誌面アーカイブ

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養老孟司×中川恵一の現代ニッポン人論

2006年1月号からの4回連載。

(養老孟司)1937年生まれ。東京大学医学部卒。解剖学者。北里大学教授、東京大学名誉教授。「バカの壁」(新潮社)ほか著書多数。
(中川恵一)1960年生まれ。東京大学医学部卒。東京大学病院緩和ケア診療部長。放射線科助教授=記事掲載当時。養老氏の東大時代の教え子。

中川 いま、がんの診断が二元的な感じになっていますよね。がんか、がんじゃないかという。でも、それはちょっと間違っている可能性があって。

養老 イエスかノーかの話になっていますけど、実は生き物ってイエスでもノーでもないから。その中間なんですよね。しかし、アバウトな返事は許されない。

中川 たとえば、がんではないですが、悪性リンパ腫って病気がありますでしょう。でも、なかには抗生物質で比較的短期間で悪性腫瘍が消えちゃう悪性リンパ腫だってあるんです。

養老 悪性じゃない。

中川 臨床医学やがんの医療には、まだまだ考えなければいけないところがありますね。

養老 臨床研究に限らず、基礎研究でもそうですけど、そもそも一人一人違うものを、一括して扱おうということ自体がおかしい。たとえば昆虫だって、多い人で三千万種、少ない人で五百万種と数えるぐらい大変な種類があるのに、それを我々は一言で「虫」って言うんです。

中川 悪性リンパ腫と同じですね。

養老 現代社会というのは、全部をひとつにしようという世界だから。でも、そこにずっといますとね、非常に苦しくなりますよ。それをストレスとかいろんな言葉で呼んでいるわけで。生物の「多様性」って一言で言いますけど、その言葉自体が"ひとつにしちゃおう"という態度なんですよ。それが有効だった時代ももちろんあるんですよ。でも、がんには極めて有効ではないというか。

中川 そうなんですよ。がんがそもそもひとつとして同じではない。脳から肺、胃、肝臓と全身に多数の転移がある乳がんの患者さんがいて、抗がん剤治療をやったら、肺はみるみる小さくなった。ところが肝臓はどんどん大きくなるんですよ。ですから、そこにいる癌のDNAの突然変異が起こっているってこともありますが、そのがんが今どこに今いるのかっていうことでも違ってきますね。

養老 はい。置かれた環境によってがん細胞が変化することはいくつも症例がありました。

中川 でも、現実にはなかなか難しいところもあります。テーラーメイド医療にしても、ちょっと何か違うような気が。

養老 それはね、とっても難しいと思う。もっと根本的に言えば、単純な事に興味がないと、今の科学の世界では、やっていけないんです。つまり、単純化しないと説得性がないんですよ。

中川 今の科学の世界では、"単純化しないと説得性がない"ことになっているというお話ですが、私もそう思います。ただ、複雑なことをやっていても、寿命が足りるのかなとも思いますよね。

養老 そう、足りないんですよ。だけど、僕がひとつ言いたいのは、根本的に生物の「システム」への理解が欠けているってことなんです。だから、外に出ようとする雀がガラスに何度でも頭をぶつけちゃうようなことばかり繰り返している。それは政治や経済も同じですよ。たとえば、たとえば、帰化動物の問題なんて、ずっと議論してるのはご存じでしょう?

中川 ええ、そうですね。

養老 ブラックバスだって、あんなものいたら困るからって、徹底的に駆除しろって言う人がいる。駆除するとなれば、おそらく官庁が毎年予算を出す。でも、きっと永久に予算を出し続けないとブラックバスはいなくなりません。そして、"金が出る"という事の方がだんだん中心になってくる。要は、生物というものを間違って見ているんですよ。システムとはそういうものなのに、いったんそこで駆除事業みたいなものを立ち上げたら、最後までずーっと行っちゃう。

中川 がんもそういうところがありますね。

養老 がんの多様性も、ある意味、そういうものでしょ。しかも、自分が作っているんですから。そうすると、人体をひとつのシステムとして見た時に、がんをどう位置づけるかという問題が出てくる。人体で起きている現象について、もっと上手に見る方法があるはずなんです。

中川 先生が著書の中で「がんは老化の一種である」と書かれていましたが、実はその概念、僕は初めて出会ったんです。時間が経ってがんの細胞分裂の回数が増えてれば、がんになる確率も当然上がるという意識はありましたが、老化と言われると非常に楽になりますね。たぶん、昔は多くの老衰の方にがん患者が含まれていたんでしょう。で、今はそこに治療行為が加わって、"寝た子を起こす"みたいなことになった。

養老 それも、システムの問題でしょう。前に、メダワーっていうノーベル賞ももらったイギリスの免疫学者の議論をまとめたものを読んだんですが、彼は「人類からがんをなくす事は可能だ」って言う。どうすればいいかっていうと、老齢になってがんができるんだから、結婚年齢を可能な限り遅くすると(笑)。要するに、がんの発生に関して自然淘汰をかけちゃえばいい、と。非常に長い時間がかかるでしょ。論理の遊びとして言っているんですが、これは明らかに"老化すればがんが増える"ってことを前提に言っている話なんですね。

中川 僕らは患者さんと毎日話すんですが、いま、みなさんが心の問題に戻ってきているような感じがするんです。"諸行無常"の感覚は、日本人の集団的無意識には残っているんでしょうか。

養老 僕は当然あると思いますよ。早い話、「バカの壁」が売れたのも、あれの基礎にあるのが仏教ですからね。仏教思想は日本人に強い影響を与えたんですけども、日本人って面白くてね、それを本当に自分のものにしちゃうと、逆に仏教思想だとは思わないんですよ。

中川 なるほど、そうですね。

養老 平和と民主主義とか、個人とか、そういうものは要するに建前として置いておく。諸行無常は、日本人にとって実は当然のものなんです。日本人がよく「自分は無宗教です」って言うけれど、あれは典型的な「無の思想」ですよ。般若心経の二百何十字の中に、「無」って言う字がいくつあるか以前数えたことあるんですが、21ありました。一割が「無」ですよ(笑)。自分が「無宗教です」って言っているときに、実は仏教思想を根本においているって言うことに気づいてない。

中川 無宗教ではなく、無思想。

養老 そう。たとえば、イスラム教徒は豚を意識的に食わないでしょう。日本人は蛇を出されると、人間の食うものじゃないって言う。宗旨として蛇を食わないことにしているから、っていう風には言わないんですよ。だって、食おうと思ったら食えるんですから。そこが有思想と無思想の大きな違いで、それが理解されないのは私は当然だなという気がする。なぜなら、世界の大部分は有思想なんですから。

中川 もうひとつ、患者さんと接していて思うんですが、いまの日本人は「自分は死なない」と本当に考えていますね。でも、意識から死を排除している患者さんに対してがんの治療をするのは、実は非常に難しいんです。がんの場合、初回の治療がかなり大きなウエートを占めていて、おそらく95%以上がそこで決まります。でも、根治、非根治っていうのはしょせん相対的なものでしかないんですよね。

養老 人間の死亡率は100%なわけだから。

中川 そうなんです。ところが、そのことになかなか患者さんも医師も思い至らないので、亡くなる直前まで根治を目指すという不幸なことが行われているんですね。その根底には、やはり死生観というか、"そもそも俺は死ぬんだ"って思うことが欠けている気がするんです。特にゲーム世代なんかは、画面の中でしか死を見たことがないですよね。

養老 リセットだもんね。

中川 いま、人は病院でしか死にませんでしょ? そうすると、若い子は病院に来たがらない。場合によっては、自分が死ぬまで死体を見る機会が一度もないっていうことだって。

養老 病院は死ぬ人が行くところだっていうことになってしまう。そこに極めて新しい差別が生まれていると、僕は思っています。

養老 解剖をやっていてしみじみ思うのは、人間の体は、全体がぼろぼろになっていくのがいいんです。車だって、ガタガタになっているのに立派で強力なエンジンをつけたら全部分解しちゃうでしょう。

中川 がん治療もそうなんです。ぼろぼろになりつつある体なんだけれども、がんについては「取りたい、なくしたい」というアンバランスな部分があって。

養老 それは、いまの人の潔癖性と結びついているんですよね。

中川 ええ、そう思います。

養老 "正しくありたい"っていう気持ちは人間には必ずあるんですけど、正義っていうことを振りかざすと、必ずまずいことが起こってくる。悪に対する潔癖性がアメリカにはありますけど、あれが極めて迷惑でしょう。それと同じで、がん細胞があったらとにかく気に食わない。

中川 医者にいくら「放射線治療いいですよ、もっとやりましょう」と言っても全然変わりません。本当に変わりません。

養老 おっしゃる通りで(笑)。

中川 緩和医療もそうです。患者さんが痛くてつらそうだからモルヒネを飲んでもらいましょうと言っても、俺はいやだ、あんたが説得しろ、と言われてしまう。でも、モルヒネで痛みをとると、長生きできるのですけどね。実際には、患者さんは、モルヒネを飲むと寿命が縮むといやがります。ですから、患者さん側がやっぱり変わっていかないと。

養老 僕も全くそう思います。世の中の人の考えを変えなきゃ、学問は変わらない。

中川 潔癖で、体になんの問題も作りたくないという気持ちはわかるんですが、そうやって治療法を間違って選んだり、結局は不幸になるんですよね。でも、それを我々が説得しても、その人は無意識にその生き方を選んでしまっているわけで。集団的無意識というか、ムードっていうものを変えていくために、「人間は必ず死ぬんだ」ということをわかってもらうにはどうしたらいいんでしょうか。

養老 実は僕、それで人体の展示をやったんです。僕が「日本人って捨てたもんじゃないな」っていつも思うのは、ああいう展示をやると、世界に類を見ないほど人が入って、しかも黙って見ているんです。あれを外国でやると、コントラバーシャル(物議を醸すもの)だって言いますよね。でも、日本だとあまりそうはならない。

中川 死体に、個性や本人性を見ないということでしょうか。

養老 日本人が自然に親しむというのは、まさにそういうことだと僕は思っています。これだけ文明化しても、土に還るとか、自分が自然の一部であるということを、暗黙のうちに引きずってきた人たちじゃないかという気がする。つまり、あるところまでは田舎者だった。ところが、今は危ないなと思っています。それこそ、もっと白黒はっきりさせる、潔癖性を出す、と考える人が必ず出て来るなと思っておりますから。

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