田中医師の供述から胎盤が子宮に残存していても子宮全摘術は可能であり、被告は患者から子宮摘出の同意を得ていたのであり、剥離前に同意の再確認も可能であったのであるから、子宮全摘術が第一選択であった。もし子宮全摘の同意が得られなかった場合にも、胎盤剥離を中止し一旦閉腹し抗がん剤投与により子宮温存が可能であった。子宮内壁への胎盤癒着認識で子宮全摘を行っていたなら大量出血は回避できた。子宮後壁下部の胎盤剥離中に出血量増加は、用手剥離困難を認識した時点で動脈は開口されていなかったので、出血には至っていない。池ノ上医師の根拠は胎盤剥離を中止しても出血の可能性があったと主張するが、被告が用手剥離困難と認識した時点では出血はなかったのであり速やかに子宮摘出ができたから、胎盤剥離継続と比較しても出血量が少なかったはずである。剥離困難の時点で中止して子宮摘出に移行すれば剥離面からの出血も発生せず、癒着胎盤の認識で子宮摘出に移行することが医学的遵則である。
A)被告より押収した医学書には、無理な胎盤用手剥離は危険であると書かれている。大量出血の可能性が高いので、子宮全摘を行うと記載されている。弁護側が請求した医学文献にも、無理な用手剥離を行わずすぐに子宮摘出に移行すると記載されている。胎盤剥離の危険は大きかった。大量出血により用手剥離困難で癒着胎盤であると認識した時点で出血の予想はついたのであり、30分の間に7000ml以上の出血を起こさせており、合計20000mlもの大量出血が生じた。手術室には麻酔医はいても産科医は癒着胎盤を取り扱っていない被告のみであり、準備されていた輸血は5単位にすぎず、輸血を発注しても到着には1時間以上かかった。こんな所で被告が癒着胎盤の剥離を継続したら、大量出血により死亡させる蓋然性は予見できたのである。
B)一方で、胎盤剥離を中止子宮摘出が可能であり、被告が子宮摘出をしていれば被害者は失血死することはなかったのである。
C)よって、十分に剥離により出血死は予見できたので、注意義務違反である。被告も医学的遵則に反しているという認識があった。田中医師も癒着胎盤で剥離を中止すると述べている。鑑定では、被害者について、第5回公判で、胎盤の剥離を中止すべきであり、クーパーによる剥離は行うべきでなかった。癒着胎盤の診断がなされた時点で子宮摘出の準備と輸血の発注、患者の同意確認と、医師の応援を依頼しておけば、結果良かった筈である。本件を予見して処置を行う必要があったと証言している。田中医師は十分な鑑定能力を有し分娩数の経験も十分で、今も大学病院の周産期医療センター長として十分な経験と見識を持つ。弁護側は田中医師が産科の専門ではないと非難するが、癒着胎盤の頻度は低くても注意すべきということでどの教科書にも記載があるのだから、かかる事項の鑑定には産科の大家である必要はない。弁護側の岡村、池ノ上の両人の鑑定書は分量が田中医師の鑑定書よりも少なく結論のみが記載されている。田中医師の鑑定書は理論的明確性に勝っている。弁護側の非難は結論に重
きをおいているのみで失当である。
D)田中医師は十分な資料を分析している。H医師、M医師、看護師、遺族の調書も参照し把握した。資料から認定できる事実鑑定を前提に鑑定を行っている。事実経過に一致している。中立性が認められる。田中医師は被告当人とは利害関係にない。平成17年3月には産科医会学会から抗議声明が出されたが、田中医師はそれ以前の12月6日に中立の立場から鑑定を行い、被告の誤りを率直に非難している。公判でも証人として過失を認定する証言をしたので強い確信があるものである。田中医師の学識経験は十分であり信用に値する。被告は剥離を中止し子宮摘出に移行する義務があった。被告がクーパーによる剥離を継続したのは過失としか言えない。
E)予見により無理に剥離したことが過失であること。クーパーが問題であるのではなく、クーパーを用いなければ剥離できないくらい強く癒着していた、ということが重要な過失である。被告はこれを弁解し正当性を主張している。しかし手で剥離できず一連の作業の中でクーパーを使い、出血が生じないかも、と刃を閉じたようにして削ぐように剥離した。速く剥離使用として用いたなどと供述した。検察にはクーパーと用手剥離を併用した旨を供述していなかった。被告は1回公判ではクーパーを用いた理由は用手剥離ができなくなったからと言っていた。弁護側もクーパーを用いた理由については侵襲を減らす処置であると述べた。第5回公判では、剥離しずらくなったのでクーパーを併用した、丁寧に用手でできるところは用手で剥離した、クーパーより用手剥離のほうが速かったと供述した。この供述の変遷には合理的な理由はなく、自己の責任逃れの辻褄合わせでしかない。弁護側は被告の検察官供述は任意ではないと言うが、第1回公判から7回公判の間にも被告は供述を変遷させているのだから、被告は罪責を逃れるためだけに供述を変遷させているのであり、被告の検察官調書の任意性には全く問題はない。クーパーについて被告は操作段階では供述していないにもかかわらず、弁護側には話したと供述しており、これが弁護側から指摘されるのではなく被告人から出たのは奇異である。弁護側は主旨が変わらないと強弁するがクーパーの方が速度が遅かったというのは矛盾する。クーパーが用手剥離ができないために用いたという事実が認められないので、子宮剥離に時間がかかったのを認められず、説明を変えたというのが自然である。被告の公判供述は不自然であり、胎盤を出してからクーパーを手首に向けて、
というがM医師、H医師がそういう供述をしておらず、用手剥離できなかったということを否定しただけでありなぜクーパーを用いたかという合理的な説明を一切していない。どの位置に用いたかなど具体的な供述がなく曖昧である。被告は止血はかろうとしたというが、そもそも子宮頚部では止血困難であり、子宮下部に向けて剥離を継続したというのは不自然である。弁護側は弁4号証で子宮下部も胎盤剥離後収縮すると述べているが、この図は子宮の進展を図示したものではない。被告はクーパーによる胎盤剥離はほとんど剥離が終わってから使用したと述べたが、中山医師の鑑定書の癒着胎盤の範囲や、胎盤の写真から、用手剥離がわずかな範囲であることは明らか。以上より被告は自己の処置を正当化しようとしたが、論理破綻したのである。癒着の危険性を過小評価し軽く判断して安易にクーパーを使用した。遅くても癒着胎盤と認識し、大量出血を予見し、胎盤剥離を中止し生命の危険を未然に回避する義務があり、過失がある。
被害者の死因は出血性ショックであり被告の行為と被害者の死亡には因果関係がある。失血をもたらしたのは、癒着胎盤の剥離による剥離面出血である。死因は失血死である。
ア)平成16年12月17日午後2時55分に血圧低下し、午後4時30分輸血により血圧が上昇するまで、血圧は60/30、PR120であり、午後4時45分BP80/60、午後5時45分に100〜80/80〜50、PR140。午後5時45分血圧低下し6時に心室頻拍、心室細動になり、午後7時1分に死亡した。この間20445mlの出血があった。田中医師は鑑定で、大量出血による心室細動と診断し、カルテや術前検査から心筋梗塞はなく帝王切開中にショックとなり循環不全で心室細動としている。カルテの検討から大量出血以外からショックに陥ったとは考えにくいと言っている。他の部分も慎重に検討している。結論は十分に信用できる。被告も自らカルテや死亡診断書に大量出血による心室細動と書いている。手術記録にも癒着胎盤→剥離による大量出血→心不全と記載した。死亡診断書にも、ア.直接死因 心室細動、イ.その原因 出血性ショック、ウ.その原因 妊娠36週 癒着胎盤 帝王切開術 エ.その原因 不明 と記載している。心室細動と診断しており、H医師も出血性ショックによると診断している。死因は出血継続によるショックであり出血性と供述しているのと符号する。心室細動に陥る前に10945mlの出血があり輸血や輸液を考慮しても循環血液量の絶対量は不足していた。午後4時35分までBP 60/30、PR140が続き、循環血液不足が続くと末梢循環が阻害され悪い状況になる。1時間以上持続したことにより不可逆的なダメージが及んだ。ショックから回復できず失血死以外考えられない。田中医師は根拠をあげ羊水塞栓を否定している。胸部苦悶や呼吸困難の訴えはなかった。弁護側は池ノ上医師が、羊水塞栓も考えられると言うが事実関係を誤認しており、被告の責任回避のためさしたる根拠もないのに失血死以外を挙げているに過ぎない。被害者の死因は大量出血させた被告の剥離行為の中に因果関係がある。

田中医師は胎盤剥離面からの大量出血が死亡への因果関係があると鑑定した。手術経過の分析から出血性ショックは剥離による血管の切断端からの出血によると考えられるとして、因果関係を肯定した。田中医師は経験学識十分であり分析も十分に行っている。最終的に因果関係を肯定しており信用できる。被告も癒着剥離による死亡と断定しており、カルテに出血の原因から順を追って死因を検案し死亡診断書に記載した。被告は被害者の死後まもなくは出血性ショックが死因でその原因は癒着胎盤の剥離であると認識していた。弁護側の池ノ上医師の鑑定でも大量出血の原因は癒着胎盤剥離面からの出血としている。癒着胎盤の剥離で大量出血によるショックにおちいったと言っている。公判でも被告、H医師より、胎盤剥離中に大量出血をきたしたことが記録されている。大量出血は剥離面以外からは考えられない。継続的に出血があった。その他からの出血は考えられない。
産科DICは否定される。弁護側は産科DICも原因だと主張する。田中医師も産科DICを可能性として指摘しているに過ぎない。被告は手術中にコアグラを確認しており、M医師も被告ともDICを否定する発言をしている。第5回公判、7回公判では、DICと述べているが、その根拠は出血量が多いことのみであり、胎盤を剥離したら出血量が増加するはずなので、DICであるから出血量が増加したのではない。池ノ上医師によると、DICであるのにさらに剥離を進めたとするのは不自然である。DICの原因も癒着胎盤を無理に剥離したもので、因果関係を否定されるものではない。胎盤剥離と死亡との因果関係は明らかである。
弁護側証人である中山医師によると、癒着胎盤の範囲は狭く浅かった、かつ被告人には癒着胎盤の予見可能性がなかったので剥離は妥当な処置であると主張する。池ノ上鑑定、中山鑑定は、鑑定が信用できない。中山医師によると癒着胎盤の部位は後壁の中央の右側のみであり深さは5分の1程度であったと判断するが、中山医師は鑑定資料を十分に観察せず結論ありきであり信用できない。子宮の鑑定書では、胎盤の癒着範囲、分葉胎盤あるいは膜様胎盤と呼ばれるもので子宮後壁に付着し、顕微鏡観察でも絨毛が広く観察できることから膜様胎盤と矛盾しないと述べている。深いところで子宮筋層の5分の1程度の嵌入胎盤であると述べた。1ヶ月後の8月28日に鑑定書の追加を作成し、出廷し結果を供述した。絨毛組織はばらけやすいため手術時には絨毛は破壊されアーチファクトの可能性がある。分葉胎盤では脱落膜の欠損が明瞭で胎盤の写真、卵膜絨毛組織をみると子宮前壁に癒着はなく絨毛のところは癒着があったと考えられない、後壁下部に癒着があると述べた。癒着以外の絨毛を観察し癒着とは言えないと述べ、前壁のXX-27は頚管部の可能性があり、糸の周囲は古くない、中山医師の鑑定が不十分であると述べた。しかし鑑定経過をみると6月に弁護士から連絡を受け、写真とカルテで意見を述べ、8月18日に標本の観察を午後1時から4時50分まで行い、顕微鏡写真を作成した。どれだけ時間をかけたか不明と述べ
た。鑑定書の追加を弁護側から頼まれた際には直接標本を見ないで写真の観察をし、追加鑑定は自分で行ったと述べたが中山医師本人の証言でも、子宮の鑑定では直接鑑定するほうが有意義であると述べている。しかしわずか4時間弱の時間に40枚の標本の観察や多くの作業をしたと述べており、観察の時間は短い。追加鑑定で改めて直接観察もしていない。多数の診断を行っている中山医師が一年前に観察したものを覚えているとは思えない。50〜60枚の低倍率の写真は制度が低く、プリントアウトは直接観察に比べて精度が低い。癒着胎盤の程度はあくまで写真で鑑定しており、撮影条件でも変わるものなのでその正確性に問題がある。脱落膜欠損の範囲を胎盤の母体面側に楕円形で記載しているが、公判で主張した範囲は鑑定書のそれより狭い。確たる理由もなく範囲が変わるのは写真による鑑定の困難性を示している。そうでなければ杜撰であるとしか言いようがない。XX-20で中山医師は特定し公判のときには鑑定書と違う意見を述べたのは、写真の使用が限定的ということでしかない。脱落膜の存在範囲と顕微鏡観察で楔入を認めたとする後壁下部の部分が一致してしまい不自然である。胎盤写真を殊更に重視する中山医師の鑑定は不十分である。前壁には癒着がないと言っているが、前壁に脱落膜がある根拠とはならない。脱落膜が観察されている後壁について楔入といっているのだから、あてはまらない。内側が滑らかと言っているが前壁が滑らかというのは子宮頚部に近い写真であり、杉野医師の鑑定でも癒着がないとした部位の写真であるので不適切である。中山医師は顕微鏡を用いて退化壊死絨毛をアーチファクトとしているが、恣意的で合理性に欠ける。絨毛は胎盤形成しなかった絨毛は退化消失し&いる。
妊娠末期には絨毛は退化消伺クするのだから、この件で絨毛が退化壊死しているのは当然である。中山医師は絨毛の退化壊死は胎盤付着がなかったということを前提に胎盤付着の可能性を前壁について考慮していない。全前置胎盤であったことからアーチファクトの可能性よりも前壁で絨毛が存在していると言えないと、中山鑑定はアーチファクトを過大評価している。それならすべてアーチファクトであるべきである。アーチファクトの可能性は当然当初から考えていた筈なのに、当初の鑑定書では言明せず追加の鑑定でアーチファクトを述べるのは不自然で疑問を生じさせる。子宮前壁に癒着がなかったという結論を導くための方便であり癒着胎盤の否定にはならない。XX-27は子宮頚管部ではない。
27は絨毛をアーチファクトとしているが、杉野鑑定書は子宮を縦に切り39ブロックに分割し左から2番目のBの下部にある。前面の写真で標本27は一目瞭然である。中山医師は8分間、Dの下の三角形が連絡する甲6号証は連続性が明らかで三角形は違うところと連続している。子宮前面下部はXX-27、31がみられる。
27,31は体部と考えるのが自然である。27が頚管部なら31にも頚管部で胎盤が存在する筈である。しかし31は楔入胎盤としている。絨毛かと認定できる高さと同じであり、27と高さが同じ標本は体部であり楔入としている。27だけ頚管部とするのは拙速に過ぎない。当初の鑑定は頚管部である。追加では改めて観察もせず信用できない。27は頚管部ではなく体部であることは明らかである。27の癒着を否定するにはアーチファクトを言わざるを得なかったことであり、27は絨毛のときは手術手技であってアーチファクトの可能性は低い。27では癒着がないとしているが、子宮体部なので体部に胎盤が癒着していても不思議ではない。27については体部であるから、絨毛が一カ所でなく複数で観察されている。アーチファクトとは考えにくい。27は前回帝王切開創の糸である。中山医師が前回帝王切開創でないと言っているが、27が子宮体部であり帝王切開創として矛盾市内。彎曲部の連続性からも推測できる。コラーゲン繊維ができる27の周りはコラーゲンである可能性から今回の帝王切開創でなく前回のものであ
る。中山鑑定では嵌入の程度は顕微鏡観察と肉眼観察で5分の1と供述している。割面で再現した計測には誤差が大きい。胎盤と筋層を特定しているが、公判では20の癒着を特定する際に誤っている。収縮の違いで収縮前後で変化するため、嵌入胎盤はもともとは特定しがたい。中山医師も認めるとおり、基準線は大まかで実際より浅く計測される。中山医師による計測は幅が大まかなもので杉野医師の厚さの比較によらないものの方が正確である。田中鑑定、池ノ上鑑定では写真に精通していないだけで5分の1を越えている。中山医師は深いXX-22が嵌入部の子宮壁が薄いのは明らかである。結果には合理性が乏しい。中山鑑定には中立性正確性が乏しい。中山医師は周産期学会と関係が深い。学会からも抗議声明が出されている。鑑定結果には資料が不足している。一定の結果を推測のもとにかかれており、追加鑑定の前にも変遷がある。中山医師は追加鑑定の際に弁護側の補助を受けている。27の癒着を否定するため、頚管部と言っているに過ぎない。嵌入はあるが5分の1とした鑑定資料を十分に検討していないので信頼性に乏しい。
岡村医師の鑑定は公判では術前検査の鑑定を行った。第9回公判に出廷し、術前診断では癒着胎盤の診断は難しい。超音波検査の診断割合は33%、所見、MRIは超音波検査を上回らないと述べた。6月15日に超音波検査で胎盤は後壁付着で前壁には低い位置であり、12月3日には後壁で、血流は認めるが癒着胎盤ほどではない、12月6日に癒着胎盤の可能性は低いと診断したと、MRIは行う必要がないと診断したと述べた。手術中の予見可能性については、用手剥離は納得出来る方法であり剥離困難な場合も、臨床的癒着胎盤とは言うが胎盤を剥がさなかったことはなく、癒着胎盤と思わなくてもやむを得ない、剥離困難だと予見できる余地はなく、剥離を途中でやめても出血が続く。クーパーを使うことについて、クーパーには色々な使い方があり自分も同じである。岡村医師の証言は信用しがたい。前回帝王切開では高い頻度で癒着胎盤を認めるが、岡村医師の証言でも前回帝王切開創に胎盤がかかっている可能性は否定されていない。リスク因子があり、根拠がなければ可能性は排除できないのであるから、確定診断ができないからといって、否定もできない。擬陽性もあるが、確定的にあるとも診断できないかわりに、ないとも診断できない筈で、術前に癒着胎盤がないのは診断できないはずである。被告がその可能性を排除しているとすれば過剰診断である。超音波検査は写真からの判断は難しいのに数枚の超音波検査の写
真で癒着胎盤が言えないというが、あくまで癒着胎盤は写真にはないというのみである。岡村医師はあれば被告は写真を撮っただろうと言っているが、これは被告が十分な知識がある場合のみである。岡村医師は超音波写真だけでは診断不可能と言いつつ超音波検査から可能性がないと言っている。これは被告の高評価は単に過失を否定するためだけのものである。血流(+)も癒着胎盤ではないと言うが、癒着胎盤があれば血流豊富であり癒着胎盤の可能性を疑う筈である。慎重であれ0疑って当然であるから、疑っていないという推論を導きたかったのが明らか。嵌入胎盤は再三超音波では予見できなかったというが、岡村医師の超音波の回数はさしたる根拠がなく見つからなかったと言っている。MRIについては自らの教科書では癒着胎盤の診断に有用であるとしているので証言は客観的ではない。岡村医師は手術経過については、前提とする記憶が癒着の程度が浅かったということなので弁護側が間違えた前提条件を与えている。
被告は胎盤下部から出血があったとしている。被告は後壁下部から進めているが、用手剥離の際には下部はまだ剥がれていないので前置胎盤の出血だと考えるのは間違いである。被告の主旨がかかる事実は不利な鑑定を避ける岡村医師の鑑定は信用できない。杉野鑑定では前壁にも癒着があり後壁にも広い範囲で癒着があった。岡村鑑定では中山鑑定を前提にしており専門家であっても前提が違う。嵌入、穿通は通常の胎盤に比べ剥離しやすさは困難となる。この困難性を癒着胎盤の診断に考慮しないのはおかし。困難性を認めないのは前置胎盤と癒着胎盤の出血量の違いで診断するというが剥離困難性を考慮していないのはおかしく不適切。処置の前提が実際の事実と違うので鑑定の結論が違っても仕方がない。実際には癒着胎盤の剥離は胎盤下部が剥離されていないので妥当ではない。被告の剥離方法を認識していないのでかかる鑑定には意義がない。
リンパ節剥離にクーパーを使用するからといって胎盤癒着の剥離が妥当ではない。岡村医師はクーパーを使ったことはないのに被告のクーパー使用の有用性を認めたのは不自然である。警察からの鑑定を断り周産期学会として福島県立医大の佐藤教授から聞き取りなどして、十分な根拠に基づかず被告を擁護するものだ。中立性正確性は期待できない。被告に偏りすぎる。過失否定の鑑定を成立させたのみである十分にわかっていないのに結論ありきであった。
池ノ上医師は被告の手術について鑑定書、追加を作成した。鑑定では術前診断は困難である。また超音波検査の診断は16例中13例で組織的な診断は7例、所見が揃うと癒着胎盤の頻度があがるが診断は困難。12月6日の超音波検査の血流も癒着胎盤の所見ではない。出血の予見性はない、以上血管からの出血が止まらないので臨床的に剥離をはじめたらやめることはできない。用手剥離を終了したら出血が持続したままで剥離中止は出血を止めることにならない。用手剥離中止は出血を止めず、現実的には予測不可能である。剥離を速やかに終了して子宮全摘に移ることが多い。途中で剥離を中止しないのは胎盤剥離で出血が止まる期待がもてることと処置のやりやすさを挙げた。クーパーの使用は問題がなく、使用はありえる。死因は輸血再開のときに心室細動に至っており死の転帰は稀で関与は特定できない。Hbが7.4であれば通常の管理なら普通死に至らない。池ノ上医師は超音波検査は被告は前回帝王切開創に癒着胎盤の可能性を認識困難だと言っていた。超音波検査は写真に癒着胎盤が見あたらないだけで
超音波検査で実際癒着胎盤を確認したかは言えていない。本件手術宙、池ノ上医師の鑑定の前提は事実と異なる。岡村医師同様、弁護側からの事実に沿っており癒着の場所深さが事実と異なる。池ノ上医師は癒着胎盤の診断は総合的だと述べている。胎盤の剥離困難かどうかは重要ではないと言っている。癒着困難で診断を行わないのは剥離困難性を問題にしていないだけである。後壁については前壁に発生しやすいという一般論をあてはめているだけであり、剥離を続けたいときに予見可能性と言っている。本件で剥離中止時の大量出血は予測不可=と言っている。池ノ上医師も5例は最初から子宮を摘出しており、これを被告が知らない理由はない。池ノ上医師の前提とした事実関係は実際と違う。
処置を検討しても意味を持たない。癒着の範囲は局所的としているが実際に中山医師の鑑定通りではなかったので本件に即した形で行っていない。被告や被害者の状況を認識していない鑑定で意味がない。池ノ上医師は剥離を始めたら最後まで剥離を完了させるのは当然と言っているが、しかし癒着胎盤は剥離により大量出血をおこし止血が困難である。前記のとおり、教科書にも癒着胎盤が記載されている。池ノ上医師は剥離を継続するというのは個別性を考慮せず一般論で言っている。剥離は収縮による止血、中止しても出血が少なくならないと言っているが、もともと癒着部分は筋層が薄いため子宮収縮も不良で、前置胎盤は子宮収縮しにくく、剥離を完了すると大量出血が起こるのだから、胎盤付着のまま子宮摘出は十分に可能である。中止しても出血量が少ないとは限らないと言うが、無理に剥離した際の大量出血の危険性のほうが、剥離中止の出血の持続よりも高い。中止しても出血が少ないとは限らないとするのは乱暴である。剥離完了の理由にならない。被告は用手剥離困難のところまでの時点で十分な人手を集め剥離の大量出血を避けるには剥離を中止し、子宮摘出に移行しなければならなかったのは明らかであり、被告を有利にしようという鑑定人の姿勢の表れである。前提が曖昧なので鑑定に意味はない。弁護側は証人に幅を与えた質問をしており、弁護側は出血量や血圧、脈拍を提示し子宮摘出を言っているのは、後方視的なもので弁護側がいつも非難してるやり方である。
クーパーの剥離と、他のところで用いられるクーパーの剥離とは別物で、胎盤剥離をクーパーで行った行為を正当化するものではない。胎盤剥離をクーパーを用いて行うことがあると証言しているが、証拠がない。池ノ上医師の証言では全身状態と符号しない。心停止は輸血開始後1時間たってからで、循環血液量不足以外の関与があると言っているが、事実関係を誤読して鑑定しているので被告に有利な結論を出すための鑑定である。Hb結果の数値は正確性に疑問とH医師が述べており、池ノ上医師は都合の良い数値を出しており中立性が少ない。被告の過失がないことの権威付けに過ぎず客観性に乏しい。十分に根拠なく学会の人から聞いた意見をもとに鑑定し、原資料に当たっていない。池ノ上医師が学会権威として被告の過失がないという鑑定を出すだけである。当初から結論ありきである。双葉厚生のK医師は公判時に被告の正当性について帝王切開時細心の注意をはらい、刃を閉じて削ぐなら良いと答えたが、信用できない。被告に不利になる証言はんしない、医局が同じで医療関係者が傍聴する法廷では、強い反対意見が出せない。社会的な注視の中で公判での供述を求められ学会の見解に反して被告の過誤を認める供述はできない。被告に対する好印象を明らかにし、自分が行っても何もできなかったかもしれない、クーパーは刃を閉じた状態でなら、と被告に沿う発言をしているが、検察の供述では、クーパーについて違う供述をしている。公判の供述は曖昧で矛盾する。用手剥離しても出血は止まらない。剥離後の大量出血を供述しながら、剥離を始めたら完了するしかないと特段の考察*く供述し矛盾している。K医師は指先の感触はクーパーを通しても感じることができる、と経験がないという一方で弁護側にそう主張した。被告の取り調べ時にはクーパーで切ると認識していたと言っている。一年してから検察とあって削ぐと認識したと供述している。甲15号証はペアンで剥離したと書かれており、K医師はクーパー使用について検察官調書から削ぐとして認識していたのは明白である。もっともらしく印象づけるため虚偽の認識を述べているので公判供述は信用できない。被告に沿うため事実と違う供述をしているので信用できない。
被告押収の医学書の執筆者の意図を弁護側は提出している。医学書の執筆者は本件被告人の過失なしと回答している。自己の意図と乖離していると回答している。医学書の意図には執筆者の意図が忠実に伝わるように書くべきで「自己の意図と乖離している」というのは奇怪としか言いようがない。どの執筆者を見ても、自己の意図と乖離としている。甲15号証で「前置胎盤は・・・癒着胎盤となり、無理な剥離は危険で子宮全摘となることが多い」としており、通常は子宮全摘と読む。しかし執筆者は状況に応じてであり全摘は胎盤が剥がれるとき以外である、と言っている。本件の事実関係については、弁護側は本件患者は子宮温存の希望あり癒着の所見は術前検査でなかったと誤った事実関係を前提に紹介している。この前提が実際と異なる。よってこの著者達は本件と異なる事実により意見を述べているだけである。著者は全て産科医師であり、学会員で抗議声明を出している。弁護側の協力の願いの中で意味が異なると書いている。暗に要請している依頼文章なので一定の方向を求めているのは容易である。実際の操作や検査がわからないなりに懸命に述べているだけで被告の行為は正当されない。
付着部位が部分的であるときZ縫合を行うと記載しているが、弁17,18号証では、同じ効果は部分的と記載している。しかしfocalは局所的と訳すものであり、本件では局所的でないのであわない。若い患者で挙児希望があり局所的な癒着以外は子宮全摘と記載されている。癒着胎盤と認識したら直ちに全摘であ
る。医師に裁量権があると弁護側は言う。医師の裁量は認められるが合理的には限度ある裁量である。医学的遵則は法的にもそうである。一般的水準は医師を取り巻く条件や専門知識に影響を受ける。行為は患者に対して良心的かどうか、必要性や緊急性、結果の蓋然性が重要である。
用手剥離の際、癒着胎盤を認識したので、それ以上剥離すれば剥離面からの大量出血が予期できた。人員や準備した輸血の量から失血死の可能性は予見可能である。剥離中止によりそれらは回避できる。しかし剥離を継続したため医療遵則に反した。岡村医師ら弁護側の主張は不合理である。
以上、本件の癒着胎盤に関する認識と胎盤剥離が死亡に至ったこと、胎盤剥離中止すべき遵則に反し、剥離面からの失血死を招いたことは明らかであり、業務上過失致死である。

医師法違反については弁護側は異状死に該当しないと言っているが、被告弁護側には理由がない。
1.被害者は失血死である。
2.失血について被告人は心室頻拍から心室細動に至ったと認識した。12月17日18時30分、家族に説明するために手術室を出た被告は更衣室で院長に会い、やっちゃったと述べた。死亡確認し縫合処置を行い、検案を行った。胎盤剥離からの失血死、そう記載した。出血性ショックであり記録にも剥離面からの大量出血と記載した。20時45分に家族に説明の際にも胎盤をはさみで剥離し出血量が増えたと述べた。午後10時30分頃院長室で手術の説明を行った際に、胎盤剥離の際に剥がれにくくクーパーを用いて剥離したが、癒着胎盤で出血多量となったと説明、院長から過誤がないかと聞かれ、クーパーのところが気持ち的にはひっかかったがクーパーは良くなかったかもしれないと感じていたが、過誤はないと報告した。警察に届け出は行わなかった。院長については病院マニュアルの届け出にあたらないと判断し届けなかった。院長は専門外であるから被告人の過誤なしという返答から判断したのであって、後に調査委員会で3人の産婦人科専門医から器具を用いたための出血と言われ過誤との疑いを強く持った。本件は被告に届け出義務があった。被告人によりクーパーの無理な剥離が行われた。本件の死因は異状死であるのが明らかである。
2)4)5)で述べたように被告は当然認識をしていた。届け出義務も認識していた。本県当日まで特段の合併もない健常者であったことは被告も認識していた。用手剥離後剥離困難となりまもなく胎盤が癒着して指が入らなくなり10分感にわたりクーパーで削いだり切ったりして剥離を行った。クーパーで剥離し
た範囲から広い範囲に湧き出るような出血があり5000mlの出血も認識していた。他の死因の可能性についても剥離以外の出血を確認したが出血はなかった。子宮摘出による出血はなかった。羊水塞栓や心筋梗塞も検討したが出血性ショックと考えた。H医師の意思を確認し判断した。死因は被告人が検案し剥離
に長時間かかり器具を用いた無理な剥離を行ったと被告が認識をしていた。つまり異状死と認めていたのは明白である。被告が届け出義務を認識しながら届けなかったのは同法違反である。
3)弁護側は主張について、死因は癒着胎盤であるから異状死ではない。被告は適切な行為であった。届け出を院長と相談し過誤でないということで厚生労働省リスクマネジメントのマニュアルに従って判断したのだ。また医師法21条は憲法31、35条に違反していると主張している。弁護側は癒着胎盤の疾病によるといっているが、癒着胎盤の発症で死亡するものではないことは明白であり、剥離からの大量出血は過失行為による失血死であり前提を誤っているため失当である。異状死の認識をしていながら医師法違反の認識はないというのは、無理な剥離に惹起されているのを明らかにして無理な剥離について当然認識していたはずである。被害者は手術前には何らの病気がなく被告が検案し直接死体を検案し、届け出義務を認識していた。検察に対し癒着剥離部以外の出血がなく過誤なしと答えたがクーパーが気持ちでひっかかっていたと供述している。
過誤がなかったのでリスクマネジメントのに従った点。S院長は院内マニュアルは当然、産科は専門外で過誤ないという被告人の発言を受けマニュアルに則り判断に至ったに過ぎない。3名の専門医の知見を知ってから過誤の疑いを強く持つようになった。なので院長の発言は被告の誤った発言や判断をもとにするので失当である。被告は本人が警察に届けることを認識していて院内マニュアルを知らなかったのであるから弁護側の主張は当たらない。リスクマニュアルも異状死なので失当。弁護側が21条が憲法違反と述べている。最高裁判所でも21条によって警察に届け出ると認定している。業務上過失致死のときも届けるものは憲法38条に違反しないと明確に判示されているので弁護側の根拠はない。用件を解釈できないと明確性がないので違反というのは、異状が抽象的だが一般的で日常的に用いられており普通とは違う意味であるので、普通の判断力を持てばわかる用語である。立法当時はしたい殺人業務上過失のものがあり捜査官に犯罪の発生につき医師に司法警察の協力を要請したもので、異状であれば直ちに届け出義務を課したものである。一般人に読み取れない内容とは考えられない。21条は病理でなく異状な痕跡、経緯、身元諸般の事情を含むと判示したものである。判断基準は読み取りうる」


最後に総括。MRICにも配信したのと同じことだ。


ここまで罵倒しておいて、しかしこの求刑の軽さ。どう解釈すべきか。

 一般常識的な解釈としてあり得るのは、検察が加藤医師の罪を軽いと考えているか、検察が今回の公判そのものを誤りと考えているかだろう。この解釈に立てば、そもそも公判取り下げをせず求刑すること自体、許されないのではないのか。それを許されると考えているとしたら、司法の一般常識との乖離は、医療と一般常識の乖離より大きい、と言わざるを得ない。

 この事件を契機に厚生労働省が設置へ邁進している医療事故調では、「故意もしくは重大な過失」による診療関連死は、警察へ通知が行われ刑事処分相当として扱われることになっている。

 1人の医師の運命と1地域の周産期医療をメチャクチャにした(それが結果的に全国に波及したが、それはともかく)ことを『診療関連死』になぞらえた時、誤りに気づきつつ求刑まで行ってしまったということに(そうとしか考えられない)、「故意」も「重大な過失」もないのだろうか。検察がそれで何のペナルティも受けないのなら、医療界にのみ自浄作用を求めるのはダブルスタンダードというものだ。

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