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ニュース〜医療の今がわかる

(2010年11月号掲載)

『思いやり』という名の臨床研究ネットワーク

 私も元々は、がんの臨床外科医として働いていました。患者さんの半分ぐらいは手術をしても再発し、最終的には亡くなられてしまいます。何の治療法もない患者さん、あるいは薬の副作用に苦しむ患者さん、嘆き悲しむご家族の姿を見ているうちに、がんの根本的な原因の解明に挑みたいという気持ちが強くなり、このような研究をするに至ったわけです。
 ところで、我が国のがん医療をリードすると言われてきた主要な病院は、統計学的なエビデンスの得られている治療法が尽きると、簡単に患者さんを見捨てます。このような態度が、がん難民や苦しむ家族を産んだ大きな要因ですが、全国ぐるっと見渡すと、日本の医師の責任感は、まだまだ捨てたものではありません。

患者の希望のため

 私は、前回説明したペプチドワクチンの臨床研究ネットワークを築きたいと考え、06年から延べ100回以上、病院を行脚して回りました。地方の核となっている病院の医師たちは、手術した時からずっと患者さんを診ており、患者さんを最後まで看取るという熱い思いを持っていると肌で感じました。最後まで希望を持たせながら治療をするのが責任だと思って診ておられるのです。
 そういう方々にワクチンの話をしたところ、「患者さんの希望につながる」と、協力を申し出てくださる方が続々と出てきました。
こうして06年8月に発足し、昨年末の時点で59病院まで広がったのが、CAPTIVATIONネットワーク(略称)です。「慈悲・思いやり」という意味の『captivation』という単語に、私たちの思いを込めました。ほとんどの協力者が手弁当ながら、「がん治療を変えることができるかもしれない」と非常に積極的に協力してくださっています。
なお、協力者の方々が手弁当でやってくださることを美談扱いしようとは思っていません。本来は、きちんと研究費で手当てするべきです。この問題に関しては次回改めて触れます。

現場からのTR

 基礎から実地医療への橋渡し研究は、トランスレーショナル・リサーチ(TR)と呼ばれ、推進の号令がやたら勇ましくかけられています。ただ、多忙な医療現場の協力にさらに大きな負担をかけることになり、研究に対する協力を得ることは容易ではありません。
 ですから私もかつては、TR推進には国内数カ所を拠点化して症例を集めるのが早道と思っていました。しかし、患者さんのためになることをきちんと説明して歩けば、実際にはこれだけ多くの医師・医療機関にご協力いただけるわけです。患者さんからしても、例えば進行がんだったら遠い所からでは通えません。日々の現場で臨床研究できるようにすることこそが非常に大事なのだと思います。
 日本の臨床研究の質は低いとか何だとか、色々言われてきましたけれど、これだけ大きなネットワークをつくると、質量ともに高いレベルで科学的な評価ができます。
 既に、ワクチン治療を受けた患者130人の血液を詳しく分析して、ペプチドワクチンに対するリンパ球の反応が陽性の患者では、半数以上が400日以上生存し、800日を超えた患者も4割近くいるということ。一方、陰性患者では半数が200日以内で亡くなり、400日以上生存した患者は約2割しかいなかったというデータを出しています。ワクチン療法の効果を科学的に実証する基礎となるデータができたと考えています。
 日本でもその気になればやれる、それだけの潜在力があるということは示せたのでないでしょうか。

妨げてきた学閥

 なぜ今まで、こういうネットワークができなかったのでしょうか。先ほども述べたように、現場には、最後まで患者さんのことを考えて頑張っている人たちが、たくさんいました。しかし、その人たちがみんなで協力して、一つのものを作り上げるという形にはなってきませんでした。
 そうならなかった理由は色々あると思いますが、その一因が学閥とか権威主義ではないかと思います。
 患者さんからすれば大学の縄張り争いなんてどうでもいいし、国益を考えた場合も同じことが言えます。国として新しい医療、新しい医薬品を創るということが非常に大事だと考えるのであれば、まずそれを優先して国の制度を創ればよいのに、大学の縄張り争いが優先するわけです。患者さん中心ではありませんでした。
 少なくともペプチドワクチンに関しては、学閥を乗り越えたと思います。08年秋には、私たちのネットワークに加え、久留米大のグループ、札幌医大のグループ、国立がんセンター東病院のグループも参加して、ペプチドワクチンを医薬品として開発しようとめざす「スーパー特区」が創設されました。
 各グループで、情報を共有し、臨床評価方法と免疫学的評価方法を統一して、企業も巻き込む形あるいは企業に成果を譲り渡す形で医薬品開発に着手する計画です。できるだけ速やかな医薬品承認をめざしています。
 このように大学の垣根を越えたオールジャパンでの取り組みが始まったのは心強い限りですが、安閑とはしていられません。この分野の国際競争も激烈で、そして日本には患者中心主義から見ると、非常識で競争の邪魔になるような点が、いくつも残っています。
 次の最終回で、何が日本の課題なのか解説します。

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