日常に戻るのは早い
福島県立大野病院事件が終結して
現場の医療者たちが元の日常へ戻っていく
そんな流れのようなものを感じます。
日常だけでも十分忙しいんだから、ということでしょう。
私自身も、しばらく若干の放心状態に陥ったので
心情的には非常によく分かります。
でも
あの事件を生んだ背景としての医療不信はまだ根深く残っています。
以前も述べたように
医療界の反省と自浄性発揮がなければ、また同じようなことが起きます。
それは決して私1人だけが感じていることではないという証拠
「患者側」の人ばかりが言っていることではないという証拠に
昨日のシンポでの安福謙二弁護士(大野病院事件弁護団)の発言を
まずご紹介したいと思います。
15分ほどの発表の最後の部分です。
「医療事故に学ぶことの大切さ。加害者、被害者の対立構造から脱却することが必要。過失の追求・検証だけで済むはずがない。過失がなければ改善するものはないなどと言えるはずがない。医師が納得し反論できない事実こそ、患者が知りたい事実。過失概念を離れた事故検証が必要。
ただし、そのためには患者と医師とが手をつなぎ、協同しなければならない。そのためには、医師が患者から信頼を得なければならない。スキルがすぐれているだけでは信用できたとしても、そこに人格が伴わなければ信頼されない。モンスターペイシェントという言葉があるけれど、ドクターハラスメントという言葉もある。医師会も医学会も、ドクハラするような医師を臨床現場から退場させるよう真剣に考えてきたか。強制加入の団体を作り、そこに懲罰権も与え、日本弁護士会が行っているような自浄性発揮をすることこそ信頼回復への一歩。信頼されてこそ、本来の医師と患者の関係に戻れる」
続いて、医療事故調に関し、厚労省案・民主党案への注文がないかと問われて。
「どのような制度でも、インフラが整備されていなければ単なるお題目で終わるか、あるいは間違った方向へ行く危険がある。裁判をやる時に、皆さんは法廷で法律論を闘わせていると思っているかもしれないが、争っていることのほとんどは事実の認定。事故調も、まずは事実をきちんと押さえることが必要。この事実を押さえるというコンセプトがどこにあるのか、分からない。事故調は一体何を調べるのか。執刀医、助手、麻酔医、看護師から事情聴取するのか。それは大切ではあるが、しかし極度の緊張状態にある人たちの記憶だけで事実が認定できるのか。客観的な証拠を集めることが大切になるはずだ。ではカルテはどうなのか。現在では、そのカルテですら、改ざんされているとか事実と異なることが書いてあるとかいう争いになってしまっている。これではいくら医師が何を言っても空回りで、だから信頼されない。
客観的医療記録をどう残すか、カルテの電子化は急務であり、そこへの効率的な記録法の開発もできるはず。それを手術のビデオ記録と一体化することも難しくなかろう。何より、ピアチェックを機能させるにはカルテのポータブル化を進め、患者に持たせるべきだ。そういう制度設計をしてほしい。事故調法案が通っても実際に施行されるまでに3~4年かかるというのなら、その間にインフラ整備できるはず。病理医、法医、監察医の強化も必要だ。
それから事故調の議論も限られた人だけで大丈夫なの?と思う。大野病院事件でも何でもそうだが、実況中継したらいい。そうすればどれだけ専門家から批判が出て来るか。そういうインフラ整備をしてほしい」
最後に一言と言われて。
「(前略)一生懸命やっている医者がきちんと評価されず、責任を押し付けられている。大野病院事件の後で医療者たちの脅えに直面した。心配しすぎだと伝えても、あなたには分からないと、そう言う人に何人も会った。皆さんが考えている以上の恐怖だ。ほとんど寝る間もなく働いて、しかし何かあったら刑事事件、この医師たちを助けなければ医療の安全など取り戻せるはずがない。こうした医師たちが自身を回復しない限り医療が元気になるはずがない。何が医師を元気づけるかと言えば、患者からの『ありがとう』の一言。しかし現実には『バカヤロウ』と言われている。なぜ、そんなことになっているのか。信頼が失われている。もう一度信頼を取り戻したい。医療者と患者が手をつなぐために両者にできることがある。医療者には、自ら信頼に足る生き方を示してもらわないといけない。信頼できない医師は自分たちで臨床現場から退場させてほしい」
事故調の設置は、総選挙後にズレ込むと思われます。それまでの間、事故調とは少し離れて考える猶予が与えられたようなものです。その間に医療者が何をするか、どう自浄性発揮へ踏み出すのか、期待を持って見ている人たちがいることを忘れないでほしいと思います。何もしないで時を浪費したとしたら、外圧が再び加わることは間違いありません。
さて、日本医師会はどうするのでしょうか。
日本医師会を皆さんはどうするのでしょうか。